「遊び」や「休み」に罪悪感を持たない方法
お疲れ様です。
としぞーです。
服装に全く興味がない僕は「春物」「秋物」という概念を持っていません。
そのため「夏っぽい服装」の次は「冬っぽい服装」に切り替わるのですが、毎年この寒くなり始める季節に、どうしてもおかしなギャップが現れます。
半袖だと寒いし、セーターだと暑い的な。
そして、そうやって困ることを知っているくせに、それを改善しようとする気が起きません。これはなんという病気なんでしょう?
さて。
今回は個人ビジネスにおける「遊び」と「休み」について書きたいと思います。
この記事をご覧の方の多くは、個人でビジネスをしている(志している)方、フリーランスの方だと思います。
で、特にそういう人種って「遊び」とか「休み」に罪悪感を抱えがちなんですよね。
せっかくの「遊び」なのにどうもモヤモヤする。
「休み」を取ったは良いものの、気になって仕事をしてしまう。
こんなことって結構あるのではないでしょうか?
一概には言えないですけど、上記のような状態ってある意味不幸じゃないですか。なんのために仕事をしているのかと考えたら、それはきっと幸せになるためであって、仕事のために仕事以外の時間をモヤモヤさせることではないはずです。
でも、構造上どうしてもそのような症状が現れてしまう。
今回は、そんな状態を改善する方法論について書きます。
きっと参考になるはずです。
ぜひ最後までお読みください!
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前書きでも触れましたが、個人規模でのビジネスをしている人は「遊び」や「休み」に罪悪感を感じがちです。
その解決策を提示する前に、まずは罪悪感を感じてしまう理由について考えてみましょう。
まずパッと思いつく理由は「遊び」や「休み」の時間も事実上仕事ができるからというものがありますね。
個人のビジネスは、誰かに指示されてやるものではありません。
もちろん取引先がいれば、ある程度は取引先のペースで仕事をしなければなりませんが、基本的には仕事をするもしないも自由です。
それが個人で仕事をすることの大きなメリットでもあるわけですよね。
しかしそのメリットは、裏返ると厄介な問題に変化します。
いつでも仕事ができるということは、仕事をしていない時間をいつでも、今仕事ができるのにやっていない状態として認識できることをあらわしています。
例えば何か趣味の時間を取ったとします。
その趣味の時間も本来は仕事ができたかもしれない時間です。
いますぐその趣味を切り上げれば、すぐにでも仕事に取り掛かれます。
この状況が常に成立するので、仕事をしていない時間に対して「サボっている」という属性が、常に数%は付随してしまう。
勤め人であれば会社という仕事をする箱がありますので、その外に出たら「仕事をしなくても良い状態」が分かりやすくあらわれます。
だから、僕らみたいな業務形態と比べると、プライベートを気持ちよく過ごせるのでしょう。これは勤め人のとても大きなメリットです。
(だから、昨今のリモートワーク移行は、もしかしたら勤め人の人生充実度を低下させている可能性すらあります。まぁ散々議論され尽くされたトピックだと思うので、深くは触れませんが。)
以上のことは、個人ビジネスを実践している人のほとんどに同意してもらえる理由かと思います。
が、もっと重要なのは上記の理由の根底にあるもう一つの要因です。
それが「生産性至上主義」です。
僕たちは自分のビジネスで食っていかなくてはなりません。
食っていくためには厳しいビジネスの世界で生き残らないといけない。
ビジネスの世界で生き残るためには生産性が必要です。
より効率的に、より生産的に。
自分自身を、自分のビジネスを研ぎ澄まし、収益性を高めないといけないのです。
この考え自体は間違っていません。
それどころかビジネスには必須の考え方です。
そして、僕たちのような個人のビジネスにおいて生産性を追求すると、その材料に「自分」が含まれる割合が高くなります。
例えば大きな企業の場合、その企業の生産性のために、社長の生産性を高めたところでそこまで大きな影響はないですよね。
それよりもビジネス全体の生産性とか、部署ごとの生産性とか、人事の生産性とか、そういう全体的な部分に手を加えた方が効果的です。
一方個人ビジネスの場合、ビジネスを構成している要素の大部分を「プレイヤーの能力や状態」が占めていますので、ビジネス全体の生産性を考えたときに、その大部分が「プレイヤー自体の生産性」に関係してくるのです。
つまり
「個人ビジネスで成功したいなら、自分自身が生産性の高い人間にならないといけない」
のです。極端に言うと。
その前提がどこまでも強く染み付いていますので「遊び」や「休み」という生産性の低い行動をすることに躊躇が生まれてしまうという構造が生まれます。
だから『「遊び」や「休み」に罪悪感を持たない』ためには、生産性至上主義という厄介な問題をうまく処理しなくてはいけないのです。
前置きが長くなりましたが、そんな生産性至上主義をうまく処理する方法を一つ提示したいと思います。
まず結論から書くと、生産性至上主義をうまく処理して「遊び」や「休み」を快適に過ごすためには
「遊び」や「休み」を生産性の中に組み込んでしまう方法
が効果的です。
普通「遊び」や「休み」は生産性の外側にあるものですよね。
遊んでいても収入は発生しないし、休んでいてもお金は稼げない。
だから「遊び」「休み」=生産性がない行為=悪という図式が成り立ち、それによって当該行為に対して罪悪感を感じてしまうわけです。
でもちょっと待ってください。
このような考え方における『生産性』って超絶視野が狭くないですか?
先ほど「個人ビジネスプレイヤーは他のビジネスに比べてプレイヤーへの依存(能力や状態)が大きい」と書きました。
ということはプレイヤーの状態がビジネスの結果に大きく影響するといえるわけですね。
であるならば、プレイヤーの状態を健全に保つアクションを、生産性に組み込んでも問題ないのではないでしょうか?
極端な例を挙げます。
「休む」ことは生産的ではない。という前提の上、全く休むことなしに働き続ける人のことを考えてみましょう。
その人は結果的に考えうる最良の結果を手にすることができるでしょうか?
きっとできませんよね。
休まないことによって、プレイヤー自身の生産性が下がっていって、結果的にミスが増えたりクオリティが低下したりします。
この場合「適度な休み」があった方が、プレイヤーの状態を安定化させ、ひいてはビジネスの結果が向上する可能性が考えられます。
これは「休み」だけじゃなく「遊び」にも当てはまる考え方ですよね。
「遊び」や「休み」を単体で見ると、確かにそこに生産性はありません。
しかし少し俯瞰して眺めてみると、その行為があることによって、むしろ仕事中のプレイヤーの状態が良くなり、結果として全体の生産性が向上することなんていくらでも考えられます。
だから「遊び」や「休み」を長期的に生産性を高める行為として認めて、それを『仕事の一環として』取り入れてしまえば良いのです。
例えば、普段のビジネスでタスク管理をすると思うんですね。
普通、タスクにはビジネスにおける作業内容を羅列していくはずです。
そのタスクに「遊び」や「休み」を組み込んでしまうのです。
むしろそのようなタスクをこなさないと生産性が下がってしまうと認識して、それも仕事の一部として設定しちゃう。
そうすれば「遊び」や「休み」に感じていた罪悪感から解放されて、むしろそれを必要な行為として認めた上で、気持ちよく取り組めるようになります。
これ、マジで効果があるんです。
もちろん、だからといって「遊び」や「休み」を過度に(生産性が低下するほどという意味)取り入れるのは違うし*、「遊び」や「休み」が生産性を高めてくれる行為だという確信を持つ必要もあります。
*いや、生産性が下がるほど遊んだり休んだりするのは全然悪いことじゃないですよ。今回はあくまでも「ビジネスでうまくいくこと」を前提に話しているので、その前提の場合は上記のようになります。
ですから、その部分に関しては過去のnoteで解説した『プレイングマネージャー論』をご参照ください。
(簡単にいえば「経営者的自分」と「従業員的自分」を分離して考えて、「経営者的自分」が「従業員的自分」のためのタスクを、論理的かつ真剣に設定するという考え方)
ちなみに、僕はわりとパチンコが好きなんですね。
お金稼ぎをしたくてやるというよりかは、好きな筐体を楽しみたかったり、アドレナリンの分泌を楽しみたかったり。
で、今も週に一回ぐらい(お昼ご飯後の2時間とか)パチンコを打ちにいくんですよ。
このパチンコ。
僕は100%仕事のつもりで取り組んでますからね。
それを全力で楽しむことによって、気分がスッキリするし、脳みそを休めることができるし、また仕事をしようという意欲が湧く。
だからいつも妻には
「パチンコいってくるけど、これ仕事だからね」
と伝えていて、なぜか納得してくれます。(笑)
でも、今回書いたような認識がなければ、パチンコに行くなんて生産性がない行為の最たるものじゃないですか。悪です。完全に悪です。
その認識を持ったまま、楽しむことは不可能だと思うんですよね。
それはそれで不幸なのです。
以上の方法論は、あくまでもその場しのぎ的な応急処置です。
本当は、生産性との折り合いをうまくつけなければいけません。
僕たちが生きるこの世の中は、生産性で動いています。
資本主義の鉄則が生産性ですからね。
だから、そこから逃れるのはすごく難しいんですけど、生産性ばかりを追っていると不幸になってしまうのも事実。
(例えば大人になるとゲームができなくなったり、3時間の映画をただ見るということができなくなったりします。これは生産性に毒されていることが影響していると僕は思っています。)
そこと折り合いをつけて、ときには勇気を持って生産性を捨てることも重要だと思います。まぁ、かなり難しいんですけど。
なので、一旦根本の問題は棚上げにしておいて、とりあえずは今回提示した方法を試してみてください。
きっと大きな効果があるはずです。
今回は以上。
それではまた次回!
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