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「草原の輝き」 ピンク・マティーニ Splendor In The Grass PINK MARTINI

「草原の輝き」から溢れ出す、ピンク・マティーニの魅力

佐藤利明(オトナの歌謡曲プロデューサー/娯楽映画研究家)

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  ピンク・マティーニは、ピアニストのトーマス・M・ローダーデールが1994年に、アメリカのオレゴン州ポートランドで結成したクインテットが前身。政治家を目指してハーバード大学に学んだローダーデールは、政治資金集めのパーティで演奏される音楽が、ロマンチックなスタンダードに彩られていた時代とは、比べ物にならないことに失望。ならばと、理想的なサウンドを目指して、バンドを結成したという。

   彼は、クラシックやジャズ、スタンダード、そしてハリウッド・ミュージカルなど“往年の音楽”に、レコードやビデオで親しんだ“遅れてきた世代”でもある。1940年代から50年代にかけてのムードを大切に、ピンク・マティーニはパーティやコンサートを通してそのスタイルを浸透させていった。

  1997年、ローダーデールは、ハーバード大学時代の音楽仲間である、チャイナ・フォーブスをシンガーとして招いた。フォーブスはハーバードでは英文学と絵画を学び、卒業後は自分のフォーク・ロック・グループを結成して、ニューヨークで活動していた。

  かつてドリス・デイがレス・ブラウン楽団の歌姫だったように、フォーブスがピンク・マティーニの歌姫となった。それを機にバンドは、12人編成のミニ・オーケストラへ進化。やがて1997年11月、ファーストアルバム「サンパティーク」を、オリジナル・レーベル“ハインツ・レコード”からリリース。メジャーとの契約は一切せずに、自分たちの好きなサウンドを、自分たちのレーベルで供給していくというローダーデールのこだわりは、ピンク・マティーニのスタイルを象徴している。

  これまで1997年「サンパティーク」、2004年「ハング・オン・リトル・トマト」、2007年「ヘイ・ユジーン!」、2009年「草原の輝き」、2010年「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」、2011年「1969」、2011「レトロスペクティヴ」、2013年「ゲット・ハッピー」、2014年「ドリーム・ア・リトル・ドリーム」、2016年「ジュ・ディ・ウィ!ピンク・マティーニの素晴らしき世界」、2018年「ラブ・フォー・セール」をリリース。パッケージだけで200万枚以上のセールスを記録している。なぜこれほどまでに、人気を獲得したのか?

  彼らの魅力のエッセンスは、一枚目の「サンパティーク」にちりばめられている。スウィング・ジャズ、ラウンジ、1940年代から50年代にかけての映画音楽、シャンソン、カンツォーネ、ラテン、サルサ、タンゴ、サンバ、ボサノバ・・・と、世界中のありとあらゆる“往年の音楽”を自分たちのサウンドとしている。

  なかでも表題曲"Sympathique"は、ローダーデールとフォーブスのオリジナル。フランス語を織込んだ歌詞と、往年のヨーロッパ・ポップスへのオマージュあふれる曲調、それにオーケストラというユニークなスタイルで一躍注目を集める。彼等のヨーロッパでのステージデビューは、1998年のカンヌ映画祭。翌年にはアメリカとヨーロッパ縦断ツアーを行い、公演を重ねることで欧米の音楽ファンに“発見”され、新世紀のニュー・スタンダード・グループとして、日本でも“知る人ぞ知る”バンドとなった。

  特筆すべきは、そのワールドミュージックのなかに、日本の歌謡曲まで取り込まれていること、だった。

  「サンパティーク」には、美輪明宏の「黒蜥蜴の歌」。「ハング・オン・リトル・トマト」には、和田弘とマヒナスターズの「菊千代と申します」。「ヘイ・ユジーン!」には、由紀さおりの「タ・ヤ・タン」が、それぞれ日本語詞のままカヴァーしている。

  フレンチ・ポップスも、カンツォーネも、日本の歌謡曲も、彼らにとっては、魅力的なサウンドだったことが、アルバムを聴いているとよくわかる。われわれが“かつての歌謡曲”としてしか認識していなかった楽曲が、新鮮な驚きとともに“新たなサウンドとして蘇っている”のである。

  ワールドミュージックの一つとして、トーマス・M・ローダーデールが発見した歌謡曲を、もう一度、オリジナルシンガーが歌う、これこそ、音楽が国境を越え、フォロワーのリスペクトが、オリジナルシンガーに、新たなる化学変化をもたらした、理想的なケースだろう。

 トーマス・ローダーデールは、インタビューでこう語っている。

 「かつてアメリカの中流家庭には、必ずピアノがあって、そこに家族が集って、一緒に歌う習慣があった。フォークソングやスタンダード・ナンバーはそうして歌い継がれてきた。誰しもメロディを知っていて、歌詞を知っていて、一緒に歌う事ができた。その後、新しいメディアの台頭によって、その古き良き習慣が失われ、皆が親しめるサウンドが消えてしまった。だからこそ僕にとって、ピンク・マティーニは、もう一度歌って踊れる文化を再構築しようという、試みなんだ。」

 原題“SPLENDER IN THE GRASS”は、1966年に名匠エリア・カザンが、ナタリー・ウッドとウォレン・ベイティ主演で発表した同タイトルの映画(邦題『草原の輝き』)を連想させる。1960年代は、カウンターカルチャーによって、若者文化がダイナミックに変化を見せていた時代でもある。その時代に、エリア・カザンは、1928年から1929年にかけての世界大恐慌の時代を背景に、地方都市に住む若者の純愛とセックスへの衝動、それゆえのほろ苦い結末を描いて、高い評価を受けた。“SPLENDER IN THE GRASS”は、ラストに登場するウイリアム・ワーズワースの詩に由来している。

草原の輝き 
花の栄光 
再びそれは還らずとも 
なげくなかれ 
その奥に秘めたる力を見出すべし

ウイリアム・ワーズワース         訳:高瀬鎮夫

  トーマスによると、映画『草原の輝き』に引用されたワーズワースの詩からアルバム・タイトルを付けたという。ジャケットのヴィジュアルや、サウンドのテイストには、この映画が作られた時代や作品のイメージにインスパイアされている。

  これまでのアルバム同様、『草原の輝き』には、彼らの音楽性の高さ、趣味の良さ、サウンドの楽しさに溢れている。音楽を聴くことの楽しさ、リズムに乗ることの心地よさが堪能できる。なんといっても、歌姫・チャイナ・フォーブスのヴォーカルが実に魅力的。ストリングスの美しさ。われわれが失ってしまって久しい、歌を聴くことのよろこびに溢れている。

01. ニンナ・ナナ 
“Ninna Nanna”

 チャイナ・フォーブスのヴォーカルの切なさ、ラテンのムーディな味わいが堪能できる。スエーデンの作曲家ヒューゴ・アルヴェーンの「スエーデン狂詩曲第一番」をフィーチャー。まるで1960年代のヨーロッパ・ポップスのような香りをたたえている。


02. オハヨー、オハイオ
“OHAYOO OHIO”

 実力派ジャズ・ギタリスト、ダン・ファーンレのオリジナルによるインストゥルメンタル。イントロのコンガ、ギロのサウンド、キャッチーなサックスのフレーズのリフレイン、ペットのクールな音色が、1960年代のジャズや、映画音楽に溢れていたエキゾチシズムを再現。


03. 草原の輝き 
“Splendor In The Grass

 フォーブスのヴォーカルは、まるで1960年代アメリカのポピュラー・ソングを思わせる。原曲はクリント・イーストウッド主演の戦争映画『戦略大作戦』(1970年)の主題歌で、ラロ・シフリンとマイク・カーブ・コングリゲーションの “Burning Bridges”。ソフト・ロックの名曲をベースに、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」をフィーチャー、誰しも耳馴染んでいるメロディが、懐かしさと、暖かさを感じさせてくれる。



“Burning Bridges”Kelly's Heroes Soundtrack


04. オ・エスト・マ・テテ?
“Ou Est Ma Tete?”

 恋人を失ってサントノーレ通り、オペラ座広場、ボン・マルシェ百貨店、サンジェルマン・ドゥ・プレといったパリの名所を彷徨うヒロインの切ない心情。転調部分の心地よさ、リズムセクションの豊かな味わい、これぞピンク・マティーニ流フレンチ・ポップスの真髄。


05. アンド・ゼン・ユーアー・バック 
“And Then You're Gone”

 ガーシュインのトーチ・ソングのようなタイトルだが、これもオリジナル。フランツ・シューベルトの「幻想曲へ短調」をモチーフにしている。静かなヴァースが一転、リズミカルに展開、ダンサンブルでエレガントなラテン・ナンバー。



06. バット・ナウ・アイム・バック
“But Now I'm Back”

 ビッグバンド全盛時代を思わせるオリジナル。この曲でヴォーカリストとして初参加した、ナショナル・パブリック・ラジオのレポーター、アリ・シャピロのクールなヴォーカルが堪能できる。ここでもフランツ・シューベルトの「幻想曲へ短調」のフレーズが登場。曲終わりの “囁き”も含めて、往年のスタイル見事に踏襲。リスナーを古き良き時代に誘ってくれる。



07. サンディ・テーブル 
“Sunday Table”

 ”He looks at her””She looks at him”のフレーズの可愛らしさ、ありふれた二人の、ありふれた日曜日の美しいひとときが、リリカルに描かれたチャーミングなナンバー。アメリカのポピュラー・ソングの良さに溢れている。

08. 谷の彼方へ
“Over The Valley”

 “谷の向こうに、みえてくる明るい兆しこそ、運命の人”というロマンチックな感覚は、作詞したフォーブスのニューポートの自宅の窓からの光景からのイメージとか。“You are my one and only love”という決めの言葉は、ガーシュインの曲の様でもある。かすかに聞こえる鳥の声に、ジュディ・ガーランドの“Over the Rainbow”を思う人も多いだろう。


09. トゥカ・トゥカ 
“Tuca Tuca

 キャッチーなTuca Tucaは、イタリアの国民的女優のラファエッラ・カッラの1970年代の大ヒット曲のカヴァー。カッラはフランク・シナトラの『脱走山脈』(65年)などに出演、女優として活躍の傍ら1970年にシンガーとしてデビュー、スペイン、南米でも根強い人気を誇っている。このTuca Tucaはパートナーの男性とお互いにボディタッチしながら踊るユニークな振付けで、一世を風靡。

Tuca Tuca Raffaella Carrà

10. ビティ・ボッピー・ベティ 
“Bitty Boppy Betty”

 まるで漫画のような賑やかさのノヴェルティ・ソングだが、これもオリジナル。1930年代に世界を席巻した、フライシャー兄弟による漫画映画「ベティ・ブープ」のインスパイア・ソングだろう。「ベティ・ブープ」の短編には、キャブ・キャロウェイやルイ・アームストロングなどのジャズマンが参加して、ユニークなサウンドを繰り広げていた。

11. シング 
“Sing”

 カーペンターズの「シング」(1973年リリース)は、ABCのテレビ番組「セサミ・ストリート」のために、ジョー・ラポソが書き下ろした名曲。番組ではスペイン語でも歌われ、1974年の日本ツアーでは日本語でも歌っている。ピンク・マティーニもオリジナルのアレンジのまま、チャイナ・フォーブスが英語で、エミリオ・デルガドがスペイン語で歌い、二人が英語で歌っている。


12. ピエンサ・エン・ミ
“Piensa En Mi

 チャベーラ・バルガス(1919〜2012)といえば、2007年アカデミー賞作曲賞に輝いた映画『バベル』(2006年)のサントラなどで知られているが、メキシコでは1950年代から60年代にかけて活躍した国民的歌手。1970年代に引退していたが、1991年この「ピエンサ・エン・ミ」で復活。その彼女をフィーチャーし、メキシコ・レコーディングを行った。もとは、トリオ・ロス・パンチョスによって世界的にヒットしたスタンダード。また最近では、スペインの女性歌手、ラズ・カサールによるカヴァーでも知られている。


13. ニュー・アムステルダム 
“New Amsterdam”

 詩人でジャズ・ミュージシャンのルイス・トーマス・ハーディン(1916〜1999)は、ムーンドッグの名前で、1940年代から70年代初頭にかけて、NYでストリート・ミュージシャンとして活躍。フルートやパーカッションで構成されたサウンドと、その詩は人々を惹き付け、1950年代のビートジェネレーションを象徴するアーティストとなった。この「ニュー・アムステルダム」は、ムーンドッグの代表作で、1994年にはLondon Saxophonicもレコーディング。

moondog “New Amsterdam”


14. ニンナ・ナンナ 
“Ninna Nanna Reprise”

 ダン・ファーンレのギターをフィーチャーし、チャイナ・フォーブスの囁くようなヴォーカルによるリプライズ。余韻を残すアルバムのエンディングとなっている。

*2010年ユニバーサルミュージックからリリースされた「草原の輝き」のライナーノーツに、大幅に加筆をしました。



よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。