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 20年に18作も作られた加山雄三の「若大将」映画。シリーズ第一作『大学の若大将』が作られたのは、プログラムピクチャー全盛の昭和36(1961)年。戦前からの二枚目スター上原謙のジュニアとして前年に東宝からデビューした加山雄三の魅力を最大限に引き出そうと企画された明朗青春篇だった。加山がデビューした昭和35(1960)年は60年安保に日本中が揺れ動いていた。リアルな大学生は恋やスポーツを謳歌するというより、デモに明け暮れていた政治の季節でもあった。

 しかし、映画産業は別。明るく楽しい東宝映画にふさわしく、「社長シリーズ」「お姐ちゃんシリーズ」などが連作されていた。当初は岡本喜八アクションなど、男性活劇を中心に活躍していた加山だったが、スポーツ万能、女の子にはモテモテ、そして多趣味で、さらにはドカベンというあだ名の通り大食漢という「地」を生かして、脚本家の笠原良三と田波靖男によって生み出されたのが「若大将」こと「田沼雄一」のキャラだった。それに東宝の製作本部長だった藤本真澄の「ジュニア好み」と「戦前松竹明朗喜劇の復活」という思惑も一致して、60年安保の翌年に究極のノンポリ大学生「若大将」が誕生した。ヒーローには政治は関係ない。というのが、大人の映画界の考え方だったのだろう。

 それにレジャーブーム。政治の季節から消費社会こそ美徳。という風潮に急転換したのが、この時代でもあった。屈託のない若大将のキャラは、見事に60年代のキャンパスライフの夢のビジュアル化を実現。さらに星由里子のヒロイン澄子が、スチュワーデスだったり、海外出張するBG(ビジネスガール)だったりと、これまた憧れの花形職業であることも、映画のファンタスティックな空間を広げている。田中邦衛の青大将も「ボクのパパ社長」が口癖で、金持ちを謳歌しているブルジョワである。現実にいたら、相当嫌な人々だが、銀幕となると、これが夢の空間となる。

 さらに昭和30年代には庶民には高嶺の花だったハワイ旅行などへも、学生の分際で出かけてしまう。ワイキキの浜辺で澄ちゃんを前に、ウクレレ片手に唄う英語歌が、加山のオリジナルというのも当時は大変なこと。シンガーソングライターなどという言葉はなく「自作自演」と言われていたのだ。

 サーフィンやスキー、それにアメリカンフットボール。映画に出て来るスポーツも、庶民にとってはハイカラなもの。新しいアイテムがふんだんに映画に登場し、次々とヒット曲が唄われる。エレキギターをフィーチャーしたのも、若大将が早かった。

 そうした最新のアイテムだけでなく、老舗の若旦那がひょんな事から勘当されて、その世界で活躍して、家に戻って来る、という落語の「若旦那もの」のパターンをきちっと踏襲した大いなるマンネリズムも魅力的。日本人の最も好む「貴種流離譚」に仕立てのは、脚本チームの勝利だろう。だから、有島一郎のお父さんに、飯田蝶子のおばあちゃん、そして妹・照子の中真千子、さらに若大将の友人でクラブのマネージャー江口の江原達●といったレギュラー陣が織りなすアンサンブルは、一度見たら必ずハマってしまうこと請け合い。

 余談だが、老舗の若旦那の放浪譚で、両親が不在で、しっかり者の妹がいるというと『男はつらいよ』と同じ家族構成になる。下町と山の手の違い、そして恋が成就するか否かの差はあれど、「若大将」と「寅さん」の構造はよく似ている。もちろん若大将の方が早い。

 というわけで、高度経済成長を象徴するシリーズとなった「若大将」だが、その本質は「男はつらいよ」と同じ構造を持つ、日本人の最も好きなパターンの物語だということが、今なお、新しいファンを産み続ける原動力だろう。

 それに東宝映画ならではの女優陣の充実もポイントが高い。シリーズ前半によく登場した田村奈美、ボンドガールの若林映子、高橋紀子に柏木由起子と、メインではない脇の女優まで目が離せない。音楽も第一作はドドンパだったのが、ハワイアン、エレキ、フォーク、ロック、それに演歌まで、折々の流行を先取りして、若大将が唄い、演奏するのだ。70年代、シラケ世代と呼ばれる若者たちが、ありもしなかった GOLDEN 60’Sに憧れて、若大将シリーズを支持し、私生活もどん底だった加山雄三自身が復活したという美談もある。

 とにかく、だまされたと思って観てほしい。そして実は60年安保とビンボーしかなかった60年代の学生生活が、夢のGOLDEN 60’Sだとだまされて欲しい。それがプログラムピクチャーの楽しみ方。だって『ハワイの若大将』は『マタンゴ』と同時上映だし、『エレキの若大将』は『怪獣大戦争』の併映だったのだから!








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