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二人の作家の意外な接点

『銀河を渡る』に収録された沢木耕太郎さんの「カジノ・デイズ」というエッセイを読んでいて思わず「えっ」と声が出た。バカラを始めたきっかけや自身のカジノ通いについて書かれたこのエッセイの中で、沢木さんが『新麻雀放浪記』のあとがきを書いているのを知って驚いたからだ。


驚いた理由は大小二つある。


小さな方の理由は沢木さんに博打のイメージがなかったというもの。『深夜特急』には一年に及ぶ旅行の序盤、マカオのカジノで大小という博打にはまって危うく旅行資金をすべて失いそうになるというエピソードが出てくる。博打とは無縁である「わたし」の興味を惹いたのはカジノで切った張ったを繰り返す人間そのものだった。が、サイコロの目の偶数奇数を当てるだけという、あまりにも単純な「大小」という種目に興味が移っていく。ゲームを観察するうちに「必勝法」に気づくものの、それは必勝法でもなんでもなく、負けを取り戻そうとするうちに泥沼にはまっていく。よくある話である。けれども『深夜特急』がもし完全なフィクションの小説だとしたら、カジノのエピソードはまったく不要なんじゃないかと思える程度のもので、私なんかは初めて読んだ大学生の時に「いつまでいるんだ、旅はどうなったんだよ」と思ったほどだ。終盤になってもう一度カジノが登場するのだが、そこでは結局ゲームはしない(できない)。『深夜特急』の印象が強い私にとって、沢木さんと博打の結びつきは極めて弱いものだった。


大きな方の理由は『新麻雀放浪記』をそれこそ何回も繰り返し読んでいたのに、あとがきを書いたのが沢木耕太郎さんだと知らなかったということ。『深夜特急』に魅了された私は大学生の頃、沢木さんの作品を片っ端から読んでいった時期がある。だから『新麻雀放浪記』のあとがきに印刷された沢木耕太郎の名前を見落としていたのが信じられない。濃いピンク色をした背表紙の文庫を本棚から取り出してページをめくってみると、確かにあとがきを沢木さんが書いている。さっそく読んでみたけれど確かに初めて読む文章に見える。阿佐田哲也さんの麻雀小説で『新麻雀放浪記』はマイ・ベスト・スリーに入るというのになんともうかつだった。(ちなみのあとの二つは『麻雀放浪記(一)青春編』と『ドサ健ばくち地獄』。)


十代の頃から愛読してきた二人の作家に意外な接点があることを知ったのは収穫だった。しばらくまた何冊か読み返してみようと思う。

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