企業というプラットフォームが社会の形を作るとき

大企業に代わって個人が色々なものを提供するようになった。

Uberがタクシーに代わり、Airbnbがホテルに代わり、ハンドメイド作家が物を売るようになった。

これからは、個人が気が向いたときにだけ出す喫茶店やレストランなんかも出てくるだろう。

その一方で、国よりも権力を持つ企業も多くなってきた。

これからの社会はどうなるのだろう。

プラットフォームとしての企業が世の中の仕組みを作り、
その上で売買されるものは個人対個人。
そして、国の役割はその中でほとんど無くなるのではないだろうか。

カノッサの屈辱では、皇帝と教皇が対立し、支配的だった宗教を国という概念が取って代わろうとした(が、国が負けた)

だが、その後の歴史の中で、宗教という権力から国という権力に、権力が移り、国が社会の形を整えた。同じように、今も、国といいう権力から、企業という権力に権力が移っている。
そして、企業が社会の形(プラットフォーム)を整えつつある。

だが、まだ、企業が社会の形を作るときの哲学がない。

宗教が社会の形を作った時は、宗教という哲学・倫理観があった。
国にも、法律という倫理観が作られた。
次は、企業が作るプラットフォームが支配する空間での倫理観が必要だが、それがない。

きっと、今、見えてきている、sharing economyとか、評価経済とか、そういうものが、新しい倫理観のベースになるのではないだろうか。

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