見出し画像

風景写真の現像とレタッチについての私感

この記事は、マガジン「私的風景論」の番外編です

数年前、雑誌の特集でレタッチしすぎの風景写真についての論考記事が話題になりました。過剰なレタッチは善なのか悪なのか。僕も少しインタビューを受けました。

そもそもの話

そもそもの話、フィルム時代から写真に何かしらの加工を施すことは行われてきました。フィルムで撮影し、暗室作業をしたことのある人ならば、写真が撮って出しではないことは当然理解されていることでしょう。カラーにしてもそうです。赤を強調する、暗部を明るくする、といったことはプリント時には当たり前のように指示していましたし、そうしなければ完成しなかったとさえ言えると思います。その原因はもちろん色々あるとは思いますが、フィルムの再現できる範囲と作家の表現したいことが物理的に離れているので、プリントで追い込むということが必要だったのだろうと思います。

そういうわけで、当時のインタビューでも、作家の意図をもって行われた処理は必要だと答えたように覚えています。では、どうしてデジタルカメラになってからそのような論調になってしまったのでしょう。

ここから先は

1,007字

いつも応援ありがとうございます。いただいたサポートは、写真家中西敏貴のさらなる飛躍のため、取材費として使わせていただき、その成果をかならずやフィードバックさせていただきます。ご協力をお願いします。