天才ではないが努力の天才ではある

この記事を書くキッカケ

 この記事のタイトルはイチロー選手の

 「努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う」

 と言う言葉の一部を利用させていただいたタイトルになります。

 この言葉がしっくりくるタイミングを少し前迎えましたのでそのことについて書かせてください。

さすが、〇〇

  〇〇の部分には人の名前が入ります。

 って言われてもなんのこっちゃだと思うので僕に起きた話をさせてください。

 僕が所属している大学の学部はプログラミングを触る授業があります。というかありました。

 僕はその授業前から自学でプログラミングを触っていたこともあり、課題なども比較的簡単に済ませることができていました。

 それを知った同期がよく課題を聞きにくるようになったんです。別にこっちに不都合はなかったのでよく回答を教えていました。

 そんな中、たまたまその同期たちと学校で会いました。僕たちの学校はほとんどの授業がオンラインなので学校で会うなんて滅多になかったんです。

 会った時のメンツは僕とよく課題を聞きにくる同期3人、あとは僕のよく知らない同学部の子が2人。

 僕が知らなければ当然相手も知らないので、よく知らない子の1人が「誰?」って聞いてきました。

 僕が名前を答えると、僕が回答を教えていた子から回答を教えてもらっている子だったようで名前だけは知ってくれていました。

 すこし会話をしていくうちに会話の内容に困ったのでしょう。課題のことにちょっと触れるようになりました。

 相手の子達は口を揃えて「あの先生の課題できるなんてさすが、〇〇(僕の名前)だね」

 なんて言うんですが、僕はこれっぽっちも嬉しくなかったんです。自分が頑張っても届かないから凄さがわかるのであって理解しようとすることをやめた人からさすが、なんて言われてもねえ、ってなりました。

 そんな感じで会話を続けていくうちにわかったんです。彼らは僕がなんの苦労もしていない、と本気で思っているんだなと。元々、頭の構造が違うから、みたいに言うんです。

 いやいや、僕一日何時間もプログラミングしてますけど、って言いたくなりましたけど言いませんでした。無意味そうだったからです。

 自分で言うのも図々しいですが、そう言う意味ではイチロー選手の言葉もなんとなくわかるんです。

 なんとなくって言ったのは僕が極めるところまで行っていないからです。

 でも「さすが、〇〇」って言葉は死ぬほど努力して初めて使う言葉であるな、と彼らを反面教師にするようになりました。

最後に

 今回の記事(?)は自分への戒め、的なところが強いです。

 明日起きたら急に金持ちになってねえかなあ、とか急に英語ペラペラになってねえかなあって考えることもあるからです笑

 最後になりますが、努力の天才になるためにはやりたいことから初めてみるべきだと思います。これもイチロー選手が言っている言葉ですが。

 僕は努力の天才になれるように今はプログラミングを死ぬ気でやっていきたいと思っています。

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