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一遍上人⑩ 《いざいざ、京都へ…》

12月です。

緊急事態宣言の解除に伴い、
街に人波が戻ってきています。
この1年取り巻く環境は大きく変わり、
失ったものもありましたが、
人生の意味を省みる良い時間にもなりました。

一遍上人と運命的な出会いをした昨年晩秋、
京都、神戸に訪れました。

《一遍上人と染殿院》

さて、時は1248年。
46歳になった一遍上人は4月16日、
四条京極釈迦堂に入ります。

現在は京都市中京区新京極中之町にある
時宗のお寺染殿地蔵となっています。



『一遍聖絵』には踊り屋を作って
踊り念仏を披露している図が見て取れます。
身分の貴賤上下もなく、
すさまじい人数が押し寄せる大盛況で、
見物にやってきた貴族の牛車が、
引き返すこともできないほどの
無茶苦茶な賑わいでした。

ここぞとばかり一遍は念仏札を配ります。
お坊さんに肩車をしてもらって、
上から念仏札を撒きます。
我も我もと手を伸ばす人たち。
結縁につぐ結縁。
来ている人以上に一遍もものすごい
高揚感に満ちていたことでしょう。


染殿院へ新京極にある有名な
甘栗屋さんの脇から入りました。
弘法大師・空海により
808年に創建された染殿院は
安産を守る寺院と呼ばれています。



子宝に恵まれない文徳天皇のお后が
「四条の寺院に御利益のある地蔵菩薩が安置されている」
と聞き、
願掛けを行ったところ、
満願の日に懐妊の兆候があり、
時満ちて男の子を出産をされました。
後の清和天皇です。
お后は染殿皇后と呼ばれていたことから、
地蔵菩薩は「染殿地蔵」寺院は
「染殿院」と呼ばれ、
安産を守る寺院として
全国へ広まっていきました。








一遍上人が京都に行き、
染殿院に真っ先に入ったのも、
そこが市中の人たちの信仰に対象となっていたからではないか、
と思えるほど、
地域に根ざした寺院でした。

過去も現在も賑わいをみせる京極通りです。


《平家ゆかりの長楽寺》






さて、祇園町の賑やかな通りから、
八坂神社を抜けて、


円山公園の奥へと歩いていくと、
静寂な空気に包まれます。
長楽寺山門が見えてきます。



晩秋の京都の紅葉は
まだまだ美しい色合いをとどめていてました。



805年桓武天皇の勅令によって創建され、
天台宗・比叡山延暦寺の別院として建てられましたが、
その後、時宗に改まりました。

《建礼門院に思いを馳せて》

壇ノ浦の戦いで平家が敗れたとき、
平清盛の娘で、安徳天皇の生母であった
建礼門院も幼い安徳天皇と共に入水しますが、
源氏の兵士に髪の毛を絡みあげられ、助けられました。

そして、29歳で出家し、御仏にすがり、
亡くなった愛する人たちの供養して過ごします。
高校生の時、
古典の授業で読んだ「建礼門院右京太夫」
を思い出しながら、
お墓に頭を垂れました。






竹林を通り、さらに奥へ進んでいくと、
ぱっと視界が開け、
京都市中が見晴らせる素晴らしい景色が広がっていました。





時宗初期歴代上人像八体が並ぶ中に、
運慶の作風を伝える一遍上人の立像がありました。
ああ、また会えましたねと声をかけたくなるお顔でした。




《女人往生の寺 誓願寺 和泉式部 誠心院》







海外からのお客様がいない京都は、
和服姿の日本人女性が目立ちました。
有名な観光地には人出も多いのですが、
ちょっと外すと本当に静かで、
ゆっくりと見て周ることができます。
ここ誓願寺も新京極に街中にあり、
平安時代の有名な二人の女性作家、
清少納言と和泉式部が極楽往生しているお寺です。

清少納言はあまりにも有名ですが、
和泉式部は紫式部に比べてやや地味に見えますが、
冷泉家の皇子兄弟とも熱烈な恋愛関係に陥るなど、
恋多き女流歌人でした。
天性の美貌と歌才に恵まれた和泉式部でしたが、
最愛の娘に先立たれ、誓願寺で仏の道を求め、
髪を切り尼になりました。
「女人往生」のお寺なので、
恋に悩む女性も多く訪れるようです。



和泉式部の歌碑 

「霞たつ 春きにけりと この花を
 見るにぞ鳥の声もまたるる」



また、世阿弥の作と伝えられている謡曲『誓願寺』は
和泉式部と一遍上人が縁起と霊験を物語り、
和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることから、
芸能の世界に人たちが扇子を奉納するようになりました。
また、ここから落語も始まったそうで、
庶民に愛されるお寺だと思いました。

《京都時宗道場《御朱印》巡》


16寺院が掲載されています。
「道場」とは古くは「さとりの場」「修行の場」でありました。
浄土門では念仏三昧の場として「念仏道場」が置かれたゆえに、
時宗では「道場」と呼ばれる寺院が多いということがわかります。






 一遍上人は市屋道場と呼ばれた金光寺に長く滞在し、
高床式の踊り屋をたて、
遠くからでも見物できるようにしました。
道場の周りには
貴族、武士、坊主、尼僧、庶民があふれかえり、
ボロをまとった貧民もたむろしていました。
おそらく、炊き出しをしたおこぼれに与ろうと
噂を聞きつけてやってきたのでしょう。
みんなで踊って、食べて、念仏唱えろ!


市場道場を離れ、桂、
現在の京都右京区に移った一遍は病に倒れ、
3ヶ月ほど、桂にとどまり、養生します。
連日連夜踊りまくっていた疲れも出ていたのでしょう。
すっかり寝込んでしまいましたが、
ゆっくり思索する時間を持ちました。

《死してなお踊れ》

栗原康先生のから引用させていただきます。


…愛のためだとか、信心のためだとかいって、自分の利益を満たそうとするのはもうやめよう。やればやるほど、自分がそれにとらわれてしまって、生きにくくなってしまう。
 どうしたらいいか。一遍はこういっている。たいせつなのは無念だ。なにものにもとらわれないこころ、ただそれだけなんだと。財産なんてどうでもいい、見返りなんてどうでもいい、迷惑がられたってかまわない。ただ相手にしてあげたいとおもったことをやってしまえばいい。いつだって、仏のこころはおせっかいだ。おもったことは、捨て身でやれ。一心不乱に身を捨てひとを愛しても、なにかもどってくるだなんておもわないで。それがひとをおもい、仏をおもうということだ。アミダの慈悲の芽みたいなもんだといってもいいだろうか。その芽は、わたしたちの日常生活のあらゆる場に遍在していて、しかもけっしてなくなってしまうことはない。ありふれた生の無償性。そろそろ、その花をさかせましょう。さけべ、うたえ、おどれ、あそべ。おのれの神(たましい)をふるわせろ。死んだつもりで芽吹いてみやがれ。いますぐ散ってもかまわない。三千世界、いちどにひらく梅の花。一丸をなって、バラバラに生きろ。…


なんの見返りもない
「無償の花」を咲かせたいと思いす。

みなさま、良い時間を過ごしてください。

長楽寺山門下でいただいたぜんざい、
美味しゅうございました。







そして、鴨川。

やっぱり京都はいいですね〜

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