#85 なぜ子供だけお年玉をもらえるのか(仮説)
さて仕事始めから数日経ち、そろそろ正月気分も抜けてきた頃かと思います。ところで皆さんは今年の年末年始において誰かに「お年玉」をあげたでしょうか。
年神様がくる!
そのお年玉について、NHKの「チコちゃんに叱られる!」の新春SPで取り上げられていました。実はお年玉の「玉」とは「魂」のことなのだそうです。元旦に各家庭に降りてくるとされている「年神様(としがみさま)」がくださる「魂」。ここで言う「魂」とは、私たちの生きる力、気力のようなものです。
さて、この「年神様」とは何者なのでしょうか。
年神様は中々な血統の出でありまして、日本神話では『古事記』において須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた子とされています。その年の幸せや五穀豊穣を運んでくると考えられていて、年末やお正月に行われる様々な行事は、年神様を迎えるためのものなのです。
年末の大掃除は年神様を迎えるために家を清めるのが目的ですし、門松を立てるのは年神様が道に迷わないようにするための道標、おせち料理は年神様をもてなすための料理なのです。そして降りてきた年神様の依り代とされているのが鏡餅です。つまり鏡開きで餅を割ってみんなで分ける行為が、この年神様の「魂」を分けているということなんです。その年の魂となる餅玉は、家長が家族に「御年魂」として分け与えました。これがお年玉のルーツです。
私、これは全然知りませんでした…。
お年玉の返報性
「返報性(へんぽうせい)」という言葉をご存知でしょうか?
マーケティングを考えるときにも登場する言葉ですが、簡単に言うと「他者から何か与えられた人が、その相手に対してお返しをしたくなる傾向」のことです。どのような出来事でも、プレゼント、または特権を渡されたとユーザーが認識すれば、この効果が生じると言われています。
この効果を狙ったものと言って思い浮かべるのが「無料」のサンプルやサービス。世の中には無料で提供されているものが数多く存在しますが、これらはユーザーの「返報性」に期待して行われています。
「無料でサンプルをもらったから、ひとつ買ってあげようか」とか考えたことはありませんか?
スマホの無料ゲームもこれに当てはまります。ずっと課金なしでやり続けるのが申し訳なくなって…なんてことが誰にでもあると思います。私もあります…。いい商品が開発できて、世の中に拡散させたいときに、消費者の「返報性」に期待して、まず無料で配るのも、一つの手段として考えることができます。
お年玉の話に戻ります
この「返報性」ですが、小さい子どもにはあまり効果が望めません。小さい子どもは自ら生産活動をしないので、一方的に周りからモノをもらう存在です。モノを提供されるのが当たり前なので、そこにいちいち「お返しをしなければ」という感情は起きないからです。
その昔お正月に家長から「お年玉」としてもらうものが餅だったのが、時が経つにつれてお金になりました。そんな流れの中で大人たちは、この「返報性」の感情から、「毎年お年玉をもらう=その年のノルマを感じる」ものとなってどんどん廃れていった中、子どもだけが変わらず遠慮なくもらい続けたのでその風習だけが残った…。それが子どもだけがお年玉をもらえるようになったとは考えられないでしょうか。
PS.
年神様について調べているうちに、ラーメンズのネタ「初男」を思い出しました。もしかしたら、年神様の要素も加えられていたのかも?なので、年神様を片桐仁氏にしたイラストも上げておきますw。
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