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📰毎日新聞講師派遣「なるほど!先生📰


真夏の太陽が照りつける午後、
しぇあひるずヨコハマのラウンジで
小さな講演会が開催されました。
講演内容は
「戦争と報道」 ジャーナリズムの役割とは

講師は毎日新聞社 磯崎由美氏


はじめに




今日は、酷暑の中、お集まりいただきましてありがとうございます。
定刻になりましたので
早速
毎日新聞講師派遣「なるほど!先生」を始めます。




今日は毎日新聞社の磯崎由美さんをお迎えして
「清六の戦争〜ある従軍記者の軌跡」のお話をしていただきます。
講師の磯崎さんは1989年早稲田大学第一文学部卒業後、
毎日新聞に入社され、東京、大阪社会部を中心に、
事件・災害報道や教育、福祉、貧困、虐待、性犯罪など
様々な社会問題を取材されて来ました。
20174月から194月まで社会部長、
20195月より「竹橋オフィス再編委員会」副委員長の職にあります。
では磯崎さんよろしくお願いします。




1995年 戦後50
この年は阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と
大きな出来事があったため、
目立った終戦50年報道はされませんでした。

2005年 戦後60
東京大空襲を生き残った方の記憶をたどり
「会えるものなら」という特集となりました。

2017年 戦後72
戦争の記憶は薄れ、歴史が変質していく様に迫り
「忘れゆく国で」という特集が組まれました。

2018年  戦後73
世代間のギャップを知り、継承の現場で
何が起きているのかを取材した上で
「戦争を知らないけれど」という特集が掲載されました。

2020年 戦後75

新聞社が最もやるべきテーマ、
あの戦争で毎日新聞の記者たちは
何を書き、何を書かなかったのか。

「記者・清六の戦争」というタイトルで
714日から829日まで
社会面に計25回掲載されました。



「清六の戦争」より
磯崎由美さんの「刊行にあたって」の一文を
抜粋いたします。

毎年終戦がの日が近づくと、日本のメディアは平和報道に力を入れる。
永遠のテーマでありながら、暑さが峠を越す頃には姿を消すとして
8月ジャーナリズム」とも批判されている。それでも報道の意義はあると思っている。
夏の取材班に入ったことを機に、ライフワークとして平和報道に関わり続けていく若い記者は後を絶たない。かつて戦後60年報道に携わった私自身もその一人だ。
 だが年々難しくなっていく面もある、。体験者が次々と亡くなり、新たな事実や証言を探すハードルは高まるばかりだ。またニュースのデジタル化が進み、ネットユーザーの多くを若者が占める中、「平和報道の記事は読まれない」とも言われるようになった。
 テーマや切り口が似通いがちになることも苦悩する。繰り返し伝えるべく大切なことがある一方で、新しい伝え方を考えなければ戦争体験の風化は進むばかりだ。
 そうした中で「清六」のコンテに目が留まったのは、実は新聞社が最も取り組むべきテーマがしっかり向き合ってこなかったことに気づいたからだ。さらに現役の記者が、同じ社の記者であった親族の軌跡をたどっていく過程を一人称でそのまま伝えていけば、これまでになかった斬新な企画として多くの読者に読んでいただけるだろうとも考えた。これを2020年の「戦後75年報道」のメーンとする目標を立て、取材に本格着手したのは同年1月のことだった。(中略)
 当時の新聞社について調べれば調べるほど、私たちは戦争をあおり、部数拡張につなげていく露骨な報道に憤りを覚えた。いくら悲惨な最期を遂げたにしても、清六を単なる犠牲者とは書けない。だが私たちはどこまで清六を断罪できるのか。そんなやりとりを2人で何度繰り返しただろう。
 記者個人の「罪」とは何か。もし自分たちが当時の記者であったならーー。
悩み続けるうちに、これは答えの出る問いではなく、考え続けていかねばならない問いなのだと気づいた。
磯崎由美 毎日新聞出版「清六の戦争』175ページ〜177ページより抜粋

戦後77年目に考えること


あっという間に講演会の時間は過ぎて行きました。

戦争体験者が減少して、記録が散逸してしまっている今、
私たちは若者や子供たちにどういう形で
戦争があったことを伝えていけば良いのだろうかと
質疑応答も活発になされました。


もしかして戦後77年は戦前X年になりはしないかという
危機感を持っている自分に気づきます。

あれあれというまに戦争になったということのないように
自らの頭でしっかりと考えていかなければならないと思いました。

感謝の言葉


磯崎由美さん、ありがとうございました。


1994年に毎日新聞夕刊に「うたものがたり」という連載ものがありました。
読者から寄せられた手紙から選び、
記者さんが取材をして書き上げるというものでした。


私はサイモンとガーファンクルの
「明日にかける橋」についての思い出を書いて送りました。

その時
まだ入社して5年目、
20代の磯崎由美さんが取材にみえました。

私は自分というものを曝け出す経験をしました。
記事は613日から17日までの連載となりました。

連載が終わって、
社会部遊軍のキャップ北村さんと磯崎さんと
お目にかかることができました。

630日締め切りの毎日新聞社主催の懸賞論文を書いていた私の肩を押してくれました。
「思う存分書いてください。」

もう少し話をしていたいと思ったときにポケベルがなりました。
「残念ながら社に戻らないといけなくなりました」

翌日の新聞の一面にあったのは「松本サリン事件」の記事でした。
今でもはっきりと覚えています。



30代中ば、浅草でアイデンティティ喪失の危機の只中の私に
磯崎さんが勇気と希望をくれました。
その論文は入賞し、その賞金で
書き上げていた小説出版することもできました。

そして、
「明日にかける橋」を手紙に書いてくれた初恋の人は
今、ここの住人です。

人生の奇跡は案外身近にあるものです。

今日はありがとうございました。












大倉山記念館で
『久元祐子さんのピアノリサイタル』
『古館由佳子さんのバイオリンコンサート」をしたいという夢が叶った
「春を呼ぶコンサート」が無事に終わって
ホット一息ついた弥生3月。
ずっと心にあった夢を叶えようと思いました。

そこから毎日新聞社「なるほど!先生」に問い合わせをして、
この企画を温めてきました。

そして、夢は叶いました。

もっと多くの方に聞いていただきたかったのですが
感染者拡大のおり、
最小人数で開催しました。
ご参加下さった皆様 ありがとうございました。

記者さんを派遣してくれる「なるほど!先生」
おすすめです。


#毎日新聞
#清六の戦争
#平和報道
8月ジャーナリズム

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