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書籍「世界は贈与でできている」を読んで

タイトル
世界は贈与でできている
サブタイトル
資本主義の「すきま」を埋める倫理学


著者 
近松悠太

著書の内容紹介(まえがきより抜粋)

(中略)
お金では買えないもの。
実は、僕らは、この正体がわかっていません。
実際、先ほどの結果が僕らの常識に反しているように見えるという点にそれぞれが示されています。
お金で買えないものとは何であり、どのようにして発生し、どのような効果を僕らにもたらすのかがわかっていない。
だから、常識に反するように思われるのです。本書では、このような、僕らが必要としているにもかかわらず、お金で買うことのできないもの及びその移動を「贈与」と呼ぶことにします。

(中略)
贈与の原理。
言語の本質を明らかにしたウィトゲンシュタイン哲学。
このふたつを理解することで、僕らはこの世界の成り立ちを知ることができます。
これが本書の目的です。
従うべきマニュアルの存在しないこの現代社会を生きるためには、哲学というテクノロジーが必要なのです。
さらに、本書の議論を通して、「生きる意味」「仕事のやりがい」といった金銭的な価値に還元できない大切なものを、どうすれば手に入れることできるのかも明らかになります。


読後に私が考えたこと
この本は哲学研究者が書いた本です。したがって、論理的な内容になっています。読後、私が考えたこともやや論理的になることと著者の言わんとすることからややずれるもしれないことを前置きしてから書きます。

ひとつめ。
「鶴の恩返しは、純粋な意味で贈与を完結させるために、正体が鶴であることを知られない必要があった。」
「親の心子知らずというのは、親の苦労を子供は知ってはならないという意味で正しい。」
とあるように、正しい贈与はレスポンスを期待するものではなく、受取人の想像にゆだねられるようなものである必要があるといいます。
しかし、実際には誰かに贈り物をするときや、親の愛にしても、贈り主がわからないままにはできないケースも多いと思います。
といったことを考えていると、渡し方が大事であって、返礼を必要と思わせないような渡し方ができるかを考える必要があると思いました。

もうひとつ。
「贈与は受け取りあうもの」とあるように、毎日を普通に暮らせていることも、社会から様々なものを享受している(贈与を受けている)からで、これを受け取ってしまったものとして気づくには、著書には「勉強」とありますが、災害や疫病などもそれを気づかせてくれることだと思います。
コロナ禍の今、普通にできていたことができなくなって、普通にあるもののありがたみを感じた人もいると思います。
また、自分にとって大切なものが何なのかをふるいにかけて、自分の人生を見直した人もいるかと思います。という意味では、今の時勢は受け取っている社会からの贈与に気づくいい機会になっているのかもしれません。

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