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「人の嫌がることをしません」【小学生の頃の話】

45歳からの「これでいいのかな?」が「これが面白い!」に自然と整うお手伝い、スキップコーチのみさです。

どうせなら人の嫌がることをしないで喜ぶことをしてあげたいですよね。


近所の公園の桜がきれいだから散歩をしていたら、小学生がボールもって数人で楽しそうに遊んでいました。

それでふと思い出したことがあります。

それは、小学生の頃のちょっと苦い思い出です。

私が小学生の頃
「人の嫌がることをしません。」
というのがありました。

当時、私は小学校低学年でした。クラスで主に男子が「スカートめくり」だの「濡れたぞうきんをわざと投げつける」だの「はやし立てる」をしてたんです。嫌がれば嫌がるほど「やーい、やーい!」みたいになってエスカレートしていきました。(どっぷり昭和の話です。)

そこで、先生が言いました。

「みなさん、人が嫌がることはしてはいけません。」

って。クラスの悪い男子がやってることがイヤだった女子はみんなで「そうだ、そうだ」と頷いて、「やめてよね!」と強気に言いました。それでトラブルはおさまりました。

ですが、その時は、そうだそうだ、と一緒になって思った私でしたが、しばらくして、とある友達にひどく嫌がられたことがありました。

その友達に内容は忘れましたが、

「なんでそんなことしたん?」

と数回聞いたのです。(答えなかったから、数回聞いたんだと思う)

その女の子は泣きださんばかりだったようで、私は先生から

「人の嫌がることをしません。」

と叱られました。

ええ、っと。私、ただ質問しただけだったんだけど・・・。「ごめん」と謝りながら同時に怖くなりました。

「人の嫌がること」

がなんなのかよく分からなくなったんです。自分が言われてイヤだと思うことを言わない、だけではダメなんだ、と思ったから。

よく覚えてないのですが、多分、私の言い方や言った内容がその子にとってはきつかったり、気にしていることだったりしたのだと思います。

そんなことを思い出しながら思いました。

今までは
「その子が嫌がってることを分からなかったから、悪かったな。」
「分からなかった私、ダメだな。」
「言われるまで気づかないなんて人の気持ちを想像できないんだな。」

と「私ダメだだったなあ」と思ってました。だから、下手なことは言わないでおこう、とも思いました。私、人の気持ちを想像するの苦手だから。って。

ですが、今思うのは、

「人の嫌がること」

って、人によってさまざまなんですよね。

私がイヤでも他の人はそうでもない。他の人がそうでもなくても私はひどくイヤ。そんなこといっぱいあります。

「人によって感じ方は様々。」

だから、

「言わなきゃ分からない」
「聞かなきゃ分からない」

それに、人によって感じ方は違うから

「イヤなのが普通でしょ!なんで分からないのよ。」

って言われても、そう感じない人もいる。

「言わなきゃ分からない」
「聞かなきゃ分からない」

だから、伝える時も
私はいやなんだよね」

と「私は」をつける。

そうすると、お互いがもっと分かりあえて、いいよね。

前は我が家で
「なんでこんなことも分からないんだよ?普通イヤがるだろ?」
って会話がありましたが、
今は
「そっちは何とも思わないんだろうけど、俺はこうするのがいいの」
みたいな会話に変わってきました。

ケンカ腰にならずに平和に会話できるようになってきました。

子供の話から、家庭だけでなく学校でも「普通イヤでしょ、なんで分からない?」じゃなくて「俺はこう思うよ」というスタンスで会話をしてる感じを受けます。


空気って読めます?私は読めないです。だから、空気を読む努力をするよりも、気持ちを伝えたり、相手に聞いたりする、そっちを努力する方が、平和になるんじゃないかな。と思ってます。

お読みいただきありがとうございます。

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