見出し画像

「城のある町にて」 梶井基次郎 感想文

「あたたかい身内に包まれて」

梶井作品は三作目となり、いつもながら情景が目の前に浮かぶようで、繊細な表現、また抱えた悲しみと切なさが優しく伝わってきて、とても良い作品だった。
身内の思いやりや温かさに、すこしづつほぐれて行く心、徐々に変化して行く峻。

身内のひとりひとりは、彼の心をわずかでも明るくさせた大切な存在であり、特に姉や義兄の善良さがとても心地良く残った。

姉の家の近所の子の泣声を聞いて、死んだ妹だと、生きていた頃の自分の気持ちに戻り「泣かせなんぞして」と、そんな気持ちにさせた。
その経験が、「失なった」ことを、身近で見てきたことよりも、強く実感さたのだ。
「可愛いい盛り」で失なった悲しみは、その可愛さを知っている峻が一番深いのだと思った。

私もかなり前に、亡くなった父の後ろ姿にそっくりな人を見つけた時、今はもう「いない」ということを強く実感させられ、似たような体験をした。

「大河のように流れ出る除虫燈の瞬き」に涙したり、わざと花火の上がる方を向いて、少年たちに教え、それに気がつく少年たちを見て心の中で喜んだり。
そんな峻の優しさが作中で度々感ぜられ、作家自身の優しさなのだと、31歳で亡くなった彼自身の運命の儚さを思った。

姉、勝子、信子、義母、義祖母という女性達が、女性に慣れない峻の今の環境を丸く包み込んで行ったように感じた。

峻の手の中に入って来たり「もっとぎゅうっと」してほしい勝子の可愛さ。
峻は勝子に妹を重ね、気付かぬうちに
心が軽くなって行く、そんなシーンが何とも良かった。

勝子の遊びを窓から眺める。勝ち気な勝子を見抜くところが父の眼差しのようで、身内だなぁと感じてしまった。

北牟婁で、「心臓脚気」で寝ていたにもかかわらず、勝子を助けようと川に飛び込んだ義兄、峻の病気の時も参拝しに行ってくれたり、姉の病気の時は、四里も自転車で氷を買いに行き、結局解かしてしまうこの善良な義兄がとても生き生きしていて、頼もしく正しい心の持ち主に見えて好きだった。

実在した作者の義兄であれば、どうしてもこの愛すべき人物を描きたかったのだろうと思わせる。彼の存在が作品を面白くしていた。
少し我儘な姉には、出来た義兄と義妹、(信子)が、わきを固めて円満である。
この姉が、峻をこの町に呼んだ思いも見逃せない。


引用はじめ

「それ等は何かその頃の憧憬の対象でもあった。単純で平明で、健康な世界。今その世界が彼の目の前にある。思いもかけず、こんな田舎の緑樹の蔭に、その世界はもっと新鮮な形を具えて存在している」新潮文庫p.51
「食ってしまいたくなるような風景に対する愛着」p.52

引用終わり

その新鮮な世界の前で、その想像と興奮に、また彼は疲労してしまう。
しかし、その田舎の土地に見つけた風景は、彼の心を次のステージに確実に連れて行ったと感じた。

「生地から平和の生まれつき」の信子が学校の寄宿舎へ帰って行く。
峻は、物干しにかかったままの信子の普段の浴衣に信子の身体つきを髣髴させた。峻は間違いなく彼女に恋していた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?