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「戦争と平和」 3️⃣ 第二部 第三篇 第四篇 トルストイ 感想文

「有為転変(ういてんぺん)」p.64

「世の中のものが絶えず変化して、しばらくの間も同じ状態にとどまることがない」、という意味であることを知った。

ピエールの心の指針となっているバズデーエフ老人が語った「自分自身の完成」の三つの目的を伝えたえた言葉の中にあった。

「有為転変こそが人生のはかなさを教える」p.64
三、四篇を読み終えて、つくづくこの言葉を感じてしまった。

それぞれの登場人物に、流動的に変化していく苦難。
幸福を見つけても隙間なく難題が押し寄せてきて留まることのない煩悶が続く。
「安定」、などとは束の間のことで、それをどう生き抜いて行くのか、生きることの辛さ、思うようには決して行かない世の虚しさ、はかなさが時を超えて胸を突いてきた。

戦争体験と妻の死で疲弊し切ったアンドレイ・ボルコンスキーが、真面目に取り組んだ「軍事法規の私案」も反故にされ、自身を見失っていた最中(さなか)、ロストフ家のナターシャと恋に落ちた。
生き返ったように陽気になっていくアンドレイの姿は、「上流社会の刻印の押されていない」彼女の姿に、また世のしがらみを見ていない、まだ気づきもしないその純粋なナターシャに生きる喜びを見つけたのだ。そして結婚を申し込む。

娘の持参金も工面出来ないロストフ家の実情、アンドレイの父ボルコンスキー老公爵も、二人の結婚に意を唱えた。

子にも周りの人間にも甘いロストフ老伯爵、自我が強すぎて子にも周りにも見境(みさかい)なく暴れるボルコンスキー老公爵。この二人の子供への愛情のかけ方の違いに、親の在り方、この在り方を考えさせられた。両氏は変えられないし、自らも変わらない。このあおりも、また子供たちに与えられた使命と試練だと思った。

デニーソフから引きついだ軽騎中隊を指揮していたロストフ家の長男ニコライは、皆が路頭に迷いそうな実家からの母の手紙に、
「彼は中庸の常識を持っていて、それが何をしなければならないかを教えてくれたのだった」p.192、と彼の一面をのぞく。そんなニコライが狩猟でロストフ家と係争中のイラーギンに出会う前に、噂などを聞き、「いつも彼は判断や感情に中間というものを知らなかったので」p.232、とムキになる。
中庸の常識を持ち、判断や感情に中間というものがないという、まだ未完成なニコライが面白い。
資産がないと、両親に反対さレている従妹のソーニャとの結婚をどのように貫いていくのか。
「自己犠牲」という言葉が好きなソーニャは案外強いのかも知れない。

「だれの支えと忠告にすがればよいのかわからなかった」p.65と、いつもそんな気持ちをかかえながら、孤独なピェールは、彼の思う「内面の成長」を信仰で遂げられるのか。信仰が深まれば打撃を受け、信頼と疑惑の狭間にいるような心もとなさを感じ、更にナターシャにも心奪われているという複雑さからは痛みすら感じた。

《幸福になるためには、幸福の可能性を信じなければならない》p.137、アンドレイは、唯一心許せる親友ピエールのこの言葉にナターシャとの幸福へ向かう決心への背中を押された。

《この人がこの目で探しているものがあたしのなかになかったらどうなるのだろう?》 p。172.173
皆が唸るほど魅力的なナターシャにも、こんな不安がいつも頭をよぎる、まだ十六歳の自信のなさ。
大人のアンドレイの目をいつも気にしていた。

兄ニコライに「魔法みたい!」と言わせたほど魅力的なナターシャを、自分と「大きな差」があり、ナターシャのようにはなれないと冷静に感じている従姉のソーニャが、「目の前に迫っているナターシャとアンドレイの結婚には何か不自然な恐ろしいものがあることも考えていた」p.280 と、ナターシャを知り尽くした者の直感のような言葉が浮かんだのだ。

そして母は、「ナターシャには何かがあまりに多くありすぎる、そしてそのためにこの子は幸福になれないだろう」p.280 と、これもまた直感的言葉が、これからを暗示しているようで、どどまることのない過酷な運命がこの物語に繰り返されているのだ。

混沌とした人間模様の中に、すでにこの世を見据えて捨て去ったような、ロストフ家の親戚の「おじさん」、その自由な生き方が光った。
そのおじさんの前で踊ったナターシャのその素晴らしいステップ。

引用はじめ

「渡り者のフランス人に育てられたこの伯爵のお嬢さんが、どこで、どういうふうに、いつ、自分の呼吸している大気の中から、こんな雰囲気を自分のなかに吸い取ったのだろうか。とっくの昔に、ー中略ー  駆逐されてしまったはずのステップを彼女はどこで覚えてきたのだろうか?ともかく雰囲気もステップも、まねや習い覚えたものではない、まさにおじさんが彼女に期待していたロシアのものだった。ー中略ー どんなロシア人にもあるものをすみずみまで理解することができたのだ」 p.253

引用終わり

この長編で、それぞれの人間が絡み合う苦悩の中で、ロシアの風景、ナターシャの瑞々しい感覚に満ちた行動と思いやりの行いにがあちこちに折り込まれていて、それらに心潤い、淀みが流されていくような思いを受け取る。そのすべてが色と共に映像のように映り胸を打つ。
小説のバランス、起伏が素晴らしく良いのを感じるのだ。

何かを持っている!この細い美しい少女ナターシャが、この先、幸せになれるように。

「ボリスはグレーね」、「ピエールさん・・・あの人はブルーよ」p.98

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