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「キリマンジャロの雪」  ヘミングウェイ  感想文

第一次大戦で瀕死の重傷を負ったという作家の体験から書かれているのだろうと思った。
死を想像する時、そこに至るまでの痛みの恐怖は体験したくないと思う。
死を目の前に、痛みの極限に達した後に起こりうることなのか、ハリーは消えていく痛み中で過去の体験を回想している。
初読では現実とその回想シーンとの時間ずれが理解しづらかったが、朗読も聞かせていただき、その回想と現実と夢の交錯がラストの印象的なシーンに繋がることが理解出来た。

多くの女性を踏み台に、作家として書くべきなのか、また書けなかったのか、その苦悩が伝わって来る。
生きる為に書くのか、使命として書くのか。時間の経過とともに変化する気持ちと深まる絶望感を感じた。

ヘレンを通じて大金持ちの世界を知る。
その金持ちのことを書こうとするが、
つまらない金持ち達を軽蔑し、仕事をしなくなる。
そして、結果出来上がってしまった無駄な贅肉を落とす為に、また享楽的に生きるのをやめ、贅沢の出来ないサファリに渡ったのだ。
そして告発したい「大金持ち」のこともやはり書かなかったとある。

「書けない」のか「書かないのか」それがわからない。

「おれは何をするのでも時間をかけすぎるんだ」新潮文庫 p.357
書き続けたい気持ちを持ちながら、書けないもどかしさ、やがて事きれるまでの時の限界に、成し遂げられなかった虚しさを抱えていたのだと、宿命の決められた時を思った。

引用はじめ

「書くことは本当にいくらでもあった。彼は世界の変遷を目撃してきた。それも、単なる大事件の類(たぐい)ではない。もちろん、それも数多く見てきたし、人々も観察してきたのだが、もっと微妙な変化も見届けたし様々な時代に人びとがどう対応してきたかも記憶に残ってる。彼自身、その渦中にあって、それを観察してきたのだから、それについて書くのが義務だった。が、いまとなっては、それも不可能だろう。」p.346


引用おわり

人生は何かを成し遂げるにはあまりに短く、ハリーのようにためらっている間に、また歴史が繰り返される。いつか目撃したものが記憶に留まり、伝えられない後悔を生んで行く。

作家としての高みを目指したのか、人間としての高みを目指したのか、男としての高みを目指したのか。

豹の屍は、ハリーであったと思う。
そこには何もなかったのだ。
死ぬまでに成し遂げられるものなど何もないと思った。
最高峰には風だけが吹き荒んでいたのだ。他には探し求めていたものなどない。
屍はやがて山に消え入り、山と同質になる。

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