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[0円小説] 蛇と朝顔

(この作品は純粋な創作であり、登場する事象はすべて作者の空想に基づきます。現実の世界との類似はすべて神の悪戯にすぎませんのでご了承ください)

北インド・ハリドワルは亜熱帯の南国である。四月も半ばに差し掛かると日射しは容赦なく照りつけた。

とはいえ北にヒマラヤ山脈を控え、一年を通して雪山からの冷気が聖なるガンガーによって運ばれてくるものだから、空気は比較的ひんやりとしている。平地ではあるが、日本の夏山を思わせる気候だ。

舗装のされないままの乾いて土ぼこりの舞う駐車場から熱気が押し寄せてくるのを扉は締め切って防いでしまえば、煉瓦を積み、鉄筋と組み合わせて作った巡礼宿の内部は天井扇からの優しい風で十分居心地がよかった。

この北インド有数の巡礼地は、北緯でいうと29度58分に当たり、これは北緯30度付近に位置する屋久島よりわずかに南方ということになる。

ジロウは緯度という地球がまとった架空の腹巻きのごとき模様を思い浮かべながら、島のねっとりと湿った大気の中にいるのではなく、乾燥した空気のせいもあり、喉の痛みを感じながら文章を綴っている自分の境遇を思った。

それは島で暮らしたいというような強い願望ではなかった。

そもそもジロウは、どこで何がしたいというような主体的な欲求に乏しい人間だった。

もちろんその場その時で、あれがしたい、これはいやだという選り好みと毛嫌いに振り回されるのは人間としての常だったが、おおむね人生を流されるままに生きてきて、時には何で俺がこんな目にと、泣き言を思う日々も過ごしてはきたが、還暦が近づき、体力は衰え、様々な化学物質が影響すると思われる体調不良に悩まされながらも、まあとにかく食うものにも困らず生きていられるのだからそれでいいじゃないかと、ともすれば低空飛行に流れがちな気分をなだめながら、漠然と呆然と雑然と、今ここにはない島の幻を体の隅々まで味わってみようかと、深い呼吸に意識を向けたのだ。

2010年の春に極東の島国を離れて、天使の都で待つ妻ムーコのもとへ大荷物を抱えて辿り着いたときには、長く母国を離れるつもりはなかった。

日本が苦手なムーコは当分帰国しないつもり十二分で、数年前からタイやインドのあちこちを一人巡っていたが、ジロウは日本を離れて暮らしていけるだけの甲斐性が自分にあるとは思えないまま、取り合えずムーコの話に合わせて仕事をやめ、出国しただけのことだったのである。

それがどうだろう。3.11後の五月あたまに一旦は帰国したものの、結局日本に居つくことはできず、夏にはまた日本を離れた。その後何度か帰国はしたものの、日本に根を下ろすことができないまま、暦はとうに一巡りした。

そんなふうに海外暮らしをしているジロウたちが、たまの帰国時に福岡に住む長兄のイチロウ夫婦に会うと、義理の姉のヤーコはわたしたちもいずれ日本を離れて気楽にすごしたいから、いろいろ教えてほしいわなどと声をかけてくれるのだった。

ジロウはそれを聞いて、義姉はとても几帳面に何でも調べることのできる人だから、自分のような成り行き任せに生きている人間には、ほとんど役に立てることはないだろうなと思いつつも、そうですね、何かあればご相談くださいなどと返事をしていたが、何しろそれもずいぶん昔の話だ。

二年前には東京の実家の親父も亡くなり、昨年には兄も定年を迎えて、追加の五年は嘱託というのだろうか、同じ職場で働くようだが、そのあとは東京に住もうかと考えているという話を聞くことになった。

そのときも、まだ五年も先の話だから、実際にはどうなるか分からないよなと思いはした。

そして実際に月日が流れてみれば、未来のことなど予測不能だということを思い知らされるのである。

兄夫婦にはタルコ人の友だちがいて、ペリのカフェでその友と談笑する写真が社交電網に流れていたりもしたし、物価が安いということもあって、アジアに家族旅行で行ったことも聞いていたが、退職後の第二の人生は南米で送るのだという。

東京に戻るはずが南米に行くことになろうと南極に移住することになろうと、難局に直面するのでなければ、何でも好きなようにすればいいというだけのことだが、チョリのピタゴニアで外人旅行者向けの安宿をやるというのは意外な話だった。

ピタゴニアと聞いてもジロウには山用品の会社が思い浮かぶくらいのもので、自分の母国からすれば地球の真裏の辺りだなという至って抽象的な感興が湧くだけだった。

「人生というのは結局、出会いなんだよな」兄のイチロウがそう言うのを聞いて、ジロウは向かいの席に座る兄の顔にじっと見入った。
いつもなら兄夫婦とジロウの夫婦の四人で食事をするところだったが、今回は妻のムーコが熊本の実家に用事があったのでジロウは一人でヘカタに出向き、兄と二人で会うことになったのだった。駅ビルにあるタイ料理屋で、ジロウは久しぶりにビア・シンの苦味を味わっていた。
定年後は東京でのんびり年金暮らしという、おっとりとした兄ならば確かに、生まれ故郷の文化的遊園地でそれも悪くない人生なのだろうと、しばらく前に亡くなった親父の晩年に重ねながら思ってもいたジロウからすれば、どんな出会いがあったにしても、ちょっと旅行で行ってみた南米の僻地で、いきなり安宿の経営など、むろん金目当てではないとはいえ、とにかくいくつもの困難が思い浮かぶばかりで、現実感が湧く話題ではなかった。
しかし熱く語る兄の顔を見ているうちにふと質問が口をついて出た。
「ピタゴニアの何がそんなに気に入ったの?」
「風だね」間髪入れずに答えが返ってきた。「ピタゴニアは風の大地とも嵐の大地とも呼ばれてる。とんでもなく強い風が吹く土地なんだ。風がすべてを動かしてくれる。厳しいけれど、動き続ける土地柄なんだ。その動き続ける大地にへばりついて人間が生きるというのがおもしろいじゃないか」
そう聞いてジロウはハリドワルを流れるガンガーを思い浮かべた。ヒマラヤから降りてきたガンガーは、イギリスの植民地時代に作られた運河となってハリドワルの街に沿って流れ、沐浴場を形作っている。運河の掃除のために時に水門が閉じられることはあるが、基本的に一年中ヒマラヤの万年雪からの水が滔々と流れ続けるのだ。その力強い流れを見ていると、この世のあらゆる淀みは流され浄められ、その変化のただ中で人は生きるしかないのだと、ジロウは再確認することになる。
ピタゴニアの風もそれに似たものなのだろう。
地水火風空、五大の元素のどの一つもがこの世の変転を現し、そのいずれが人の心をつかむかはまたその人次第のこと、ジロウ自身は水に惹かれる自分を多く見いだすが、風に誘われるのもまた楽しいことではないか……。

「それでその宿の名前というのがね」兄の話は続いていた。
プエルト・ヌタレスという街でたまたま泊まったのが蛇猫旅社という変わった名前の宿で、香港人がオーナーの安宿だったのだという。気のいい
そのオーナーと世間話をしているうちに、話はとんとんと進み、その宿をまるごと譲り受けることになったのだと。
「さすがに蛇猫のままじゃ名前がなんだから、キャットテイル・ロッジにしようと思ってね」
なるほど、ラリイ・ニーヴンの「リング・ワールド」、いや「時間外世界」だったか、とジロウは思った。頭と尻尾だけで胴も手足もないキャットテイルは、形としては蛇猫としかいいようがないが、名前を引き継ぎつつ、ひねりを加えるのはいいセンスだ。新大陸には羽毛を持つ蛇神もいたはずで、その辺りとの連想も働く。
「ああ、それはいい名前だね」
「だろう?」と言う兄は本当に幸せそうだった。
実際の経営がどうなるかなどという野暮は言うまい。
夢を見続ければいいではないか。
この世も、この人生も、我が身からすれば百年にも満たない束の間の夢にすぎない。そのことが腑に落ちてさえいれば……、人生のほとんどの局面は、たとえ苦しくても確かに微笑ましい、ささやかな幸せに満ちた小宇宙の創造の瞬間そのものなのだと、いつものようにジロウは一人よがりの悟りを決めるのだった。


*やや長いあとがき

「蛇と朝顔」という題名をつけましたが、朝顔が出てきません。朝顔は南米原産のはずなので、何かそういう挿話でも入るはずだったのがどこかに行ってしまい、しかし題名はそのままというぼくにはありがちなお粗末な話です。

ところで今作は #ネムキリスペクト 第54集の参加作で、お題は「蛇」です。そのお題との関わりも相当いい加減ですが、前々回、前回と続く「山猫三兄弟」ものの三部作完結編という主旨を勝手に優先したため、このような体たらくになっております。

さて、ジロウが身勝手な悟りを決めたところでやや唐突ながら筆を置きましたが(なお「ひとりよがりの悟りを決める」は吉井和哉氏のRAINBOW MAN より拝借した表現です。 https://amzn.to/41U6pzO 参照)、そのあとにジロウが実際ないし空想か夢の中ででもピタゴニアの蛇猫旅社に行く場面をつけ足したいようにも考えました。

それであれこれネットの記事をつまみ読みしていると、イギリスのレディ・ディキシーという女性が19世紀末にプエルト・ナタレスの辺りに冒険旅行をしていることとか、地球温暖化の影響でペルーやボリヴィアからチリやアルゼンチンにかけてアンデス山脈の氷河の減少が著しいことなど、いくつかおもしろい発見もあったのですが、じっくり空想を練る時間が見つけられず、とても話がまとまりそうになかったのであっさり諦めました。

プエルト・ナタレスというチリの小さな港街は、近くにあるトレス・デル・パイネ国立公園へトレッキングに行く人たちが立ち寄る程度の場所のようなのですが、グーグルマップで見ているとゴジラを少し丸っこくしたような奇妙な彫像の写真が出てくるんでよね。

こりゃ何じゃろうと思っていたら、トレス・デル・パイネの洞窟から地上性オオナマケモノの毛が見つかったという話がアメリカーの人の旅行記事に書いてあって、なるほどこいつか、アフリカ象ほどもある巨大動物が後ろ足と尻尾の三点立ちで、キリン並みに高い場所の葉っぱまで食っていたのが、ベーリング海峡を越えてやってきたホモ・サピエンスのせいで一万年くらい前に絶滅しちまったとはなあと感慨深くも思いまして、小松左京の「復活の日」
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を思い出すやら、手塚治虫の「火の鳥・未来編」
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だったかにも最後の一人となった人類の生き残りの場面があったなあとか、とりとめのない印象を浮かばせながら、本記事を締め括ることにいたします。

それではみなさん、ナマステジーっ。

[2023-05-23 ジパング国ヘカタにて改稿]

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