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公立高校入学試験と中学校の授業の関係

多くの都道府県で公立高校の入学試験が行われているこの時期、公表された入試問題を見ながら多くのことを考える。

私が勤務する県の県立高校入学試験が先週行われ、翌日の新聞で問題と正解が公表された。担当する理科の問題、いや正解を見て、記号での解答が非常に多いという印象を受けた。勤務先の他の教科担当者も、それぞれの教科で同じような印象を受けたとのこと。英語では英作文なし、数学では証明の記述なし、国語では文中からの書き抜きなし、社会ではカタカナで語句を答える問題はあっても漢字での記述や文章記述はなし。理科では計算問題が数題程度。解答だけからみれば、誰でも解答できる問題が非常に多かった。

昨年、残念なことに、入学試験の採点に関するトラブルが生じてしまった。私は以前は私立高校に勤務していたので、入学試験の採点を経験している。採点には、試験が実施される教科の担当者以外の、例えば体育や美術など教科外の教員にも分担が回り、必ず教科担当者を含む複数教員が当たる。複数回のチェックでミスを防止するためだ。それでも、どうしても防ぎきれないミスが起こったのだろう。定期テストなどとは違い、合否を決める材料となる得点なので、受験生側にしてみればたまったものではない。
人が扱うものであれば、どうしてもミスがあると考えなくてはならない。その点、記号での解答であれば、教科外の採点者であっても、ミスは最低限に抑えられるので、採点側は胸を撫で下ろしたことと思う。

受験した生徒にとって、記号選択問題が多いということは、理解していれば正答の選択は容易だし、書き間違うことも少なくなる。分からない問題であっても、選択肢のいずれかが答えなのだから、解答することができるという点では、気が楽だったのではないだろうか。

しかし、問題を作成する立場からすれば、正解ではない選択肢の作成には間違いなく苦労する。ましてや、差をつけることが目的となる入学試験であればなおさらのこと。中学校での学習範囲を逸脱することなく、そのような問題を作成した方々の苦労は計り知れないことだと思う。

さて、自分が担当している理科の問題をじっくりと読んでみた。教科書にある語句の意味がきちんと分かっていれば解答できる問題ももちろん見られたが、単純に正解することは難しいと感じた。まず、問題文を正確に読み取る必要がある。教科書で取り上げられているものとは異なるものが問題となれば、自分の知識と照らし合わせ、それに当てはまるものを選択しなくてはならない。つまり、いかに多くの例に触れたかがカギとなる。中には、問題文がA4で1ページになっているものもあった。その文の中から、何の知識を用いれば良いのかを整理し、当てはめなくてはならない。また、内容が全く異なる複数の単元の知識を組み合わせて解答しなくてはならない問題や、数学で学習した知識を利用する必要がある問題もあった。そう考えると、難しい感じた生徒も中にはいたに違いない。

学校の授業の多くは教科書に沿って行われている。また、定期テストは指定された教科書の範囲から、授業で学習した内容をもとにして出題される。したがって、理科や社会は教科書を覚えることが試験勉強と考える生徒は少なくない。少し問題文が長かったり、解答が記述式だったりすると、正解できない生徒は残念ながら少なくない。時間を十分にかければ解答できる生徒も見られるが、残念ながら制限時間のない試験はほぼない。定期テストであれば、次回頑張るということもできるが、入学試験はほとんどの場合そうはいかない。

今回の入試問題を見て、「私がやってきたことは何だったの?」という声を聞いた。素晴らしい授業をされる先生であることを、何度も参観させていただいて知っている先生だ。そこで、少し考えてみたい。

果たして、自分たちがやってきた授業はどうだったのか。

教科による違いはあるものの、学習した内容は、生徒たちが何かに触れたときに思い起こせることであったのだろうか?理科の場合には、身の回りの事象を題材にしているので、そんな場面は少なくないのだが、そのような場面を体験させることはしていたかを考えなくてはならない直接体験が難しければ、体験者の話を聞くことや疑似体験をすること、多くのコンテンツを生徒に提供すれば実現できることは少なくないはずであるが、果たして、授業でそこまでのことを意識しただろうか?授業を進める中で、生徒に伝えただろうか?また、生徒はそれを意識できただろうか?他の教科での学習内容を意識して、それを活用するような授業はできていただろうか?生徒は、他の教科の学習内容とのつながりを意識できただろうか?

中学生の中には非常に大人びた考え方をする生徒もいれば、まだまだ子どもの考え方から抜けられない生徒もいる。知識の吸収が早い生徒もいれば時間がかかる生徒もいる。それでも、中学校3年間で等しく義務教育は終了し、その先を決めていく。高校進学率が100%近い現在、多くの家庭が県立高校への進学を希望する中、今回の県立高校入学試験問題の大きな変化について、中学校の授業はどうあるべきなのかを、今一度考える必要がある。

知識は活用されてこそ意味を持つ。
身の回りのものは、教科書通りの場合は圧倒的に少ない。
教科の区別など、身の回りで起きていることには関係ない。
生きていくために必要な知識は、活用できる知識である。
そう思う。

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