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ペストとルターの宗教改革

どうしてルターの宗教改革は起こったか
ーペストと社会史から見るーを読んでみました。

昨年の最初の緊急事態宣言でステイホームしていた時、
とにかく本を読みまくっていました。
「ペスト」アルベール・カミユ(宮崎嶺雄訳)
「ベニスに死す」トーマス・マン(圓子修平訳)
を真っ先に読みました。

ペストって?

ペストとはどういう病気かを、
ささっとおさらいします。
もともとはネズミの病気で、
ペストにかかったネズミの血を吸ったノミが
人間の血を吸った時に感染します。
恐ろしいことにネズミの死亡率より
人間の死亡率の方が高く、
ペスト菌をもっているのに死なないネズミもいて
そこいら中を走り回ってノミを撒き散らすのですから
始末に悪いです。

人間が罹患すると高熱が続いて、リンパ腺が腫れ、
肺炎を起こし、皮膚が黒く変色することから、
ヨーロッパでは黒死病と呼ばれ、怖れられていました。

ペスト時代に生きたルターがなんと言っているか知りたくて
ペスト、ルターと検索するとこの本が目に飛び込んできました。

どうしてルターの宗教改革は起こったか
ーペストと社会史から見るー



タイトルに惹かれて、Amazonに注文。
手に取ったら、とまることなく
一気に読み終えてしまいました。

それほど長いものではありませんから、
ぜひお読みいただきたいので、内容は詳しくは書きませんが、
まえがき、目次、おわりに を少しご紹介したいと思います。





第二版のまえがき

ー2021年4月6日 新型コロナの世界の死亡者が300万人を超えた日にー

本書が出版されて3年後、新型コロナ・ウィルスのまさに世界席巻が起こった。
そこで過去の14世紀の黒死病に関心が向けられたが、俗説による誤解が多い。
例えば、コロナ禍の特集の新聞記事はこうある。

「中世の西ヨーロッパは神に対して敬虔でした。ところが人口の3分の1がバタバタ死んでいく。そうすると《神はいないのでは….》《どうせ死ぬなら好き勝手に》となります。[中略]ペストは従来の価値観に大きな変化をもたらしました。これがルネサンスです」
 〜2020年4月15日付朝日新聞、ゆげひろのぶ「明日へのLessons」

また、別の記事では、「14世紀にヨーロッパを襲ったペストにより封建社会が崩れ、中世ヨーロッパの社会構造が、がらりと変わった。そして、ルネサンスにつながった」
 〜2020年9月15日付朝日新聞 石井徹「朝日地球会議危機は世界を変えられるか」

感染症の研究者も以前からこう言う。ルネサンスは「ペストによる破壊的な打撃によって強制的に中世の終焉を迎えたヨーロッパに、ようやく自由や開放的な機運をもたらした」
 〜岡田晴恵『感染症は世界史を動かす』ちくま新書2006年P127

別の研究者も言う。
「半世紀にわたるペスト流行の恐怖の後、ヨーロッパはある意味で静謐で平和な時期を迎えた。[中略]やがて、ヨーロッパはイタリアを中心にルネサンスを迎え、文化的復興を遂げる。ペスト以前と以降を比較すれば、ヨーロッパ社会はまったく異なった社会へと変貌した。変貌した社会は、強力な国家形成を促し、中世は終焉を迎える」
 〜山本太郎『感染症と文明』岩波新書2011年 68p

15世紀になり、ペストから解放されて「別世界」が開けたというこの俗説は日本の世界史教科書で学んだ者同士なら通用する(だから先の4人の筆者の責任は問えない)

しかも、そもそも日本の世界史の教科書(これが問題である)はあまりに大雑把で歴史の実態から乖離している。14世紀以後、3世紀ほど続いた黒死病とその心性への影響はほとんど無視されている。(黒死病は「単独蜂」ではなく3、4世紀続く「一大山脈」である)
しかも、寒冷期のペスト期のキリスト教社会にもたされた非常に高い宗教性が無視されている。そこでは人間が神から離れ、自立した時代と見られ、ルネサンスは、黒死病がもたらした「暗黒」に対して「光明」をもたらす「近代の幕開け」という。中世は「宗教性の強い時代」、近世は「宗教性から解放された時代」であると、進歩史的に理解する。

しかし、近世の歴史はそう簡単ではない。
ひとつに、寒冷期がもたらした苦難ゆえにむしろ非常に宗教性の強い時代であった。
(しばしば戦争さえ起こした)
近世のキリスト教社会に頻発した飢饉や疫病その他の苦難は人びとの心性に強く作用し、人びとの考え方や行動に作用した。
ルターもまた苦難の時代で神の怒りに苦悶し、模索し、ついにその愛を見出した神学者で会った。本書はルターのペスト期の思想家としての側面に光を当てる。


目次


第二版まえがき

はじめに
〜ペストは宗教改革に作用した大きな要因のひとつであった〜
 第一節 西欧におけるペストの歴史的重要性
 第二節 心性の形成と「ペスト期」の提起
 第三節 ペストの終焉と啓蒙思想
 第四節 本書の課題〜ペストによる心性・思想への影響について〜
 第五節 ペストの流行が及ぼした幅広い社会的影響について

第一章 課題と《峻厳な神》の視点
 第一節 課題と《峻厳な神》の視点から宗教改革を見る 
 第二節 人びとの心性の共有から見たルター

第二章《善き神》の支配と12世紀・13世紀の時代
  〜ペストに先行する安定の時代〜
 第一節 安定の時代がもたらした第一のもの〜煉獄の誕生・普及
 第二節 安定の時代がもたらした第二のもの〜七つの秘跡の普及
 第三節 安定の時代がもたらした第三のもの〜聖母崇拝ととりなしの高まり
 第四節 カタリ派との対決から再確認したもの〜カトリックの民間信仰と包容力

第三章《峻厳な神》とドイツにおけるペストの流行
 第一節 立ちこめる暗雲〜《人を死に追いやる神》〜
 第二節 15世紀・16世紀のドイツにおけるペストの周期性

第四章 青少年期ルターの周辺とペスト
  〜宗教改革の提起頃までのルターの半生〜
 第一節 ルターの青少年期とペスト
 第二節 落雷体験と修道士への道 
 第三節 二人の弟のペスト死と修道士への道 

第五章 《峻厳な神》ゆえのルターの告解の秘跡の拒否
 第一節 ルターとドイツ神秘主義 
 第二節 袋小路の中のルターと改悛の困難さ
     〜《峻厳な神》ゆえに神を愛せぬルター
 第三節 《峻厳な神》と告解
  (一)告解の成立を妨げるルターの神観念
  (ニ)改悛の拒否と宗教改革の提起
     〜背後の《峻厳な神》の存在と共有〜
  (三)パウロの神学との出会い
     〜神観念ゆえの既成の宗教的行為の否定〜
  (四)《供養ミサ》と《煉獄》と《ペスト》の密接性
  (五)ルターによる供養ミサの否定 
  (六)ルターとスコラ学者の現実への対応の違い

おわりに
  〜《峻厳な神》の支配〜

「おわりに」からの抜粋

148ページから抜粋させていただきます。

「ルターも終わりの日は近いと言う信念にもとづいてすべての行動を行なっていた」と言われている。
「卓上語録」の筆記者によれば、ルターもみずからでこう述べているというー
 「この世が1523年に終わりになるだろうといううわさがある。望むらくは、そんなに長くならないでほしい」

 15世紀の終末意識と宗教的不安はそのまま宗教改革者に引き継がれている。
(現代の研究者である)スクリプナーはルターが実際に抱いた終末意識についてこう書いている。

 すべての改革者は、終末が差し迫っているという信念を分ちもっていた。なかでもルターがその先頭にいた。ルターは、終末の日が正確に決定されているとか、終末が人間の活動によって早められているとは信じていなかったが、黙示信仰の強い傾向が教皇庁とカトリック主義に対する彼の態度に影響を与え続けた。黙示録的情熱は16世紀後期のルター主義を構成する要素となり、それを無視するならば、ルター主義を理解することはできない。
  〜スクリプナー、ディクソン(森田安一訳)『ドイツ宗教改革』2009年、64P


 贖宥状がカトリック批判の突破口になったのは、ひとつのきっかけとして表面化したものでしかないのかもしれない。主に従来の、13世紀頃に形成された考え方ー《善き神》の観念ーがつくりだした形式や組織では、もはや15世紀、16世紀のドイツの宗教的、精神的危機に対応できない時期に来ていた。14世紀以来、従来の神観念はペストによって新たな神観念へと変貌せざるを得ず、そこでは、人びとの宗教的観念には《峻厳な神》がおのずと支配的になった。それゆえ高まった煉獄への恐れから、例えば贖宥状の購入者の唯一の目的は煉獄の苦しみの緩和であった。
 聖職者が批判された一因として、ペスト(神罰)が何度も繰り返しやってきたことから、聖職者が人間と神とのとりなし役を十分に果たせていないことに対して、強い不満や不信感が募っていたせいもあったかもしれない(彼らも疫病死したが、それも相応の神罰に成果もしれなかった) (中略)

「聖職者の堕落が宗教改革の原因」(高校教科書)と言うよりも、(聖職者の堕落はいつの時代にもあった)聖職者が死後の恐れを刺激するだけで、供養ミサなどの宗教的慣行による収入を稼ぐことに専念していることに聖職者への不信があったのだろう。

 これまでに指摘されていないことがある。ルターの宗教改革は、ペスト抜きではほとんど考えられず、それが、いくつかある原因のなかの重要な一因であり、まさに「ペスト期」が生んだ宗教思想の典型であったといえるだろう。また、最終的にルターは煉獄の存在を否定したが、それがいかに画期的なことであったかも理解されるべきであろう。そもそも宗教改革を煉獄に触れずに教えようとする今日の世界史の教科書の不備、さらにはルネサンス期がそうであるように近世における高い宗教性(救済志願)の存在を無視するその不備が強く認識されるべきであろう。

著者紹介


石坂尚武(いしざかなおたけ)
1947年 千葉市生まれ。
94年「ルネサンス・ヒュマニズムの研究 「市民的人文主義」の歴史理論への疑問と考察」で同志社大・博士(文化史学)。同志社大学文学部助教授、教授、2018年定年退職、名誉教授。

* 『ルネサンス・ヒューマニズムの研究 「市民的人文主義」の歴史理論への疑問と考察』晃洋書房, 1994.12
* 『西洋史講義 ルネサンスへの道・ルネサンスからの道』晃洋書房, 1996.5
* 『新・西洋史講義 ルネサンスへの道・ルネサンスからの道』晃洋書房, 1997.10
* 『地獄と煉獄のはざまで 中世イタリアの例話から心性を読む』知泉書館, 2016.3
* 『どうしてルターの宗教改革は起こったか ペストと社会史から見る』ナカニシヤ出版, 2017.10
* 『苦難と心性 イタリア・ルネサンス期の黒死病』刀水書房, 2018.3
翻訳
* 『イタリアの黒死病関係史料集』編訳. 刀水書房, 2017.12  

〜Wikipediaより〜


写真はルターが説教をしていた教会 2015年には修復中でした。


私はルターが宗教改革を起こした町、ヴィッテンベルグには2008年と2015年に、
行きました。
2015年の時は宗教改革500年記念前でその準備に余念がない時でした。

それなりにルターのことを知っていたつもりになっていましたが、これほどまでに深いペストとの関連性を見逃していたことを知りました。

写真は
ヴィッテンベルグのマルクト広場にあるルター像(上)
95箇条の論題が貼られた扉とされている(下)



ルターがどのようにして修道士になったかは
また後日書いていきたいと思います。

日本のペスト

さて、日本ではペストはどうだったのでしょうか。
江戸時代300年間、あれだけヨーロッパで猛威をふるっていたのに、
日本にペストは入っていませんでした。
鎖国をしていたからです。

北里柴三郎がペスト菌を見つけたのは
明治27年、香港でのことでした。
その5年後、明治32年にとうとう国内にペストが入ってきました。

伝染病研究所では皆が力を合わせて
調査と予防に全力を尽くし、ネズミを退治するために
家庭でネコを飼うことを推奨しました。
ネズミのノミはネコにはつかないので
ネコはペストにかからなかったのです。

ちなみに東京では役所がネズミ1匹を5銭で買い上げたそうです。
おそば一杯が2銭もしなかった時代の5銭、
皆で競ってネズミとりをしたので、ネズミは激減。
昭和になると日本国内からペストはなくなりました。

これから先、国として
どのような感染防止策を取るかわかりません。
まずは自分の身は自分で守らないといけないですね。

#ペスト
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#マルティンルター
#宗教改革
#ヴィッテンベルグ
#95箇条テーゼ

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