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『ザッツ・エンタテインメントPART3』のアウト・テイク解説(パート1)

 『ザッツ・エンタテインメントPART3』は、これまでMGMミュージカル集成に加え、何らかの理由で本編からカットされてしまった貴重なナンバーを、数十年の時を超えて、スクリーンに蘇らせてくれた。アウト・テイクと呼ばれるこれら“幻のナンバー”たちは、ハリウッドで最もフィルム管理の良いMGMならではの秘蔵映像である。

“You Are My Lucky Star”  
『雨に唄えば』(1952年)

作詞:アーサー・フリード 作曲:ナシオ・ハーブ・ブラウン 歌:デビー・レイノルズ

 ジーン・ケリーの代表作にしてMGMミュージカルの象徴ともいえる『雨に唄えば』での未使用場面。映画の前半、デビー・レイノルズが撮影所で唄うシーンだが、残念ながらカットされた。
 『雨に唄えば』は1920年代末、ハリウッドのモニュメンタル撮影所を舞台に、サイレントからトーキーの移行時に巻き起こるてんやわんやの大騒動を描いた作品で、ジーン・ケリーが、超二枚目の映画スタア、ドン・ロックウッドに扮し、デビー・レイノルズはドンに憧れるコーラス・ガール、キャシー・セルドンを好演した。
 アウト・テイクで唄うデビーの後ろには、ジーン・ケリーと大女優の共演作の看板だが、ラストの“You Are My Lucky Star”をデビーとケリーが唄うシーンでは、二人の共演作『雨に唄えば』の看板となっている。
 “You Are My Lucky Star”は『雨に唄えば』のプロデューサー、アーサー・フリードが作詞、『踊るブロードウェイ』(1935年)でフランセス・ラングフォードが唄い、エレノア・パウエルがタップで踊った。MGMミュージカルを象徴する歌で、ベティ・ジェーン、『土曜は貴方に』(1950年)でフィル・リーガン、『ボーイ・フレンド』(1971年)でツイッギーが唄っている。
 MGM以外でも「ニューヨーク・ニューヨーク」(1977年)でもMGMミュージカルの申し子、ジュディ・ガーランドとヴィンセント・ミネリの愛娘・ライザ・ミネリも唄っている。

“A Lady Loves” 
『アイ・ラブ・メルヴィン』(1953年・未公開)

作詞:マック・ゴードン 作曲:ジョセフ・マイロー
歌・踊り:デビー・レイノルズ

 『雨に唄えば』で売り出したデビー・レイノルズとドナルド・オコナー共演の『アイ・ラブ・メルヴィン』は、残念ながら日本未公開。映画スタアを目指す踊り子(デビー・レイノルズ)とカメラマン志望の青年(ドナルド・オコナー)の恋の鞘当てを微笑ましく描いた青春ミュージカル。
 アウト・テイク“A Lady Loves”は、デビーが夢想する映画スタアの暮らし、ドナルドが憧れるカントリー・ライフの場面を巧みに編集。いずれのシーンもロバート・アルトンが振り付けている。
 本編で使用された“A Lady Loves”は、MGMの『踊るブロードウェイ』、『踊る不夜城』(1937年)などのブロードウェイ・メロディ・シリーズでお馴染みの往年の二枚目、ロバート・テイラーも本人役で特別出演。

“Two-Faced Woman” 
『バンド・ワゴン』(1953年・ヴィンセント・ミネリ)

作詞:アーサー・シュワルツ 作曲:ハワード・デイツ
歌・踊り:シド・チャリース(声はインディ・アダムスの吹替)

 ワイド・スクリーン前夜、MGMミュージカルの最高傑作が誕生した。アーサー・フリード製作、ヴィンセント・ミネリ監督、フレッド・アステア主演の『バンド・ワゴン』である。ショウビジネス界を舞台に、ステージの失敗に泣き、成功に笑うショウマンたちの心意気を数々のナンバーで綴った名作だが、『バンド・ワゴン』ほどアウト・テイクの多い作品も他にはないだろう。
 他にもオスカー・レヴァントの“Sweet Music”、アステアとチャリースの “You Have Everything”、アステアのソロ “Got A Bran’ Newsuit” 、T E3にも収録されてるアステアとチャリースの“Girl Hunt Ballet” の中の“Telephone Duet”などなど。
 そして「美しきダイナマイト」ことシド・チャリースの脚線美の魅力が爆発している“Two-Faced Woman”の素晴らしさは、今回のお披露目で証明された。
 1932年のヒット曲を振り付けたのが1950年代のMGMミュージカルを代表するコレオグラファー、マイケル・キッド。『バンド・ワゴン』の中盤、アステアとチャリースの“Dancing In The Dark”の直後、ファッション・ショウの場面に挿入される予定だった。シド・チャリースの踊りはMGMでもNo. 1だったが歌はあまり得意ではなく、大抵はインディ・アダムスが吹き替えていた。
 そのサウンドトラックをそのまま使用したのが、1920年代末からグレタ・ガルボと人気を二分したジョーン・クロフォード初のテクニカラー作品『トーチソング』(1954年・未公開)。ブロードウェイの大女優役を演じたが、当時の記録によるとわずか18日で撮影されている。作品の出来も芳しくなく、チャールズ・ウォルターズ演出、ヘレン・ローズ衣裳のTwo-Faced Womanも「カットすべきはジョーン・クロフォード版だったかもしれない。
 ジョーン・クロフォードと永遠のライバルだったグレタ・ガルボの引退映画が『奥様は顔が二つ』(1941年)というのも思わせぶりである。

“Ain’t It The Truth”
『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943年・未公開)

歌:リナ・ホーン
作詞:E.Y.ハーバーグ 作曲:ハロルド・アレン

 1940年代、第二次世界大戦がはじまると各スタジオは戦地の兵隊を慰問する目的で、キャンティーンものと呼ばれるオールスタア映画を連作した。その中には黒人兵に向けたものも含まれており、リナ・ホーンはフォックスの『ストーミー・ウェザー』(1943年)やMGMの『キャビン・イン・ザ・スカイ』で主役を演じていた。
 のちのMGMミュージカル黄金時代を築くヴィンセント・ミネリ監督のデビュー作『キャビン〜』は、エディ“ロチェスター”・アンダーソン、エセル・ウオーターズ主演のブロードウェイ・ミュージカルの映画版で、デューク・エリントン楽団も出演している。
 リナは主人公を誘惑するために悪魔から遣わされたセクシーなヴァンプ役だが、初登場シーンに予定されていたのがこのナンバーだ。
 バブル・バスのなかで健康的なお色気を発揮しながら歌っているのだが、この入浴シーンはリスキーとスタジオが判断。カットを余儀なくされた
 1975年のブロードウエイ・ミュージカル「ジャマイカ!」でリナ・ホーンによって歌われている。ところが、1943年にMGMが製作した短編「スタジオ訪問」には、このシーンを収録。手品の種明かしや、ジャグラー芸人となら、このシーンはOKというのが、当時のハリウッドの人種差別の問題を象徴している。

“Can’t Help Lovin’ Dat Man”
『ショウ・ボート』(1951年)

歌:エヴァ・ガードナー
作詞:オスカー・ハマースタイン二世
作曲:ジェローム・カーン

 エドナ・ハーバーの小説「ショウボート」は白人男性と黒人女性の恋愛を通して人種問題を扱い、センセーショナルな話題となった。ジェローム・カーンとオスカー・ハマースタイン二世は早速、これをミュージカル化して、ブロードウエイで大当たりをとった。
 『ショウボート』は1929年と1936年にそれぞれ映画化されている。ユニバーサルで製作された1936年度版では、ジュリー(黒人との混血女性)役をヘレン・モーガンが演じ、当たり役となった。こうした人種問題を扱う場合も、1930年代のハリウッドでは黒人の役でも白人が演じるのが伝統的であった。
 しかし、果敢にもMGMはジェローム・カーンの伝記映画『雲流れ去るまで』(1946年未公開)の劇中劇「ショウボート」で、リナ・ホーンをジュリー役に起用。スクリーンで初めてアフリカ系黒人のジュリーが誕生した。
 MGMは1951年、『ショウ・ボート』を破格の予算で映画化。実物大のコットンブロッサム号(製作過程の写真がTE3のエンドロールに登場)を造り、ハワード・キール、キャサリン・グレイスン主演の超大作として製作。
 ジュリー役に再度、リナ・ホーンを起用することにしたが、製作直前になって南部での興行を憂慮したスタジオは、リナを降板させることになる。代わりにエキゾチックな魅力で売り出し中のエヴァ・ガードナーを抜擢。エヴァはリナ・ホーンの“Can’t Help Lovin’ Dat Man”
の歌声をもとに、歌をレッスン、サウンド・トラックも吹き込んだ。
 ところが悲劇はまだ続く。エヴァの歌唱力に疑問を持った首脳部はアネット・ウォリンに吹き替えさせた。人種問題を扱うドラマの映画化に隠されたもう一つのドラマ、保守的なハリウッドの一面が露呈したエピソードだが、TE3ではエヴァ・ガードナーの美声も聴けるし、リナ・ホーンのジュリーも観ることができる。


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