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不登校先生 (17)

不登校先生になっちゃうかもしれん。

家に帰って最初に冷静に電話をかけたのは、

実は、ゆかさんでもなく、ケンちゃんでもなく、3人目の親友。

たてなくんだ。

彼は大学生時代に出会った親友。説明するとなんだか不思議で縁深い。

大学時代は一つ下の後輩だった。

学部は違ったのだが、僕がアルバイトをしていたコンビニエンスストアで

深夜勤務をしていた同僚の部活の後輩でもあり、

アルバイトの後輩と同じ学部で仲が良かった人であった。

間接的に知り合いだったが、彼が大学を卒業するころには、

ジブリアニメ好きとして仲良くなっていった。

卒業後、彼は地元の小学校の事務職員として勤務しながら、

正規の採用を目指し、

僕は、コンビニの店長をしながらの友達付き合いだった。

卒業から2年ほどで彼は、まだほんのわずかしか採用されなかった

正規の採用試験に合格し、晴れて正規職員としての小学校の先生に。

たてなくんと同学年だった奥さんとも結婚をし、

奥さんも、教員として働き、夫婦で学校の先生として勤めて始めた。

その後に、僕はコンビニの店長を辞めて、講師として小学校で働き始め、

今度は、たてなくんが、学校の先生として先輩になった。

学校現場に入って最初の年度初めに、一番最初に地獄を見た現場の時にも、

ずっと寄り添って、自分が病んだまま孤独に死んだりしないように、

引っ越しの世話やら、様子を見に来たりやら、15年前も助けられていた。

また学校勤めの前にも、おんぼろの家でぎっくり腰になって、

動けなくなったところを、奥さんと一緒に救助に来てくれたこともあった。

本当にたてなくんには、お世話になりっぱなしで。

恩を全く返し切っていないのに、いつも助けてもらってばかりなのである。

そんなたてなくんは、きついときにも、自分を自分で励まして、

倒れそうなときにも、自分の心をしっかり支えて強くなった人だ。

今より10年ほど、国や自治体が言い出すよりずっと以前から

子ども達にじゃんじゃんICTの授業を仕掛けたり、

予想と実験を楽しみながら学べる授業を実践したり、

担任以外の児童支援の校務にも重用されて、

一人一人に向き合うことを、子どもにも、職場の同僚たちにも、

いつも心を配っている働き方をしている。

仕事で関わる人以上に、家族のこともとっても大事にしていて、

また、今回の僕のような状態になった友達にも、

すぐに寄り添って相談を聞いてくれるので、ありがたい。

「たてなくん、15年ぶりに、心が赤に近い黄色信号だよ。」

「お疲れ様です、ととろんさん。今の時点で自覚出来ててよかったですよ。

 僕らの仕事は、僕らがいなけりゃ誰かがやれる仕事ですから、

 今、もう働けないほどの危険なラインとわかったのであれば。

 休みましょう。まずは病院に行って、ゆっくりと休みましょう。」

そして付け加えて

「しっかり、じっくり回復した後は、僕らの住む町で、

 学校の先生として、働きましょう。ととろんさんの力は

 絶対にありがたがられますから。どの現場でも。」

先生である自分も全部見ていて知ってくれている

たてなくんの言葉だからこそ、その励ましは、心の底に沁みた。

不登校先生になっちゃうよ。それで終わりと思ってしまいそうなところで、

いいですね、不登校先生。しっかり休んだら、また先生してくださいね。

と、認められたような気がして。安心できた。

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不登校先生になった日、僕自身で身に沁みて感じさせられたことは、

子ども達に言っていたことの一つ。

「友達は、大事にしなさい。時には家族以上に自分を支えてくれるから。」

命を手放さずに、まだ生きることをあきらめないでいられた。

そこに駆け付けてくれたのは、3人の親友だった。

↓次話




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