見出し画像

01 作家は儲かる商売か - カトマンズと河野典生の間 [投げ銭歓迎]

note.comで文章をつづっている人の中には、作家になりたいとか、一冊くらい紙の本が出してみたいと思っている人は多いに違いない。

かくいう私も、今となっては大昔の1977年、新井素子が星新一の絶賛を受けて17歳でデビューしたのを見て、
「じゃあ、おれもあと4年くらいのうちにはsf作家になれるかな」
と中学1年のときに世間知らずにも思ったものだが、だからといって作家になろうと小説を書き始めたわけでもなく、ただsf小説を山のように読んでいただけだったので、ただの空想は空想のまま終わり、そろそろ還暦も近づいてきた今となっても、作家になれる兆候など特に見当たるわけではない。

作家になりたいなぁと夢見ている若い人には申し訳ないような話をするが、もう紙の本が売れる時代は終わり、それでは電子書籍は売れるのかというと、これも大して売れているわけでもない。

今や一部の売れるものが書ける作家を除けば、職業としての作家はもはや成り立たない状態に逆戻りしてしまったのだと言っても決して間違いはない時代なのだから、そのことをきちんと理解した上で文章をつづることこそが、表現欲求やそれを通して自己承認欲求を満たそうという人間としてはしごく真っ当な態度なのだと、ここに21世紀初頭のポスト3.11時代における1つの認識を示しておきたいと思う。(←大げさ)

ところでぼくは、大学を出て2年弱会社勤めをしたところで、普通のニホン人的人生をドロップアウトしてしまった人間である。

本人としては普通の路線から落っこちたと考えているわけではなくて、元からはみ出していた感性のままに、ただ横道にそれて歩いていっただけのことなのだが、気がつくと北インドの聖地ハリドワルで、新型コロナ騒動に出っ食わして早1年が過ぎ、12年に一度の大祭クンブメラを「今年は人が少なくて丁度いいな」と暢気に初体験しているところである。

このインド滞在につながるきっかけというものを考えてみると、会社をやめることが決まって、じゃあ少し長く海外にでも行ってやるかと思い立ったとき、デビュー前の山田正紀のような長期放浪に憧れを感じたはしたものの、1990年当時はインターネットといってもまだごく一部の研究者がメイルと掲示板的システムを使っていた程度で、今のようにいろんな情報が気軽に集められる時代でもなかったし、そもそもヘタレなぼくは海外でバイトをしながらの放浪生活なんておれにはムリムリと、実家最寄り駅である駒沢大学駅そばのマルエツの2階にあった本屋でずらり並んだ「地球の歩き方」に目を走らせて、ネパールの巻をなんとなく手に取った。

ヒマラヤと宗教の国ネパール、いい響きじゃないか。

会社は1月にやめることにしてあったので、2月中旬からひと月ほどで考えると、季節的にもネパールは打ってつけだった。エア・エイジアのような格安航空会社はまだない時代だから、成田からバンコクまではエア・インディアの格安航空券で往復し、これの期限が最大28日間の旅行日程。バンコクで一泊したのちに、バンコクとカトマンズはロイヤル・ネパール航空で往復する。

ネパールでの体験については今は多くを書かないが、世界最貧国の1つとも言われるヒマラヤの南麓の国で、中世の古都がそのまま置き去りにされたようなカトマンズをぶらぶらと歩き、西の保養地ポカラから車もバイクも通れぬ山道を1週間に渡ってトレッキングし、釈迦の生誕地のぼろぼろの巡礼宿に泊まり、インド平原の国立公園で車のトラブルに見舞われながら孔雀を眺め、サイに追われて木に駆け登った日々が、全身に染み渡って発酵し熟成した結果、今のぼくがあるのだなと、こうやって湧き出してくる文章をしたためていると改めて感慨深く思わざるをえない。

ここで話は一転して河野典生という有名とは言えない作家のことを少しばかり書く。

河野典生はぼくにとっては早川書房から『緑の時代』や『街の博物誌』を出しているsf系の幻想小説作家なのだが、もともとはハードボイルドを書いていた人であり、ジャズにも造詣の深い人である。

sf的幻想小説という意味ではレイ・ブラッドベリの影響を受けていると思われるし、ハードボイルドやジャズも広くアメリカ文化の影響を受けていると言える。

氏は1935年生れなので、敗戦を10歳のときに迎え、進駐軍を先頭にアメリカから押し寄せる怒涛の大波を、頭のてっぺんから足のつま先まで叩きつけられたに違いない。

1949年生れでひと回りあとの世代であり、やはりアメリカから流れてくる空気を吸って世界に羽ばたいた村上春樹の先輩格ということもできるだろう。

そんな河野に『カトマンズ・イエティ・ハウス』という短編集があることは、少し前から知っていたような気もするのだが、先日こちらの記事で改めてその名を見かけた。

読書感想文:カトマンズ・イエティ・ハウス/河野典生|高梨 蓮https://note.com/takanashiren/n/n270e05c1d902

この中でビートニクという言葉が使われているのを見て、なるほど1935年生まれで59年にデビューしている河野は、ヒッピーと呼ぶよりも、ビートという言葉の方が似合うかもしれないなと感じた。

アメリカで生まれた文学の一潮流としてのビートは、そしてその主要人物であるジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・S・バロヴズといった名も、この記事を読んでくださってている皆さんにはほとんど馴染みもないだろうが、1955年にサンフランシスコでこの運動体の活動が花開くことによって、のちにヒッピー文化が世界中に広がるための種が蒔かれたことになる。

『カトマンズ・イエティ・ハウス』は表題作も未読だが、上記の記事によると大麻も出てくるヒッピーものらしい。

初めてのカトマンズで、山の上の寺へと向かう一直線の階段をえっちらおっちら登っていたとき、ふいに横手から薄汚れた男が現れて「ハシシ?ハシシ?」と呼びかけてきたのを思い出す。

その頃は薬には興味など持たなかったから、まったく無視して横見もせずに、山の上を目指して歩き続けたものだけれど。

ちょっと長くなったので、この記事はこのくらいで切り上げて、河野典生とヒッピーを巡る話の続きは、機会を改めて書くことにしたい。

多くの人が関心を持つものには思えないが、ある種の記録として、インド滞在中の雑感なども交えながら、薬や瞑想による変性意識などにも筆を伸ばしてつづることができたらいいなと思う。

続きが読んでみたいと思ってくれた方は、どうぞスキやコメントでぜひ意思表示を願います。

てなことでみなさん、ナマステ・ジ!

☆この記事で触れた作品

河野典生『緑の時代』
https://amzn.to/2PxyldE

・現実を超現実(幻想)の世界に解放していくのがファンタジー

 緑色の苔におおわれ、人も建物も風化していく新宿……その緑の世界を闊歩するヒッピーたちの姿を通して、自由な魂を謳いあげる表題作ほか、子供の姿をした作者が内側から子供たちの世界を描き、おとなたちの失われた故郷をかたる「子供の情景」、見すてられた草原となった東京の街にSLを走らせるため生命をかけるひとりの老人と少年たちを描いた「機関車、草原に」など、独自のファンタジーを追い求める著者が、内部に結晶するイメージを、ひとつひとつつまみあげ、小さく繊細な、しかしじゅうぶんに堅固な宇宙を創造していく傑作SF短篇集。

河野典生『街の博物誌』
https://amzn.to/3dBuJiC

河野典生『カトマンズ・イエティ・ハウス』
https://amzn.to/3dw7Fln

・十四の街角を曲がり……喧噪から瞑想へ、現実から幻想への旅

 言いわすれたが、おれはケイ。齢は二十二。日本の情報は少しは入る。いま、やっているバイトのせいさ。バイトは、いうならばガイドだった。二、三年前にここにいた日本から来た放浪族が、どういうぐあいか、つけたコネを、つぎつぎいろんなやつが引き継いで、おれのところまでまわって来ていた。(「カトマンズ・イエティ・ハウス」より)
 のっぺらぼうの人間などあり得ず、常ならぬ部分、ゆがんだ部分は誰にでもある。どこか「常ならぬ部分」をかかえこんだ人びとを描いた短篇集。

#エッセイ #コラム #望洋亭日乗

[みなさまの暖かいスキ・シェア・サポートが、巡りめぐって世界を豊かにしてゆくことを、いつも願っております]

いつもサポートありがとうございます。みなさんの100円のサポートによって、こちらインドでは約2kgのバナナを買うことができます。これは絶滅危惧種としべえザウルス1匹を2-3日養うことができる量になります。缶コーヒーひと缶を飲んだつもりになって、ぜひともサポートをご検討ください♬