耐えることは美徳ですか?
昨日、大好きな作家兼僧侶の家田荘子さんと、オカルト研究家の角由紀子さんの対談動画を見ました。
様々なこの世の出来事に関して、霊的視点・仏教的視点からどう捉えるか?などを角さんが家田さんに対して疑問を投げかけるという、とても興味深い内容でした。
私は個人的に、家田荘子さんの書籍は何冊か愛読していて、私がかつて巫病(ふびょう)のような精神錯乱状態だった時、家田さんの著書「女霊(改め「聖地へ」)」を、貪るように読み耽り、その本に書かれていたように、一時期、滝行や山行に勤しんでいた。
家田さんの生い立ちと、自身の生い立ちがとても似ている気がして、彼女の書籍にはとても共感する部分も多いし、とても辛い時期に彼女の書籍で救われたこともあるので、基本的にはとても好きだし尊敬している作家さんの一人です。
ただ、やはりいくら数多の地獄を経験し、水行や回峰行などを厳格に行う僧侶の彼女とて、所詮、人間である。
私もそうだし、この世に生きる人間は誰も完璧な者はいない。
もう、100%完璧な全知全能の魂ならば、この世に生まれてくる必要などなく、ブッダやキリストなどのように、高次元のいわゆる「あの世」という場所で神様の修行をしているはずなんです。
もれなく、誰でも、どこか未熟だからこそこの世に人間として生を受けると思うんです。
家田さんとて、いくら霊能者で徳の高い僧侶とはいえ、必ずどこか偏った物の見方をしてしまうのは仕方のないことです。
その上で彼女にちょっと言いたいなって思った事が、対談を観ていてありました。
それは、角さんが、
「昔の女性と今の女性は、何かやっぱり生き方などは、だいぶ違うんでしょうか?」
との質問をされた時の家田さんの回答が、ちょっと違和感ありました。
「そうですね・・・やはり、今の人は「耐えない」ですよね。
かつての女性達は、必死で耐えて、耐えて、家を何としても守りたいとか、この忍耐の末には必ずいいことが待ってると頑張っていた女性が多かったですね。
まあ、今の女性は経済的にも自立できるようになりましたし、それはある意味良いことではあるんですが、ITが進んだおかげで、みんなすぐに答えを出したくなったり、すぐ結果が出ないと諦めちゃったり、それはすごくもったいないなぁと。
もうすこし「耐え」て頑張ればいいのにって思います。」
・・・確かに、この回答は一理あるとは思います。
あともう一歩踏ん張れば・・・ってことはあるのかなって思います。
だけど、やっぱり「耐え忍ぶ」は女性にとって重荷であると私は思うのです。
家田さん世代の若い頃は、バリバリ男尊女卑だったし、女性に人権なんてものは無いと言われていた時代です。
仏教の言葉に「五障三従」という言葉があります。
「女性は生まれながらにして、5つの障りがある。それが故に、生まれては父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子(息子)に従わなければならない。属するところなきは悪名を受ける」
これぐらいのことをしなければ、女性は成仏出来ないと、かつての仏教思想では普通に考えられていたことです。
日本では、女性が働くことも、財産を個人名義で所有することも許されなかった歴史が連綿と続いてきました。
これの延長戦を、この令和の世でも肯定するんですか?
仏に使える女性僧侶が、「耐えること」を強要するような発言をしてもいいんですか?と、家田さんに物申したくなったんです。
私は、もうむやみやたらに女性が「耐えなくていい」って思うんです。
たとえば、自分のやってる仕事で、どうしても時間がかかるプロジェクトに係っている場合、時期を見計らうためにじっと待たなければならないなど、「自身の生きがいのため・自身のライフワークのため」にある程度、耐えることが必要な場合があります。
ただ、男のためとか、家族のためとか、自分以外の人間のために耐え続けることが、必ずしも幸せとはどうしても思えないんです。
女性はもっと、自分自身のために生きていいし、自分を大事にしてほしいと思いますね。
「耐える」って行為は、時に地球の波動・宇宙の波動を重くします。
今は風の時代なので、あんまり自分に負荷をかけず、楽しく軽やかに女性も生きるべきです。
もちろん、女性には生理が必ずあり、時には妊娠・出産を経験しなければならないこともあるでしょう。
今は医療も発達しているので、避妊も女性主導で行う事も出来ますし、支援団体も多く存在します。
女性にとって、今は本当に自由になれたいい時代だと思います。(発展途上国などでは未だに不自由を強いられてる場所もありますが、先進国は概ね女性が生きやすくなっていると感じます)
女性が軽やかに生きられる時代が来ることは、はるか昔では夢のまた夢でした。
しかし、今は、多少の問題はあっても、昔よりずいぶん女性が生きやすくなったなと感じます。
もう、自分の人生を犠牲にして、耐え忍ばなくていい。
これは女性達にとって、とても良い大変化だと思います。
とどのつまり、私はそこに関しては家田さんとは真逆の考え方なわけです。
女性の人生って、多かれ少なかれ、男性が想像するよりもはるかにハードなんです。
女性は人間関係が複雑で、精神的にジワジワやられることが多いです。
ただでさえ、男性に比べて女性は、生まれながらにして身体的にも精神的にも負荷があるわけで、男性には女性が経験する痛みも、苦しみも耐えられないと言われています。
男性になる魂の方が脆弱ってこともあるんでしょうけど。
女性は強いから、もっといっぱい負荷を与えよう!忍耐をしてもらおう!は違うと思います。
男女は平等であるべきです。
男性は女性の苦しみを理解するべきです。
現代の若い男性は、ヘタレだ何だかんだっていう輩もいますが、違うと思います。
女性の生理や妊娠の苦しみを理解しようと努めています。
男性と女性の在り方は今が正常だと、私は思います。
男性は、女性の生理や妊娠などの辛さをしっかり学んで、彼女やパートナーに寄り添い、本当の意味でのジェントルマンを目指すべきです。
女性は、ワガママをほどほどにして、自分で生活できる経済力を養い、精神的にも自立することが必須になっていきます。
いつまでも、男女問わず、依存関係でいるのは、互いの為になりません。
お互い自立心を養うことで、相手が弱った時、助けることが出来ます。
これこそが、男女平等だと私は思います。
男は、必要以上に社会的な重責を背負う必要はない。
女も、必要以上に耐え忍ぶ必要はない。
だから、家田女史とは、ここが根本的に考え方の相違があるな、と思いました。
・・・長々とすみません。
色々思うところがあったもので。
長いことお付き合いいただきありがとうございました。
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