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多拠点生活をしたら思った以上に世界観が変わった ?

生まれも育ちも会社員生活も福島県
そんな私が会社員を辞めて多拠点生活者になりました。
なぜ、こんな生活スタイルになったのか?の部分を書き起こしてみたいと思います。

会社員卒業、フリーランスになる

2019年8月
会社は転々と変われども、ずっと建築デザインの仕事をすること18年
そろそろ独立しちゃえば?という声もたまにあったので
深く考えずに会社員を辞めました。
仕事に疲れて...とか会社組織が窮屈で…という訳ではなかったけれど、
今思えば、会社員に向いてなかった。

会社を辞めた当時の目標は、
”まちの集会場のようなシェアハウスを作りたい
あわよくば自分もそこに住みたい”

とりあえず沖縄プチ移住

2019年9月-10月
同時期に会社員を卒業していた友人のノリと勢いに乗せられて1か月~2か月の予定で沖縄へプチ移住。
なぜ沖縄かというと、日本の一番南だから。

現地の鉄板焼き屋のアルバイトと福島県の元職場リモートでしながらの沖縄生活。
部屋から歩いて泳ぎに行ったり、近所で釣りをしたり
海を見ながらリモートの仕事をしたり、休日に観光したり
会社員を辞めて沖縄に来てるからには何か得なければ!というプレッシャーもあった沖縄生活(笑)
詳細はまたあとで書きます。

そんな生活を経てシェアハウスを作りたい目標がブラッシュアップされました。
”仕事で出会ってきた下の世代の子たちがいろんな地域での生活を経験できるシェアハウスを作りたい
あわよくば、プロジェクトに関わった人も各拠点を利用できるようにしたい”
このあたりから移動する生活スタイルが私のスタンダードになってきた気がします。

東京で情報収集&シェアハウス生活

2019年11月-2020年3月
妹夫婦が暮らす、埼玉県のマンションに転がり込むところからスタートです(笑)
暮らしに関するセミナーやイベントに参加しまくった結果、
多拠点生活・アドレスホッパー・ワーケーションなど
自分がしていた行動に名前があったことを知る(笑)
そして、それが出来るサービスを利用し始める。

まずは、ホステルパスを利用して
Little Japanの住人になりました。

その後、肝心のシェアハウスの体験しなくては!ということで
リバ邸に住みました。
こんな私でもリバ邸蒲田の住人になれます♪

そうこうしている間コロナが流行り、仕事で福島と東京を行き来していた私は、福島に戻ったまま東京に帰れなくなりました。
緊急事態宣言が開けるまで実家に引きこもりです。

愛知県知多半島の生活

2020年6月-2020年11月
コロナのスキを見て、ずっと気になっていたシェアハウスに住んでみたかったので愛知県へ。
https://www.sharehouse180.net/

コロナ流行中だったため、名古屋ではなく、知多半島へ。

そこでは異業種のアルバイトします。
まず、シェアハウスの最終形は老人福祉施設なのでは?ということで
福祉施設で介護の仕事をしてみました。
ブランディング会社が運営する肉バル
農園が運営するハンバーガー屋さん

休日は愛知県内やその近県の暮らしをリサーチ&ワーケーションをする。
日常が旅のような生活でした。

そんな中、今まで掲げていた目標が
”いろんなサービスがあるんだからそれ使って楽しめばいいじゃん♪”
という感じに変わる。
ちょっとしたコロナ疲れでしょうか(笑)

実家からそう遠くない場所でAnywhere生活

2020年12月-
愛知県は半年と決めていたことと、福島の仕事が増えてきたので冬の間だけの予定で戻る。

次はLivingAnywhere Commonsを利用しようと決めていたので、
雪深い会津磐梯の拠点へ

https://livinganywherecommons.com/

よりによって県内でも雪深く寒いところで冬を越し、
少しだけ寒さが和らいできた頃、
愛車を手放し田舎で車のない生活をプチ体験。
高原での生活に疲れて来たので、新たに茨城県ひたちなか市の拠点生活を追加する。
実家の父、ケガして入院。
new相棒(車)を手に入れる。商用バンのDIY始めます!

という出来事を経て、今に至ります。
”とりあえず、地元に近いところでシェアハウス作りをしてみようかな”

この生活の各地であった素敵すぎる出会いや、フリーランスの苦悩、実家の両親との関係など
プチ移住や旅の記録、行く先々で体験して来た暮らしなどの情報を発信しつつ、今後の活動についての考えも整理しながら
今後の投稿で少しづつ書き起こしていきたいと思います!

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