ことばと時間と人生と

歳をとっていても、資格を有していても、前職・現職が立派でも、その人の中身は全て話すことばや振る舞いに現れる。今まで、今、これからのこと、すべてを自分のことばで語り、創造しているかのようだ。

私の知り合いに、
さも親切そうで世話好きで、知識や経験がありそうだけれど、立場が悪くなると妙な情に訴えてくる人。知り合いは多いのに仲間がいない大人のひと。自分で話して、話しすぎて、場と関係を破壊していく人。
こんなタイプが2人いる。

先日も騒音のような話をいつも通り聞き流していたら

「どーせ私の話なんて聞いてないんでしょ。
 私の話なんか信じてないんでしょ。
 疑ってるんでしょ。」
と、半ギレの半笑いで言われた。

危うく

「疑ってないよ
 初めからあなたを信じてないから」

と、言いそうになった。
ヤバい、ヤバい、ホントの思いをことばに出してしまうところだった。あの人達は、かけるつもりの無いことばを引き出す天才でもあるのだ。逆に言えば、自分が傷つくことばを自ら導いている。
ことばはその人そのものだ。

人のことばはそこからの人生を創る。
口から出たことばは元に戻らない。
だからこそ、自分のことばに責任を持てる大人になるには時間がかかるのだ。ようやくそれが分かってきた。失敗や痛みを何回も経験して、修正しつつ、望む人生に近寄っていけるなら、姑息な私は努力したいと考えている。

ことばと創る人生にかける時間。
私、時間が足りるかな。