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「戦争と平和」5️⃣ 第四部 第一篇 第二篇 トルストイ 感想文

引用はじめ

「あの恐ろしい殺人を見たときから、ピエールの心のなかで、すべてを支え、命あるもののように見せていたバネが、まるで急に引き抜かれすべてがくずれ落ちて、無意味なゴミの山になってしまったようだった」(岩波文庫 五巻p.365)

引用終わり

自分の命すらどうにもならず、その行方を握っているのはフランス軍、そんな彼らすら望んでいなかった恐ろしい捕虜の処刑が目の前で行われたのだ。
捕虜となったピエールが、この緊張の一刹那に体験し、目撃した現実は、彼のあらゆる信仰を消し去ってしまうほどの強いものだった。
以前に経験した懐疑は自分の罪が源泉になっていて、その絶望の救いは自分自身の中にあるのだと感じていた。
今、その世界が自分の目の前で崩れてしまうと、その原因は自分の罪ではないと、「もはや生への信仰へ戻ることは、自分の力の及ぶところではない」(p.366)という、ピエールの心の変遷が印象的だった。

残酷な現実に塞がれた時、神の配慮に従うしかないという気づきも、段階的な悟りも与えられる。
その気づきもピエールであればこそ理解できるのだと思われてならなかった。

ピエールは、捕虜が詰め込まれた掘立て小屋を抜け出そうとすれば、そう出来たにちがいないが、彼は元の小屋に戻った。
そこで、自分の年齢も知らない、プラトン・カラターエフに出会う。

まさに「イワンのばか」のイワンのような人、自己肯定感という言葉も相応しくない、愛とかいう言葉は彼には空々しいくらい自然に、人、物を大切にし好きになるプラトン。
お祈りもいい加減なのだが、神は許すであろうと思われる人。

「我慢は一時(いっとき)生きるは一生」、「裁きのあるところにゃ嘘もある」、「命は運にねらわれとる」、根拠のないようなロシア風の金言を吐く。しかしそれは「ありのままで急所をついている」。
まさに彼にとっての呼吸のようなものだと思われた。
日常を深く吸って吐いているような人なのだなと、こんな人が近くにいたら、そのすばらしさに気づく人間でありたいなと感じた。

「自己犠牲」、ソーニャがニコライに与えた自己犠牲は、プラトンが家族の代わりに罪を負った自己犠牲と全く違うもであると感じた。

「心の広い行為をしているという意識」(p.344)でニコライとの結婚を
諦めるという企てのようなソーニャの自己犠牲は、気の毒ではあるが本物ではない。

理想は、無意識に示せるプラトンの自己犠牲、それこそが本物であると思う。

「ただ無意識の行為のみが実のりをもたらす」 (p.305)

引用はじめ

「以前崩れ去ってしまった世界が今、新しい美しさをもって、何か新しい、揺るぎない基礎の上に、彼の心のなかでそびえたっているのを感じていた」(p.375)
「不可解で、丸っこくて、永遠不変の素朴さと真理の化身」(p.379)

引用終わり

ピエールに揺るぎない基礎を与えたのは、隣りで規則正しいいびきをかいている、この無垢なプラトン、まさに真理の化身という表現が相応しい。
「彼のことばと行為は、花から出る香りのように、なめらかに、必然的に無意識にあふれ出ていた」(p.380)

ロシアに、ずっと昔にいたかもしれない魂の人なのだと、戦争とは無縁の空間をこしらえていた。

一方、重傷のアンドレイの側にはナターシャと妹マリアついていた。

マリアは、憎んでいたナターシャが、自分の悲しみを本当に分かち合う人であることを悟った。

死に至るまでの切なく苦しいアンドレイとナターシャが、せめて幸せでいられた時間は、想像していたよりほんの束の間だった。

既にアンドレイは、死の兆候である「心の和み」の状態だった。
生きているものが理解できない世界にアンドレイは吸い込まれていたようで、言葉が冷たく既に遠いところへいるように現実感がなくなっていた。
この現象は、死への段階をしっかり認識できるアンドレイのような鋭敏な人間に現れるものなのか。
このような段階を踏むことは、撃たれたり、また処刑で亡くなるよりはずっと幸福な形であるように感じられた。

《実はほんとうに単純なことだのに》と、死にゆく自分と周りの人間の差異をしっかり理解していることが怖いほどだった。
多分、ほとんど人が気づかないのではないかと考えるが、真実は、自分が死に至るまでわからない。

アンドレイのその研ぎ澄まされた死への感覚は、「存在の奇妙な軽さ」という不思議な感じで理解された。与えられた死への段階が本当にあれば、その認識する時間はとても重要だ。

この章もまた、多くの人から生きる苦しみを感じた。
戦争の偶然の産物が、思わぬ結果を生むという計り知れないその実態を読んだ。
ナポレオンは負けたのだ。

「わしらの幸せは引網のなかの水のようなもんじゃ」(p.373)

プラトンの言葉が身に沁みた。

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