海外ミステリー映画史 PART9   1990年代

*1998年「カルト映画館 ミステリー&サスペンス」(社会思想社)のために執筆したものを加筆修正。(映像リンクで実際の作品、予告編が観れます)

 1990年代に入って、ハリウッドにおけるビッグバジェット化が益々顕著となり、『危険な情事』を皮切りにした悪女サスペンスが流行。90年代のセックス・シンボル、シャロン・ストーンが『氷の微笑』(1992年・ポール・バーボベン監督)で、セックスの最中にアイス・ピックで相手の男を突き刺す異常な犯罪者に扮して好評を博すと、すぐに同工異曲の『硝子の塔』(1993年・フィリップ・ノイス)が登場するといった具合に、企画の枯渇が感じられている。

氷の微笑(1992)予告

硝子の塔(1993)予告

 名作のリメイクが増えてきたのも1990年代の傾向で、『悪魔のような女』(1954年・アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)を、キャシー・ベイツとイザベル・アジャーニの共演でリメイクした『悪魔のような女』(1996年・米=仏)は、前作の持味を生かしつついかにも『危険な情事』以降のセクシー・サスペンスといった作りだった。
 こうしたサスペンス大作には常連のマイケル・ダグラスが主演、製作したヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)を、現代のニューヨークに置き換えた心理サスペンスに仕立てあげた『ダイヤルM』(1998年・米・アンドリュー・デイビス)などが次々と作られている。プロット重視のサスペンスが次々とリメイクされていくというのも、サスペンス・ミステリー小説界でベストセラーが減少していることの表れかもしれない。

悪魔のような女(1996)予告

 ダイヤルM(1998)予告

 リメイクと同時に顕著なのがパート2映画。SFやアクションなどのヒット作品はかならずといっていいほど、シリーズ化されている。90年代に入ってすぐ、ハリウッドの大きな振り子と呼ばれ、成功と失敗を繰り返してきたフランシス・フォード・コッポラ監督が、借金と不評にまみれていた80年代の低迷を吹き飛ばすかのように発表したのが15年ぶりの第三部『ゴッドファーザーPART3』(1990年・米)だった。アル・パチーノのマイケルの顔に刻まれた皺は、俳優としての齢を重ねてきた証しなのだが、コッポラはその時を待っていたかのように、コルレオーネ一家のそれからの日々を堂々たる演出を持って描いた。

ゴッドファーザーPART3(1990)

 『マッドマックス』(1979年・毫・ジョージ・ミラー)で一躍、スターとなったオーストラリア出身の俳優メル・ギブスンが、ハリウッドに渡って主演したシリーズが「リーサル・ウエポン」。
 クリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」とバトンタッチするかのようにスクリーンの人気をさらった、ロスアンゼルス市警のはみ出し刑事リッグスは、射撃の名手であらゆる格闘技をマスターしたヴェトナム帰りの猛者。 
 第一作『リーサル・ウエポン』(1987年・米・リチャード・ドナー監督)では、愛妻を交通事故で絶望にかられたリッグスが自殺願望の権化となってしまう。自ら人間凶器と化したリッグスはよい意味でも悪い意味でも、死を恐れずに悪と立ち向かう。
 そんなリッグスを心配した上司は温厚でマイホーム型の黒人刑事マターフ(ダニー・クローバー)とコンビを組ませる。高級娼婦が飛び降り自殺をするという事件が発生。彼女は麻薬中毒患者でその背後には強大な麻薬組織の影がちらつく。強引な捜査を続けるリッグスに組織のボスの怒りが爆発して、マターフの娘(トレーシー・ウルフ)が誘拐される。
 リッグスとマターフは本拠地を襲撃。アクションに次ぐアクションで、組織の野望を粉砕するという。

リーサル・ウェポン(1987)予告

 ヴァイオレンスと二人の友情に、適度なユーモアが絡んですぐに第二作『リーサル・ウェポン2 炎の約束』(1989年・米・リチャード・ドナー監督)が作られた。
 今回の任務は重要参考人である会計士レオ・ゲッツ(ジョー・ペシ)の身辺警備だが、レオは南アフリカの駐米大使(ジョス・アックランド)をボスとする国際麻薬組織に命を狙われており、外交特権をかさに大使一派がリッグスたちに脅しをかける。ロス市警の刑事たちが次々と殺されていく。リッグスは大使秘書(パッツィー・ケンジット)に接近して仲良くなるが、彼女をかくまったトレーラーまでも襲撃される。怒り心頭に発したリッグスとマターフは人間凶器と化かして、一味の密輸船に潜入する。
 

リーサル・ウェポン2/炎の約束(1939)

 第3作『リーサル・ウエポン3』(1992年・米・リチャード・ドナー監督)では、あと一週間で引退することになるマートフは、警察の武器倉庫から銃が盗まれて、ストリートギャングの手に渡る事件を抱えている。相棒リッグスと共に最後の大仕事に乗り出すマートフだったが。今回も小悪党然としたジョー・ペシのレオ・ゲッツがコメディ・リリーフとして大活躍し、リッグスと恋仲になる女性刑事ローナ・コールにはレネ・ルッソが演じ、前作にも増してコミカル度もアップしている。

リーサル・ウエポン3(1993)予告


  そして3から6年ぶりに作られた『リーサル・ウエポン4』(1998年・米・リチャード・ドナー監督)では、さらにスケール・アップして、ロスのチャイナタウンに君臨するチャイニーズ・マフィアに、『少林寺』シリーズで知られるリー・リンチェイがジェット・リーという芸名で登場。
香港からロスに乗り込んできたチャイニーズ・マフィアの陰謀が、中国人密入国船事件を発端に明らかになってくる。ハードなアクションに加え、相変わらずのジョー・ペシのレオ、リッグスの子を身篭もったローナ(レネ・ルッソ)、マターフの娘リアン(トレシー・ウルフ)も父親不明の子を身篭もっている。第一作以来のファンにはおなじみとなったレギュラー・メンバーによるホームドラマ的要素と、カンフーを中心としたヴァイオレンス・アクションの絶妙のバランスは、シリーズと共に成長してきたリチャード・ドナー監督の手腕によるものが大きいだろう。

リーサル・ウェポン4(1998)予告

 リチャード・ドナー監督とメル・ギブスンのコンビは、「リーサル・ウエポン」以外にも『マーヴェリック』(1994年・米)など娯楽作品を連打しているが、このコンビによる傑作ミステリーが『陰謀のセオリー』(1997年・米)だ。
 ニューヨークのタクシー運転手ジェリー・フレッチャー(メル・ギブスン)には、過去の記憶がない。
 分かっているのは、点滅する光を見るとパニックになると、頭の中に「ジェロニモ」という言葉が浮かんでくる。また書店で「ライ麦畑でつかまえて」を見ると衝動的に買ってしまうことと、司法省の弁護士アリス・サットン(ジュリア・ロバーツ)を守らなければならないという思いがある。
 アリスは、繰り返しおかしな妄想を話すジェリーに困惑しているが、次第にジェリーの言うことが妄想ではないことに気付く。亡くなった父とジェリーの過去にまつわる秘密が次第にあかされてゆく。
 唯一の記憶がヒロインを守ること、という極めてヒロイックな設定で始まるサスペンス・ミステリーは、ビッグバジェットでコクがない最近のハリウッドにおいて、映画的興奮に満ちた快作だった。

陰謀のセオリー(1997)予告

 1990年代のハリウッド・サスペンスで、原作の映画化権の争奪が繰り広げられているベストセラー作家といえばジョン・グリシャム。トム・クルーズが理想に燃える弁護士として数々の不正と戦う『ザ・ファーム/法律事務所』(1993年・米・シドニー・ポラック監督)。

ザ・ファーム/法律事務所(1993)予告


 ジュリア・ロバーツ扮する女子大生が、最高裁判事の殺人事件を巡って大胆な仮説を立てるが、彼女の身に危険がせまるという『ペリカン文書』(1993年・米・アラン・J・パクラ監督)。

ペリカン文書(1993)予告


 スーザン・サランドンの弁護士がギャングに追われている11歳の少年の依頼をたった1ドルで引き受ける『依頼人』(1994年・米・ジョエル・シューマッカー監督)。

依頼人(1994)予告


 それに『評決のとき』(1996年・米・ジョエル・シューマッカー監督)や、「処刑室」の映画化である『チェンバー/凍った絆』(1997年・米)など、ほとんどの作品が映画化されている。

チェンバー/凍った絆(1996)予告


 法廷サスペンスは退屈という定説があるが、ハリウッドではシドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』の例を持ち出すまでもなく、好んで映画化される題材である。世界一訴訟件数が多いアメリカでは、弁護士がヒーローとなり欺瞞にみちた検察側をやり込めるのはある種のカタルシスがあるのだろう。
 正義が曖昧となり、混沌としている現代社会で、法という名の下に正義をのために戦う弁護士は最高のヒーローなのかも知れない。
 ジョン・グリシャムの「原告側被告人」を、マイケル・ダグラスがプロデュース、フランシス・フォード・コッポラが監督したのが、マット・ディモン主演の『レインメーカー』(1998年)である。
 弁護士としてはまだ新米のルーディ・ベラー(マット・ディモン)が、判事と癒着している悪徳弁護士や、脱税、不正所得隠しを平然としている連中に失望させながらも真実の正義に目覚めていく姿が、端正ともいえるコッポラの演出で綴られていく。
 社会的弱者を守るために自分が存在していることに自覚するラストのりりしさは、コッポラ自身による「アメリカの正義」の再定義かもしれない。そういう意味では『レインメーカー』はこれまでのグリシャム原作のリーガル・サスペンスの中では代表作だろう。

レインメーカー(1997)予告

 さて、1990年代サスペンス・ミステリー映画界の新しい台風の目といえば、クエンティン・タランティーノの出現だろう。
デビュー作『レザボア・ドッグス』(1991年・米・クエンティン・タランティーノ監督)は、スタンリー・キューブリックの名作『現金に身体を張れ』へのオマージュをこめて取り上げたというクライム・サスペンス。宝石強盗のために集められた6人のプロエッショナルたちは、互いの素性を知らない。用意周到、完璧だったはずの計画にもかかわらず、彼らは警察の襲撃を受ける。裏切り者は誰か。命からがら集合場所に舞い戻った彼らに不信感が沸き起こる。
 ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、マイケル・マドセンといったひとくせもふたくせもありそうな「フィルムノワール顔」の俳優を集めてのヴァイオレンス・ドラマだが、深作欣二監督の『仁義なき戦い』のハンド・キャメラを多用したドキュメンタリー・タッチの作風に影響を受けたというタランティーノらしい、銃撃戦の演出やヴァイオレンス描写が血なまぐさく、それがかえって斬新だった。

レザボア・ドッグス(1991)予告

 そして、1994年のカンヌ映画祭グランプリを獲得した第2作『パルプ・フィクション』(1994年・米・クエンティン・タランティーノ監督)は、オフ・ビートのギャングスター・ムービー。

 タランティーノのヒーローだというジョン・トラボルタがこの作品で蘇ったことも記憶に新しい。ボスの若い女房とデートを命ぜられたギャング。八百長の約束をしながら、恋人と逃走してしまうしがないボクサー。車の中でピストルが暴発して死人が出て、血の海と化した車を処分するために右往左往するチンピラたち。様々な人間模様が交錯する斬新な構成は、次に何がおこるかわからない予測不能な展開の1990年代を代表するクライム・ムービーとなった。

パルプ・フィクション(1994)予告


 4年ぶりの第3作は、『110番街交差点』の主題歌がテーマソングのブラックスプロイテーション・ムービーへのオマージュたっぷりの『ジャッキー・ブラウン』(1998年・米・クエンティン・タランティーノ監督)。
ブラックプロイテーション・ムービーとは70年代の項でご紹介した『黒いジャガー』などの黒人パワー炸裂の、黒人キャストによる黒人のための娯楽映画のこと。ヒロインに、当時『コフィ』(1973年・米)などで活躍していた黒人女優パム・グリアーを迎えた70年代ムードがあふれるアクション映画となった。
 原作はこれも、ハリウッドでは今やひっぱりだこの作家エルモア・レナード。原作の主人公を女性に置き換えての『ジャッキー・ブラウン』には、レナード小説特有の<いかがわしい犯罪の匂い>が充満している。
 40代を迎える安サラリーのスチュワーデス・ジャッキー・ブラウン(パム・グリアー)が、重火器密売人の売上金をメキシコから密輸するサイドビジネスを行なっているが、ひょんなことからその横領を思いつく。密売のボス・オデール(サミュエル・L・ジャクソン)の目を盗んで、保釈金融業のマックス(マイケル・ヴォーエン)をそそのかした、ジャッキーはショッピング・モールで売上金を巻き上げるが、その顛末は果たして・・・。
 エルモア・レナードの小説の魅力でもある会話の妙がここでもいかされ、ロバート・デ・ニーロのチンピラ、マイケル・キートンの刑事など、オールスターによる客演もどことなくユーモラスだ。ピーター・フォンダの娘・ブリジット・フォンダが能天気なカリフォルニア・ガールのスタイルで、父フォンダが主演した『ダーティ・メリー、クレイジー・ラリー』(1974年・米・ジョン・ハフ監督)をテレビで見ている楽屋オチなど、あいかわらずタランティーノの映画オタクぶりが微笑ましい。

ジャッキー・ブラウン(1997)予告

 1990年代に入って、イギリス映画のインデペンデント系の作品も元気になってきている。クライム・ムービー『ユージュアル・サスペクツ』(1995年・英)などは、エンタテイメント本来の面白さがあふれている。
誰が真犯人か、最後までわからないという構成は、ミステリー映画としては最高の出来で、日本でも単館上映で記録的なロングラン・ヒットをしている。

ユージュアル・サスペクツ(1995)予告


 そういうイギリス映画界でもっとも注目されているのが、ユアン・マクレガー主演の『トレイン・スポッティング』(1996年・英・ダニー・ボイル監督)は、90年代のロンドンの下町を舞台に、ヘロイン中毒の若者たちが明日を探すという青春映画の佳作だが、彼らにとっては犯罪はどうということのない、日常の事だったりする。それが自然に感じられて、彼らに共感を覚えてしまうほど瑞々しい青春が描かれていた。

トレイン・スポッティング(1996)予告

 映画が多様化し、そこで描かれるモラルも揺れ動いている90年代の映画界の中で、ミステリー・サスペンスの代表作をあげるとすれば何か。おそらくベスト10には入ると思われるのがカーティス・ハンソン監督の『L.A.コンフィデンシャル』(1997年・米)だろう。
 原作はジェームズ・エルロイのハードボイルド感覚あふれるクライム・ノベル。1990年に書かれた1950年代のロサンゼルス警察の刑事たちの事件簿だが、50年代という時代に意味がある。そこに監督のカーティス・ハンソンが注目したのだろう。
 1950年代のアメリカは「アイゼンハワーの昼寝」と呼ばれ、ゴールデン・フィフティーズという華々しいキャッチコピーで迎えられた。ロスには高速道路が作られ、郊外には振興住宅が建てられていた。テレビが映画にとって変わろうとしており、それに対抗するためにスクリーンは巨大化。
巨大都市となったロスでは凶悪犯罪も増加しており、映画都はギャングの温床でもあったのだ。大戦が終わって帰還した男たちのある者は警官になり、ある者はギャングになった。
 『L.A.コンフィデンシャル』のタイトルバックには50年代の様々なアメリカ風俗が綴られている。流れるのは当時のヒット・ソング。そんな時代の気分の中で、男女数人が惨殺されるという、恐ろしい殺人事件が発生する。コンフィデンシャルとは秘密のこと、登場人物の誰もが秘密を抱えている。
 娼婦リン(キム・ベイシンガー)は女優のヴェロニカ・レイクにそっくりだが、その虚像と娼婦である実像の間で揺れ動いている。それは捜査する刑事たちも同じ事。警官ジャック(ケヴィン・スペイシー)は、自分の署がモデルとなったテレビドラマの監修をつとめている。
誰もが秘密を持ち、誰もがそれを暴こうとする。アメリカ人に裏と表の顔が出始めた50年代を、徹底的な時代交渉で描くハンソン監督の手腕は、単なる趣味を超えて、映画に深い意味をもたらす。
 ロス・マクドナルドがリュウ・アーチャーを生み、レイモンド・チャンドラーがフィリップ・マーロウにタフな活動をさせていた1950年代のハリウッドやロサンゼルスを舞台にした『L.A.コンフィデンシャル』は、1990年代でなくては誕生しえなかった、ポリス・ムービーであり、フィルム・ノワールであり、クライム・ムービーであると同時に、映画のための映画なのかも知れない。

L.A.コンフィデンシャル(1997)予告


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