見出し画像

[全文無料・詩小説] 人の道を踏み外したこと、ありますか?

01 とりあえず生(なま)

平凡な暮らしがしたかった、
などというつもりはありません。

日々淡々と会社勤めをする父の、
あまり楽しくなさそうな背中を見て育ち、
会社員にだけはなりたくないな、
と思っていたぼくなのです。

それでも学校を出るときには興味本意で、
普通に就職をしたのだから呑気なものです。

この機会を逃したら、
会社勤めなどすることもないだろうし、
まあとりあえず二、三年。

どこにでもいる日本の会社員が、
呑み屋に入ってまずは生ビールを頼むような、
そんな気持ちでぼくは社会人になったのです。


そこまで書いてジロウは、キーボードを打つ手を休めた。背中の方、左手からはインド製の強力な扇風機がぶんぶん回る音が響いてくる。
八月の終わり、ここ何日か雨も降らず日差しは暑いが、コンクリと煉瓦で作られた部屋の中は案外涼しい。涼しくはあるのだが、窓が一方向にしかなく空気の流れが悪いので、扇風機をぶん回しているのだ。
小腹が空いたのを感じてクリームクラッカーを二枚口に入れる。時間は午前11時過ぎ、あと30分もすれば寄宿しているヒンズー寺の昼飯の時間だ。
精霊小路歴程(ghost town odyssey)、それが今日の主題なのだが、ジロウの頭の中では、ぼんやりとしたいくつかの言葉や観想が浮かんでは消えるばかりで、来し方も分からなければ、先行きを知りようもない、いつも通りの堂々巡りがあるだけのこと。暗中を模索するわけでもなく、薄明のなかそぞろ歩けばいいだけのことだとジロウは自分に言い聞かせて、その魂の次の一歩を探った。

02 月面宙返り

会社勤めはね、うん、全くつまらなかったよ。
二年足らずでやめちゃったけどね。
社会生活というやつが向いてないのさ。

向いてなくても金を稼がなくちゃ生きていけないと思って、
流れのままに適当な賃仕事を続けてきたけどね、
それもいつのまにやら何だかうやむやになって、
それでも食うには困らずにいるんだから、
まあ、それでいいじゃないか。

ところでニホンの夏と言えば、ヒロシマ・ナガサキ・敗戦の日だろ。
電網上の時間線にも負け戦の話題が流れてくるわけさ。
それでしばらく前から気になっていた大岡昇平の「野火」を読んでね。
戦争で南の島へ送られて補給物資も量食もなく、山林・野山を右往左往、挙げ句の果ては人肉まで食って生き延びて、その大変な経験を帰国後、精神病院で書きましたと、そんなふうにまとめてしまえば、ああ、それはとんでもない目に遭いましたね、ご同情いたしますと、それ以外の感想は特に浮かんでもこなかったよ。

大岡は1909年、明治で言えば42年の生まれ、父方のじいちゃんよりは九つ下だな。敗戦の年には36歳だ。そして1952年、43歳になる年に「野火」を発表している。

うちの親父は敗戦時にはまだ14歳、一夜にして鬼畜米英がひっくり返って、現人神は貧相なおっさんになって敵の若き大将の弟分扱いの写真が出回ったんだから、ぶったまげたに違いない。親父は、そして親父のような年齢のニッポンの子どもたちは、みな月面宙返りを強制させられたような気分だったかもしれない。

その親父も二年前に死んじまったし、戦争の話などほとんど聞いたこともなかったが、死ぬ数年前に一度、空襲を受けた経験はあるのかと訊ねてみたことがある。

じいさんはそこそこに大きな建築会社に勤めていて現場仕事をしていた。多分国の仕事でも受けていたんだろう、戦争末期には敦賀で仕事をしていたから、親父も含め家族全員そこで暮らしていた。

そのときの親父の返事は、空襲はあったが実際の被害には遭ってないというようなもので、敦賀は日本海側だしそれほどの空襲はなかったのかと早合点していたが、今ウィキを見ると、1945年7月12日B29百機あまりが敦賀に来襲、焼夷弾により市街地の80パーセント以上焼失、死者百名以上、被災者二万人近くとのことで、日本海側としてはかなり大規模な空襲だったことが書かれている。

とまあ、
親父にとっては70年以上前の、
それほどひどい目にも遭わなかった戦争の日の遠い記憶は、
深いもやの中に大方うもれてしまっているのかなと、
そんな印象を受けたのを思い出すのです。


借りている巡礼宿の部屋を出て、外に面した廊下を通り、階段をぐるぐると二階分降りると、寺の中庭に出る。
陽光に明るく照らされた中庭の向かい側の、ちょうど建物の影になって涼しい地べたのところにずらりと巡礼客があぐらをかいて座り込み、大皿(ターリー)に盛ったカレーを皆で食べている。
それを横目に見てジロウは、左手の大きな鉄製の門についた小さな扉を潜り、隣の寺を目指してもう一つの通路を兼ねた中庭を歩いてゆく。
こちらの中庭は両側に六階建ての巨大な巡礼宿が建ち並び、建物の前には木々が生やしてある。今の季節はほとんど花はなく緑一色に近いが、あちらにはバナナが、こちらには椰子が、勝手気ままに生えており、熱帯らしく気根を垂らす木もあって、暑い日差しに陰を作り、目を休ませてくれた。
宿を借りている寺も隣の寺も、どちらもジュナ・アカラというインド最大の行者集団の運営だが、ジロウの妻が隣のベイロウ寺の手伝いをボランティアでしていることから、昼飯はベイロウ寺で食べさせてもらっている。
煉瓦積みの素朴な階段を上がって、二階にある食堂に入った。
寺の行者たちはプラスティックの椅子と食卓で食事を取るが、一般の人間はここでもタイル張りの床に座る部分だけ布が敷いてあり、そこにあぐらをかいて座り飯を食う。
大皿(ターリー)にはご飯と無発酵平焼きパン(ロティ)が盛られ、おかずに豆カレー(ダル)が付くのはほぼ毎日のこと、二品目のおかずはじゃがいもと隠元の野菜カレー(サブジ)で、今日はさらにヨーグルト(ダヒ)が付いた。サブジが辛めで油っこいので、ダヒが付くのはさっぱりしてありがたい。
ご飯とダルを手でこねて、ちぎったロティでそれを包み、サブジやダヒを適当に合わせながら、口に放り込んでは噛み締めた。ジロウのささやかにして幸せなひと時である。

03 我うたた寝を愛す

飯を食ったら、我が部屋に帰り、
うたた寝をむさぼって、うつつを忘れます。

さっき食堂ですれ違ったうちの奥さんは、
今もお寺の手伝いをしていることでしょう。

こんなに自堕落でいいのだろうかと、
まったく自問しないわけでもないんですよ。

でも考えれば考えるほど、これでいいのだー、
天才バカボンのパパなのだー、国会で青島幸夫が決めたのだーと、
頭のなか虚ろな文字の羅列が炸裂、

レレレのおじさんも周利槃特(チューラパンタカ)の、
悟りを決めて今ごろは、あの世でお遊びのことでしょう、
西方極楽の隅々までも、
右に左に箒で掃いて、
今日もわれわれ衆生のために、
濁世を浄めてくださってる、

賛成の反対の反体制の、
塩基(アルカリ)性のありもしない悟性が、
色即是空で空即是色、
道を七色に照らして下さる、
われらが悲願の彼岸の浄土、
ちょうどお後もよろしいようで、
ここらで一旦お休みします。

目覚めたままの白昼夢、
見続け寝言を振り撒き続け、
うつつを抜かしてひと休み。


そろそろ六時が近い。西日が当たる入り口側の廊下はまだ生ぬるい暑気を放っているが、部屋に差し混む日の光はすっかり橙色に染まって、室内の白いタイルの床と白く塗られた壁の一部を幾何学模様に切り取って照らしている。

入り口から外に向けてあるインド製強力扇風機はずっと回しっぱなしで、ぶんぶんぶんぶんと唸り続けている。入り口に吊るしたカーテン代わりの布が風に煽られて旗めいて、ジロウの正面の壁に忙しく影を動かしていた。
文字を綴るのに疲れて、ジロウは立ち上がり強力扇風機のスイッチを切った。風切り音が止んで、遠くから音楽と歌が聴こえてくる。寺のお堂では、鍵盤と太鼓とマイクの三点セットで、神に楽曲を捧げ歌っているのだ。
風が止まるとやや蒸し暑さを感じる。扇風機のスイッチをまた入れた。風切り音に隠れながらも、アンプで拡大された太鼓の低音が鳴っているのが聴こえる。インドの聖地では日々そのようにして、神々に命が吹き込まれているのだとジロウは思った。

変だな。今日は少し自分の人生を振り返るつもりだったのに。いやもちろんそうなってないからと言って、実際には何も変なことはなくて、いつも通りに行き当たりばったりなだけだ。それはまったく仕方がないことなので、とすれば今必要なのは、あまりに切れ切れでまとまりがつかなくて、何のことやら人様には見当もつきかねるこの出鱈目の文章に、曲がりなりにも目鼻をつけて、子どもの無邪気にでも見せかけることに成功すれば、神々もゆるり乱舞をしてくださって、何とか渾沌帝も生き延びることができよう。

そうしてジロウは結びの節に取りかかった。

04 夜の屋台の揚げバーガー

物語には始まりが必要です。
主人公の生まれたところから始めてみましょうか。
とはいえ凡庸な人間の、平凡な生まれをあれこれと、書いてみたところで、果たしてどなたが読んでくださることやら。
ならば、さして特徴もないこの人物が、普通の人からすれば安全安心で悪くない行き先につながりそうだったせっかくの人生の道行きを、どのような塩梅にうっかりと、踏み外してしまったのかを書いてみるかと思ったのです。

でもほら、そうは言ってもね、うっかりやっちゃった、本当にうっかりとね、それだけの話なんですよ。どのようにとかこのようにとか、説明するほどのこともないわけでして、まさにうっかり、はなはだうっかりってことなんです。
とはいえ、せっかくこうしてお会いしたんですし、聞きたいとおっしゃるんなら、いや、でもそれは話せないと、強くいうほどの理由もないんですけど、とにかく今日はやめときましょう。

結局ぼくの人生なんて、うっかりの連続なんです。縦糸もうっかりなら、横糸だってうっかり。おまけに妙な斜めの明後日の方向にもうっかりしっかり意図がこんがらがっちゃってますから、本当に目も当てられないってもんでして。

ま、この世界自体がうっかり者の神様の仕業じゃないかとぼくは疑ってますから、そんな世界にこんな人生ってわけで、案外悪くない人生を送ってるじゃないかと自分で自分に言い聞かせてるんですけどね。ええ、自己催眠ってやつですよ、これも一つの生活の知恵でして。

ですからとにかく、食うに困るような人生じゃあなかったし、人や社会を恨むほどの不幸に出っ食わしたわけでもなし、人並み以上の大失恋くらいはしましたから、不安定な実存の根っこのぐらぐらで長くしつこい抑鬱的気分の低空飛行時代も堪能しましたけど、そんなのもやっぱりありふれた話でしかないわけで、わざわざ細々(こまごま)話すほどのことでもないじゃないですか。

じゃあ一体何についてなら話す意味があるのかってえことですが、まあお好きな方は戦争の話でもすればいいわけですし、政治が嫌いな方は政治の悪口でも言ってりゃいいわけで、はい、ですからぼくには何にも話すべきことなんてないんです、つまるところそこに話は戻ってきちゃうんです。

そういうわけでせっかくの一期一会の機会ではありますが、話す話題などこれっぽっちもなくて、聞かれたことにもロクに答えないひねくれ者のぼんくら頭から、問わず語りに漏れ出してくるのがこの、自堕落で補陀楽(ポータラカ)な想念の数珠つなぎと観念していただいて、松の木はみなしだれて南無観世音、ハリドワルは夜の七時、東京は夜の十時半でまだ宵の口、熱帯天竺では南国の暑い夏の陽(ひ)も釣瓶落としにすとんと落ちて暗くなり、骸骨の上を装うて夕涼み、ぼくは賑やかな通りにふらふらと歩み出し、揚げベジ・バーガーを一つ屋台で買い求めて、チャイ屋に入ると砂糖抜きのチャイを一杯所望、齡(よわい)九十歳でなくなり天に上った親父も、この平和な有り様を見て、優しく頷いてくれているに違いありません。

[追記]
(で、幽霊小道の裏路地とかいう話はどうなったの?)
ええ、そのことなんですがね、実はこの話の全体が妖怪どもの怪奇譚という趣向でして。
(そんな伏線、どこかにあったかね)
いやそいつを言われると困っちまうんですが、何せ今回は伏線なんて贅沢は言ってられないやっつけ仕事なもんで。
(人様からおあしをいただくつもりの文章を、やっつけ仕事とはひどいもんだ)
そこんとこは、はなっから人の道を踏み外してるとお断りしております。
(そんなばかな言い訳が通じるもんかい)
ははは、通じるかどうかは読者の皆さまのご寛恕次第というわけでございます。
(まあ、それはいいことにしよう、で、妖怪譚ならどうなるんだい)
はあ、ですから、人間の皮を被った妖怪どもが、表通りを大手を振っては歩けないもので、それなりに遠慮をしながらちょろちょろと怨霊などにもなりましって、裏街道で羽目を外しているような次第でして。
(名のある文学者まで怨霊扱いするとは、お前もふてえ野郎だな)
いえいえ、文士の先生ではございますが、自ら狂人と称して作品をものしてらっしゃるんですから、怨霊と呼ばれて悪い気もしますまい。
(よろしい、すでに鬼籍に入ってらっしゃる先生のことだ、大目に見てくださることだろう)
はい、そんなところでございまして、うちの親父やじいさんと並んで、お空の上から生ぬるく見守ってくださるよう、お祈り申し上げる次第でございます。

[以下、有料部にはあとがき代わりにインドの食べ物の話を置きます。投げ銭がてらお読みいただければ幸いです]

ここから先は

1,271字

¥ 200

いつもサポートありがとうございます。みなさんの100円のサポートによって、こちらインドでは約2kgのバナナを買うことができます。これは絶滅危惧種としべえザウルス1匹を2-3日養うことができる量になります。缶コーヒーひと缶を飲んだつもりになって、ぜひともサポートをご検討ください♬