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「移動祝祭日」 ヘミングウェイ 感想文

「移動祝祭日」
「教会歴中、年により期日の違う祝日のことをいう。復活祭もその一つである」(ブリタニカ)

今年は49日がイースターだった。毎年、祝祭日が違うのをつい最近知ったばかりだった。
今までにない題名で、何となくオシャレでヘミングウェイらしいなと思ったのだが、「タイトルは生前ヘミングウェイがホッチナーというライターに言ったセリフをもとにつけられている」とネット上にあり、本人が決めたものではなかった。

この作品はヘミングウェイが、亡くなる一年前に書かれた遺作であるという。

最晩年に思い出された二十代のパリの生活は、妻も含めて彼の脳裏に深く刻まれた最も印象的な情景だったのだろう。四度の結婚の最初の妻、ハドリーが彼の心の中に深くあるのだと感じられた。そして2番目の妻との不倫が小説の最後に懺悔のように書かれてあった。

トイレもついていないアパート、毎日の生活費はギリギリ、ジャーナリストから作家へと過渡期にあった。
作品を生む苦しみを感じながらも、毎日が楽しそうで、「貧しい」というのは、「空腹」と同じくらい彼を作家にしていたのだ。

61歳の彼がその若い時を描く。
晩年満たされない何か不幸な状況に置かれていたのかもしれないと感じてしまう。自死する一年前。

春の訪れ、真夏の海、晩秋、風、人の入らない雪面での滑走、彼の心に響く光景が、天気が、即、作品に反映された。
カフェで見つけた美しい女性まで、すでに自分のものとして作品になって行くのであった。

「自分を移植する」新潮文庫(p.16)

書くためには自分を別な場所に移し、その国の文化を楽しむ。そこでの感情の高揚がすごい圧力で伝わって来た。
毎日が祝祭日であるかのように、お金持ちにならない彼は自由であるように見えた。

パリのカフェ、場末のような店から有名な気持ち良く清潔な店まで、その雰囲気がとてもよくわかる。早朝から深夜まで、コーヒーだけではなくビール、ワイン、ウイスキー、オムレツや煮込み料理まであり、その美味しさは、彼の原動力であり、育ち盛りの子供のような表現から、味が忘れられない記憶として残っていたのだと思う。

そこで出会う作家や芸術家の会話が熱を帯びる。滞在時間は長くなる。

知らない有名な人物がこれでもかと登場した。夢のような交友関係がすごかった。
その人物達の「注」を読んでいるうちに面白くなって、更にネットに発展してしまい、写真など見ていたら本文を読むのが極端に遅くなってしまった。文章を読んでいるよりそちらで時間を使ってしまった。

ガートルード・スタイン、パートナーのアリス・B・トクラス
写真を見ると本当に農家の婦人のような大柄なミス・スタインと華奢なアリスがいた。
スタインは重鎮であるような面持ち。作家、詩人、美術収集家。他の芸術家からの信頼も高いのだが、ヘミングウェイは、相当に気を遣っていた様に読み取れた。
「壁にかけられない絵は描いてはだめ」とヘミングウェイの「北ミシガンで」という作品を酷評する。豊かな人間性を持っているのだが、頑固そうであり揺るぎない。後に別れが来るのだが手を焼きながらもヘミングウェイは多くを彼女から吸収したと思われた。

エズラ・パウンドという人もなんとなく惹かれた。写真を見たのだが、若い頃かなりハンサムであり優しい顔立ちであった。詩人で批評家、彼のスタジオには日本人画家の絵などもあり、出入りしていたという。

「彼はいつも他者のために良かれと尽くしていた」p.154と、エズラのことは、ウォルシュという編集者もヘミングウェイと牡蠣を食べながら、「エズラは偉大な、実に偉大な詩人だね」p.177と、彼の「高潔」を称えていた。エズラがパリを去るときに、ヘミングウェイに託した、コールドクリームの壜(阿片がはいっていた)が、果たしてダニング(アメリカの詩人、阿片中毒)にとって良いことであったかは疑問だったが、エズラの人に対しての尽くし方が何かを超えていたように思われて胸を打った。

そして「グレート・ギャツビー」の、
スコット・フィッツジェラルドがこの小説の後半を占めていて、まるで彼の小説のようだった。
偉大に見えた彼も、病や妻ゼルダとの関係に悩む真面目な人間であり、夫婦共にお酒が災していたのだった。
スコットの悩みをくみとれなかったヘミングウェイの深い後悔が晩年の彼の脳裏にあったのだと思われた。

登場した作家、芸術家の多くはとても早くに亡くなっていた。

ジュール・パスキン。ブリガリア生まれ、後にアメリカ国籍を取得した画家、「モンパルナスのプリンス」と呼ばれた彼にも作品中悲しい憂いを感じたのだ。個展が開かれる前日に40代で自死していた。

274ページに出できた「フォン・ブリクセン男爵」の妻が、「カレン・フォン・プリクセン=フィネッケ」というデンマーク生まれの貴族で、後に「イサーク・ディーネセン」というペンネームで「アフリカの日々」という作品を書いた。それが映画化され、メリル・ストリーブ主演の「愛と哀しみの果て」になったのだ。
「バベットの晩餐会」も彼女の作品であることを初めて知った。

ページをめくる度に出てくる多くの著名人に「注」を見ながらなかなか追いつけなかったが、一人一人の生涯があまりに劇的だったのでとても刺激的だった。

しかし、私は「キリマンジャロの雪」の文章の方が好きだった。


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