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友達の会話の輪への入り方・立ち回り、というかそもそも友達ってどうやって作ったりなるんだっけ?

どうも、とったんです。

何度も話していることだが、ぼくは友達が少ない。
学生時代は一人で過ごす時間が多かったし、クラスで発言する回数も少なかった。
いわゆるコミュ障である。
だからか、一対多の会話に、いまだに苦手意識を持っている。会話の輪の中に入っていけない…!

教室などで顕著なのだが、集団の中には目には見えないグループ分けがある。仲が良いもの同士で構成されたグループが成立していて、独特の空気を放っている。
勝手に入ろうものなら「は?(あんたはこのグループじゃないから)入ってこないで」と拒絶される、そんなイメージがある。ただの思い込みかもしれないが、仲良しグループにいきなり知らんやつがいたら普通は(なんだこいつ…)となると思う。

仲良しグループの中にも空気感みたいなものがあって、その集団ごとに集団内の許容されている(求められている)ノリが異なる。
なんやかんやでその集団に入れてもらえたとしても、普段から浮いてるぼくが集団に適した話ができるとは思えない。空気を壊さないためにお地蔵様のごとく黙って相づちを打つのに徹しそうである。(なんかそれはそれで気持ち悪いな…)

でも、それこそ集団内の話題テーマは、ゲームで言うところの「環境」のようなものだと思う。
流行や鉄板ネタのテーマがtear1をとってるのである。
「会話デッキ(コミュ障なVtuberが産み出した、会話の話題をカードゲームのカードに例えて、この話題が来たらこの話題をコンボで繋ぐみたいなパターンを構築すること)」という言葉があるように会話の本質はカードゲームの駆け引きに近しいものがある。ゲームの上級者の駆け引きは「対話」と言われるしね。

まあ、ぼくにはその、カードゲームの話で盛り上がれる友達すら希薄なんですけどね!!!!!

というか、そもそも友達ってみんなどうやってつくって増やしてるんだろうか?人体錬成でもしてる?
大半の人は友達の作り方を学校で覚えるものらしいけど、こちとら友達の定義すら定かではない悲しいモンスター、いやクリーチャーである。

一回遊んだら友達。それは小学生なら成立する友達の条件だ。いや、今日日の小学生の友達の定義はもっとシビアなのかもしれない。面白かったり、遊べるゲームを持ってたり、みたいな現金な理由が必要なのかもしれない。

思えば、学校という環境は身分も立場も境遇も異なる人間が共同生活する場所だった。たまたま生まれ年が同じで同じ部屋に集まったのである。
こういうとなんかちょっとエモいが、現実はスクールカーストの見えない壁やグループによる断絶があるのでおいそれとだれでも会話できる訳じゃないのだけれど…。

社会人になった(大人になった、ではないのがポイント)今、友達を作る難しさはより一層増した。出不精なのもあって外との交流はより減ってしまった。

人は一人では生きていけないものなので生存戦略的にも友達を増やすのは有効なのは分かっている。分かってはいるが、友達の作り方がわからない。
大人の付き合い、というか見知らぬ他人でも話すことができるようになったからこそ、友達という感覚が希薄になってる気がする。

そういえば「男女の友情は成立する?」みたいな問い、あれは何なんすかね?
男と女がいたらそこには恋愛はついて回るものだ、みたいな恋愛至上主義のたわごとだろうか。
そうじゃなくて、「友達として見てたけど、どっかのタイミングで恋愛対象として好きになり始めて、でも告白したらこの友達という関係が壊れちゃうんじゃね…?」っていうことだよね?
それに関しては告白して振られたとしても友達としての関係は続けようね、とかフォローすればいいのだろうけど…と他人事だから適当なこと言ってみたり。まあ片思いを拗らせすぎて告白せず普通に疎遠になってしまったぼくみたいのもいるから。何の説得力もなかったね!

まあぼくなんて恋愛対象としては見れない珍獣的クリーチャーだから、動物園の檻から眺めるつもりで男女問わず友達になってください。
…自分で言ってて悲しくなってきた。
人を珍獣呼ばわりは尊厳を一番踏みにじってる感じがするぜ…!
そんなわけでヒトモドキこと、とったんを
コンゴトモ ヨロシク…

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