受注から納品まで(翻訳者の脳内をのぞいてみる)
ご無沙汰しております、中日エンタメ翻訳者の戸谷です。普段は主にゲーム翻訳をさせていただいています。
今日は翻訳案件受注から納品にいたるまでをなぞりつつ、その間の戸谷の脳内がどうなっているのかをのぞいていきたいと思います。
案件受注――どんなに少ない文字数でも受けるタイプ
トライアル突破後、小さい案件を数回受けて、トライアルと同等の翻訳品質が保たれていること、納期遅れがないことをまずはクライアントに証明します。
賛否両論あると思いますが、私はこれから継続してお仕事をもらいたいクライアントを相手にする場合、どんなに少ない文字数でも請けます。(ミニマムチャージを適用するのは完全に新規のクライアントのみ、としています)
理由は信頼関係を築いておいて、大型案件を振ってもらいたいから。それから余談ですが、こういう案件はチリツモで月ごとに結構な額になったりするのですよね。
スケジュールが合わなかったらどうするんですかと言われそうですが、私は無理やりあわせます。特に、最初に大きな文字数を振ってもらうまでのあいだは、絶対に仕事を断らないように心がけています。(絶対にそうした方がいいと言っているのではなくて、あくまで私のやり方です)
さて、そうこうしているあいだにクライアントがまとまった文字数の翻訳案件をふってくれました。
声優さんの声でセリフが脳内再生されるまでゲームをやりこむ
最近は主にゲーム翻訳をやっているので、今回もゲーム翻訳だと仮定します。そして取引を始めたばかりのクライアントからのお仕事は、だいたい進行中のプロジェクトの翻訳です。今回はすでにリリースされているゲームで、キャラクターのセリフを含む追加ストーリーの翻訳だとしましょう。
まずゲームをやります。
キャラA「你是日本人吗?请多关照」
(※あなたは日本人ですか?よろしくお願いします)
というセリフがあったとして……あんまりいい例文じゃないですが……。
「キミ、日本人なのか? よろしくたのむよ」 なのか
「日本人なのか? よろしくな」 なのか
はたまた「あんた日本人なの? 仲良くしてよね」 なのか
原文を見た瞬間にそのキャラの声で(ボイスがない場合は勝手に声優さんをキャスティングするのも手です)日本語が脳内再生されるぐらいまでやりこみます。
でも中日翻訳者は往々にして時間があまりないものなんですよね。
私の場合はCATツールに「あなたは日本人ですか? よろしくお願いします」とでもメモしておいて、翻訳を形だけ進めつつ、同時進行でゲームを進めていきます。そしてボイスが脳内で再生されるようになったらさかのぼってブラッシュアップしていきます。
ここは人によってやりかたが違うところなので、まずゲームをプレイしてから翻訳を進めるのでも大丈夫です。やりやすいようにやりましょう。(でも納期遅延には気をつけてくださいね)
ストーリー翻訳でゲーム未プレイで納品、はやめておいたほうがいいです。プレイしてないのは訳文を見ればわかりますし、クオリティも高くはなり……ません。あんまり断定するの好きじゃないけど、まあ、高くなりようがないですよね。
翻訳を進める――過去訳文マニアになる
CATツールを使っている場合、過去の訳文を検索できる機能があるはずです。用語登録されていない単語が出てきた場合、まずは過去訳を参照しましょう。大体の言葉はすでに訳出されていると思います。
基本的に過去訳の訳出を使いながら、翻訳を進めていきます。だってそうしないと訳がブレて、最終的にエンドユーザーが混乱しますもんね。
自分の感性とは違う、どうしても変えたい――そんな場合は、まずは過去訳通りに訳しておいて、別途申し送りをしておきましょう。採用されれば一括変換でクライアントが変更をかけてくれます。
進行中のプロジェクトの翻訳案件は、この過去訳参照ができるかどうかでクライアントからの信頼度もずいぶんとかわってくる印象です。
ちなみにCATツールではなくスプレッドシートやExcelなどでの翻訳の場合、CTRL+Fで全文検索をかけたり、クライアントから過去訳をもらったりして、リサーチを進めていきましょう。
翻訳については語ると長くなるのでこのへんにして、次に進みます。
さて、翻訳が終わりました。
まだ納品しない。読み上げ確認して違和感を徹底的に排除
納品が山の頂上だとすると、翻訳完了は3合目到達ぐらいだと思います。
私が3合目でやることは、まず声に出して読むことです。翻訳している時使う脳みそと物語をただ読むときに使う脳みそってきっと違うんですね、読んでいると結構違和感のある文章になっていることがあります。(単に私が未熟者なだけなのかもしれませんが)
中国語→日本語の翻訳でよく言われるのが「原文にひっぱられる」現象です。簡単に言うと中国語原文で出てくる漢字の単語をそのまま日本語として使ってしまって、なんだか文章がカタくなってしまうことを指します。
ただ、言っておきたいのは中国語原文に出てくる漢字をそのまま採用するのが悪いことだというわけではないということです。その上で美しい日本語としてまとめあげる翻訳者さんもいます。神です。
(ここの差を言語化できればいいのですが、難しいんですよね……)
今すぐには神にはなれない……なので私は、読み上げている最中に漢字のまとまりからなる単語がでてきた場合、立ち止まって疑うことにしています。
たとえば、
「ピクニックに出かけるのには最適な日だね」
……最適な日だねっていうかな……?
もってこいの日だねとか、うってつけの日だねとかじゃないかな……?
これを繰り返していきます。
最初の訳出の時点で完璧に漢字にひっぱられないのは難しいので、丁寧に立ち止まって都度確認です。感覚ですが和語よりにするとスムーズに読めることが多いですね。
その他、衍字(語句の中にまちがって入った不必要な文字)や誤字脱字もここで修正していきます。
語学力を過信しない。ネイティブチェックを入れる
私は中国で教育を受けたわけでも、中国語を話す両親に育てられたわけでもありません。それにまだ中国語を勉強し始めてから15年そこそこです。しかも、あいだにブランクもありますし、ネイティブの壁が高いこともよく分かっています。
なので素直にネイティブチェックをしてもらいます。
ただこれは私が法人化していて、社内にネイティブチェックできるKさんがいてくれるからできることですよね……。(感謝しかありません)
じゃあフリーランスの時はどうしていたかというと……自信のないところはすべて書き出して、中国語が母語のPMさんに聞く、というのをやっていました。自信のないところは絶対そのままにしたくなかったんです。日本語だけ丁寧にならして違和感のないように仕上げることもできるのかもしれませんが、誠実じゃない気がして。
ただ、ネイティブチェックをしてもらうとはいえ、あくまで訳文を書き換えるのは私です。ここでは意見を別紙でもらうだけにとどめます。最終的に訳文を確定させるのは自分なのです。
ちなみに日中ネイティブの方や、日本語がネイティブレベルに堪能な中国語母語話者の方はネイティブチェックがいらない――というわけではありません。この場合は、日本語力の高い日本語ネイティブに訳文を見てもらい、相談を重ねることで、より磨き抜かれた訳文にしていくことができると思います。
漢字の閉じ開き、Just Right!
さて、ネイティブチェック後の調整も終わり、残るは校正です。
まずはJust Right!という校正ツール(記者ハンドブック追加済み)で漢字の閉じ開きを確認していきます。
Just Right!についてはこちらをどうぞ。
……ところで、漢字の閉じ開き(漢字にするのかひらがなにするのか)ってどうやって決めていますか?
彼はペンを持って来て、私に「宜しくお願い致します」と言った。随分他人行儀なものだ。
という文章があったとして……
私だったら、一般的なストーリー翻訳の場合
彼はペンを持ってきて、私に「よろしくお願いいたします」と言った。ずいぶん他人行儀なものだ。
と書き換えます。
(漢字の閉じ開きの基準について↓ここがわかりやすいです。文法的な解説はここでは割愛します)
漢字の閉じ開きにはルールが存在するのです。
そのルールは『記者ハンドブック』にまとめられています。
ただ、絶対的なルールというわけではなく、中日ゲーム翻訳においては世界観にあわせてある程度柔軟に翻訳者が決めている印象を受けます。そのゲームゲームで統一されていれば問題なさそうです。
クライアントから提供されるスタイルガイドを優先しつつ、誰からも決められていない部分に関しては『記者ハンドブック』を参考に自分なりのルールを作るようにした方がいいと思います。
例えば記者ハンドブックによれば「眩暈」は「目まい」にするようにありますが、ゲームの世界観的にしっくりこないので「眩暈」で行こう、などもアリです。
あらゆるブレを排除せよ、xbench
続いて訳ブレなどを徹底的に排除していきます。
その際、品質保証ツールのxbenchを使用します。
詳細や使い方については川村インターナショナル様が詳しくまとめてくださっているので、詳しくはこちらをどうぞ。
スタイルガイドの内容をxbenchに反映させておけば、ここで最終チェックも可能になります。何度救われたことか……。
最後は自分の感性と目を信じる。目視確認、ブラッシュアップ
ツールをふたつ通して調整を終え、校正にも終わりが見えてきました。
しかしすぐに納品というわけにはいきません。
やはり最終的に何度か通読した方がいいです。
声に出して読むとなおよしです。いろんな違和感に気づけると思います。
たとえば、箇条書きみたいになってないか? とか
○○は立ち上がった。そして私に向き直った。
→語尾が連続しているので、特に何かを強調したいわけでなければ、私ならバラけさせます。
○○は立ち上がった。そして私に向き直る。
おんなじ文章の始まり方が連続してないか? とか
○○は立ち上がった。そして私に向き直る。
○○はどうやら私に、何か言いたいことがあるようだ。
○○は、が重複しているので、2番目の「○○は」は削除したほうがよさそうです。
○○は立ち上がった。そして私に向き直る。
どうやら私に、何か言いたいことがあるようだ。
「私に」もいらないかもしれませんね。
他にも
「、」と「。」の使い方は適切か?
「……」「――」が効果的に使われているか?
文章のねじれはないか?
その文章を読んで頭に情景が浮ぶか?
勢いを削いでいないか?
市販されているゲームと同等、もしくはそれ以上の水準の日本語が使われているか?
などなど……
いろんなチェック項目がありますが、特に最後の項目は私がとても大切にしている基準です。
好きなゲームをひとつ思い浮かべてください。その隣に自分の訳文をならべたとして……胸を張って「世に出せる!」と思うのであれば、納品できるレベルになっているということで間違いないはずです。
とにかく通読で確認することは多岐にわたります。黙々と読み込み、訳文のブラッシュアップをしていきましょう。私の場合、だいたい3周ぐらいを目安にしています。一発でいい訳文を生み出せたらいいんですけどね。
これは裏技? なんですが……CATツール上で訳文を見ているだけではあまり違和感に気づけないことがありますよね。そんなときはクライアントに「現状の翻訳をエクスポートしてください、チェックに使用します」と言ってみましょう。ほぼ確実にもらえるので試してみて下さい。
特にセリフの話者が合っているかなどの確認は、Excelファイルにフィルターをかけて確認していった方が確実です。
さあ、目視確認とブラッシュアップが終わりました。残るは納品だけです。
クライアントの指示通り納品
訳文を再度xbenchとJust Right!にかけたあと、ファイル形式、添付資料をクライアントの望む形にそろえて、ようやく納品です。自分、お疲れさま……! あ、CATツール上の納品ボタンを押すだけではなく、先方にメールで連絡を入れるのを忘れないようにしなくては……。
お付き合いいただきありがとうございました。だいたいの流れはこんな感じです。
余談――申し送り(クエリ)について
申し送りってトライアルの場合はとにかく詳しく詳しく書いていろんなパターンを提案して……という風にするのがコツなのですが、実務ではどうか? と聞かれれば意見が分かれるところだと思います。
ただ言えるのは、長すぎれば後工程の時間を確実に奪うことになるので、必要な情報を適切な長さで表現するようにした方がよりよい連携がとれるのではないでしょうか。あと、申し送りというか保身のための言い訳になりすぎていないかというところにも注意が必要です。保身、大事ですけどね。
さいごに
思ったより長くなってしまいました……。
翻訳者にとっては当たり前のことばかりですが、これから翻訳を始める方、翻訳を始めた方たちのお役に立てれば幸いです。
それではまた。
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