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「カズイスチカ」 森鷗外 感想文

「髯の長い翁」、医者らしい父を想像する。鷗外の性格はこの父から受け継がれているものなのだと、大いに納得した。

いつも相手の立場を良く理解しようと寄り添う。魅力的な人を誠実に几帳面に細かく丁寧に表現している。
鷗外作品が一作ごとに好きになって行く。

「翁」という表現にふさわしく、偉そうにしないこの老人は、盆栽と朱泥の急須から滴れたお茶を大事に楽しむ。庭の移ろいに目を向ける姿が、何とも幸せそうである。

医学は、日進月歩。花房の新しい理屈は、父の知識を不十分と思う。しかし父の患者を診る姿に、「有道者」の容貌に近いということをみつける。

引用はじめ

「翁は病人を見ている間は、全幅の精神を以て病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが、鼻風だろうが必死の病だろうが、同じ態度でこれに対している。盆栽をもてあそんでいる時もその通りである。茶をすすっている時もその通りである。」新潮文庫p.34

引用おわり

父は自分の生きる指針が身体に自然に染み透っているようで、医者の「治してやる」という傲慢さなどは微塵も感じられないばかりか、長年培われた自身の「勘」と、いつでもあらん限りの自分で生きている。
それが日常生活と医師の仕事に全く隔たりがないという精神性に繋がっていて、子が父の真の姿に気づいた部分と、またその父の真の姿に感動する。

「自分が遠い向こうに或物を望んで、目前の事を好い加減に済ませて行く」p.35

忙しさや「仕事している!」を言い訳に日常をおろそかにしてしまう。
そんな時こそ、ゆっくり掃除は丁寧に、などと考えたことがある。

そして、悲しみや苦悩のある時、けっして投げやりにならず、「日常を丁寧に生きる」ということが、「諦めない」ことに繋がるのではないかと、過去を振り返り考えた。

今まで生きてきて、とても尊敬する医者が2人いる。

患者の話をとことん聞き、患者の先の先まで考え、社会性を失わないように、常にその患者の立場に立って考えてくださった。
他の病院の医師にも意見を聞いてほしい(セカンドオピニオン)を自ら言ってくださり、すべでのものを提供し、他の病院に行かせてくれた。その謙虚さ、潔さはたまらなく見事だった。
結局意見を聞きに行った医者から、その元の先生の確かさすごさを、逆に知らされ、また元に戻って無事良くなった。

この「翁」のように、息子に「そうじゃろう。理屈はわしよりえらいに違いない。」という謙虚さが医師として偉大なのだと感じる。

「カズイスチカ」つまりカルテには、誠実に患者を診る熱い医者の思いが克明に書かれていると信じたい。

「カズイスチカと作者が漫然と題するのは、花房の「冤枉(えんおう)」とするところ」とあるが、この部分の意味がよく理解できなかった。

花房が病人を人間として見ていたという事実を「クリオザ」「カズイスチカ」に記することが、唯一「無実の罪」を証明するもなのだという意味なのか。

鷗外の更なる魅力を感じた作品だった。


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