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東京事変『私生活』- 28歳の私を生かす“あなた”

 思いがけず件の感染症に臥せっていた4月28日。微熱で熱る体を横たえながら、私は一通のメールを開いた。5月1日、東京事変が『私生活(新訳版)』をリリースするという。昨年末の歌番組で披露されたとき、数ある楽曲群の中からあえて『私生活』が選ばれたことに、少しばかり驚いたことが記憶に新しい。東京事変の面々に対して、一度完成したものを再構築する人たちだというイメージが私にはなかったので、それが新たな解釈を通して世に配信されるとは思っても見なかった。

 日付を跨いですぐに聴いた。詞曲こそ変わっていないものの、再編曲されたことで楽曲自体へのライトの当て方が変わっていると感じた。原曲は主語の前途を照らしていて、“新訳版”は主語を頭上から一つのスポットライトで照らしている。英題の“Backstage”の如く、暗がりな舞台袖で、ひとり佇む“僕”を照らしている。そんな情景が浮かんだ途端、詞に対する解釈も自ずと変化した。

 原曲しか存在しなかった時は、その解釈は詞の中の“僕”と“あなた”の間だけで完結していたが、新訳版を“現在地”とすることで、15年という時間の経過も手伝って、歌詞が原曲と新訳版との間で呼応し合っているかのような響き方へと変化している。

 15年前の2007年。私が13歳になって間もない頃、東京事変は3枚目のオリジナルアルバム『娯楽(バラエティ)』をリリースした。作曲はメンバーが担当し、椎名林檎は作詞のみに徹するという新しい試みがなされたアルバムだった。例に漏れず『私生活』も亀田誠治によって作曲され、椎名林檎が作詞をした楽曲で、4曲目に収録された。これまでとは毛色の異なるアルバムということもあり、子供だった私にはその良さがしばらく理解できなかったっけ。

 曲の良さだけじゃない。働いてお金を稼ぐことの大変さも知らないで、一丁前に夢だけは抱いていた私。大切な人がいるとき、自分の心がどう動くのか。身近な人の命が、ある日突然脅かされる可能性について。一人で生きていく自信もないくせに、その時身の回りに存在するものは全て、当然であるかのように振る舞っていた13歳の私。もしも今の私と逢ったら、情けなくて憐れだと思うだろうか。15年で私は何か少しでも変われたのだろうか。ふと、不安になる。

 13歳の私の前途を根拠もなく照らしてくれていた曲が、いまや28歳の私だけを頭上から照らしている。

 終わりの見えない転職活動。いつからかどこかへ消えてしまった夢。できるかわからない大切な人。重大な事件に巻き込まれた親戚。自分の身に襲いかかった病。いざスポットライトに照らされてみると、手の届く範囲しか照らされず、自分の影のせいで足元は暗い。前途は見えづらく、まるで自分だけがそこに取り残されているような気持ちになる。しかしながらここが現在地であり、これが今の私生活なのだ。誰だって平等に当然なものなど持たないで、尽きない不安の中で生きている。毎日をどんなふうに過ごしていても、人間はいつか死ぬという現実と少しずつ距離を縮めてしまうなら、前途を照らせるのはもはや自分しかいないのだ。何も知らなかった私と、少しは知ることができた私の差分のおかげで、明日も生きていける。

 追い風よ、さあ吹いてくれよ。

 何も知らなかった私は遠退いて、今の私を生かしている。

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