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母無き者の母の日

今日は母の日です。

自分は物心ついた時から母親を知らなかった、親兄弟親戚からは、母は肺炎にかかり死んだと言われて来た。

第三次世界大戦は必ず起きると信じ、お国のために、陛下のためにお前は敵国と戦い死ねという教育の戦争未亡人の祖母が母親代わりで、托卵児であり家族と血縁が姉しかいない自分に対して、その虐待は凄まじいものであった。

親戚が来て帰る時は必ず自分をこの家から連れ去ってくれと泣き狂った。

毎日自分は朝に仏壇にご飯とお茶を備え、お国のために死んだ爺さんと、天国で見守ってくれるであろうと信じて止まない母親に、今日は祖母に虐められないようにとご飯を盛りお茶を供え手を合わせ願った。ある日、何故仏壇にお母の写真が無いのかと聞いたら祖母は劣化の如く怒り狂い、

「あんたには、あの卑しい女の血が流れとる」

と、孫の手で自分の頭を何度も叩いた。

思春期になったある日、自分は母親が生きていることを知る、長きに渡って周りの全ての人が自分を騙していたのを知り、その日から親を、家族を憎み恨むようになり、殺意さえ芽生え、中学生にして仮枠解体(バラシ屋)や配管工として歳を偽り働き家を出た。

それから35年以上が過ぎ、父と祖母が他界したのを期に姉が母の写真を沢山見つけ送ってくれた。

写真の母はやはり綺麗な人だった、

そして、自分はありきたりな普通の子供だった。

親を、家族を憎む力を燃料にして生きてきた自分は、社会がちゃんと矯正してくれ親父も婆ちゃんも許し、感謝するようににり、いつしかオッさんになり皮がたるんで少し大人になった。

そして今、母への蟠りが消えて憑き物が取れた分だけ、ほんのちょっぴりイカす男になったのさ。

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