海外ミステリー映画史 PART3    1940年代

*1998年「カルト映画館 ミステリー&サスペンス」(社会思想社)のために執筆したものを加筆修正。(映像リンクで実際の作品、予告編が観れます)

 アルフレッド・ヒッチコックは1940年、『風と共に去りぬ』(1939年・ヴィクター・フレミング監督)などの製作者として知られるデヴィッド・O・セルズニックに招かれ、ハリウッドにやってくる。ローレンス・オリビエ、ジョーン・フォンティーン主演の『レベッカ』(1940年)のためである。
 ここからサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックの華やかなハリウッド遍歴が始まる。時局スパイ映画ともいうべき『海外特派員』(1940年)、心理サスペンス『断崖』(1941年)、ニューヨークの自由の女神での追跡場面がショッキングだった『逃走迷路』(1942年)、日常生活に忍び寄る恐怖を描いた『疑惑の影』(1942年)と、スリルとサスペンスのショウ・ケースのようなヒッチコック作品は、後のハリウッド映画の作家たちに多大な影響を与えることになる。が、この時点で、ハリウッドでのヒッチコックの地位は、西部劇のジョン・フォード同様、職人監督の一人だった。

レベッカ(1940)本編 

海外特派員(1940)予告

断崖(1940)予告

逃走迷路(1942)本編

 1940年代のハリウッドでは、ハンフリー・ボガート主演の『マルタの鷹』(1941年・ジョン・ヒューストン監督)の成功により、ハードボイルド映画がちょっとしたブームとなった。監督のジョン・ヒューストンはこれがデビュー作となり、私立探偵サム・スペードに扮したハンフリー・ボガートも長い下済み時代を経て、ようやくスターとして開花した。
 黄金をめぐる男たちの人間模様を壮絶なタッチで描いた『黄金』(1948年・ジョン・ヒューストン監督)など、ボガートとヒューストンのコンビ作は一時代を築くことになる。

マルタの鷹(1941)予告

黄金(1948)予告

 ハメットと並ぶハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの探偵フィリップ・マーロウをハンフリー・ボガートが演じた『三つ数えろ』(1946年)は、娯楽映画の巨匠ハワード・ホークスが演出。原作「大いなる眠り」をほぼ忠実に映画化して、ヒロインのローレン・バコールのハスキー・ヴォイスとともに忘れがたい傑作となった。
 余談だが、ジョエルとイーサンのコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』(1998年)の構成はこの『三つ数えろ』を意識している。ハードボイルドものは、探偵が事件の捜査を通じて、まったく未知の世界を遭遇するというのがひとつのパターンで、庶民というか底辺の世界にいる探偵が、捜査のために上流社会の不思議な人間関係と出会う。次から次へと襲いかかるピンチを、その場の機転で切り抜けていくタフな主人公というのが、前提条件である。

三つ数えろ(1946)予告

 フィリップ・マーロウといえば、ロバート・モンゴメリーが監督・主演した『湖中の女』(1946年)がある。二枚目ながら個性派だったモンゴメリーの第一回監督作品だけに、ハードボイルド小説の語り口である「一人称」を生かした、全編フィリップ・マーロウから見た主観的構成という大胆な試みをしている。だから1シークエンス、1ショット、キャメラの目線はマーロウのものという、いわば脱映画だった。合間に、マーロウが事件の経過を観客に説明するというシーンがあるものの、異色作として記憶されている。

湖中の女(1946)予告

社会情勢の変化とともに変革していく映画

 さて、第二次大戦が集結すると、ハリウッドでの犯罪映画の質も微妙に変わってくる。これまで、ヒッチコックの一連の冒険アクションでは、自由社会を脅かすナチスや、軍需工場で破壊工作をする反動分子など、いわゆる国策に反する活動をするものが敵として、それらを倒すヒーローが主人公だった。
 しかし、戦争が終わりに近付くにつれ、男たちが復員してくると犯罪映画の質も変わってくる。彼らは戦争で心身ともに傷つき、それを癒すなめに精神分析医が大流行したりと、社会情勢の変化も映画に微妙な影響を与えている。例えばヒッチコックの『白い恐怖』(1945年)は、それまでの日常的な環境を舞台にしたサスペンスの作り方ではなく、トラウマやコンプレックスなど精神的な恐怖を題材にしているという点で新しかった。
 主人公のグレゴリー・ペックは、白いテーブルクロスについたフォークの線に恐怖を覚え、白いものと縞を見ると発作を起こしてしまう。彼の悪夢のイメージをシュール・レアリズ作家のサルバトール・ダリが担当するなど、いわゆる精神分析をテーマにしたサスペンスだった。

白い恐怖(1945)本編

 こうした心的要因をテーマにしたニューロティック・スリラーが1940年代中盤には多くつくられ、ロバート・シオドマーク監督の『らせん階段』(1945年)などもその一本だろう。
聾唖の少女に襲いかかる殺人鬼の恐怖。意外な犯人の正体など、ヒッチコック映画の評価に隠れてしまって、あまり語られることは少ないが、シオドマーク監督の心理サスペンスの盛り上げ方とショック演出は40年代スリラーのベストの1本といってもいいだろう。とくに、ドロシー・マクガイアが演じた少女ヘレンの恐怖演技はすばらしい。

らせん階段(1945)本編

 1940年代の推理サスペンスとしては、オット・プレミンジャー監督の『ローラ殺人事件』(1944年)も忘れてはならない。美人デザイナー、ローラ(ジーン・ティアニー)が何ものかに殺される。真犯人は誰かといった推理ものの王道をゆく構成だが、オットー・プレミンジャー監督の手堅い演出には、ハリウッドらしいケレンとヨーロッパ映画の香りのが溢れて、登場人物たちの心理描写が巧みで、前述のニューロティック・スリラーの雰囲気もただよう。余談だが、原作ではジェローム・カーンの名曲「煙が目にしみる」を効果的に使用していたが、映画では新曲「ローラ」(作曲・デイヴィッド・ラクシン)の切ないメロディーが使われていた。この「ローラ」は後に歌詞がつけられて、スタンダード曲として大ヒットしている。

ローラ殺人事件(1944)予告

ファム・ファタール

 さて、1940年代になると、ハードボイルドの影響か、ハリウッドの犯罪映画のヒロインは<ファム・ファタール=運命の女>と呼ばれる、犯罪的美女となってくる。『マルタの鷹』のメアリー・アスターあたりがその嚆矢なのだが、フランス語で<ファム・ファタール>と呼ばれる悪女的ヒロインは、1940年代中盤のバーバラ・スタンウイック、ラナ・ターナー、リタ・ヘイワースに止めを指す。 

 絶妙な語り口では定評のあるビリー・ワイルダー監督が「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で知られるジェームズ・M・ケイン原作の「倍額保険」を映画化した『深夜の告白』(1944年)は、40年代の犯罪映画のある意味では代表作といえるだろう。
 ワイルダーはハードボイルド作家のレイモンド・チャンドラーと共に脚色にあたり、ハリウッドの倫理規定ギリギリのところで、この映画を成立させている。保険会社の営業マン・ウオルター(フレッド・マクマレイ)が、顧客のディトリクスン(トム・パワーズ)の妻フィリス(バーバラ・スタンウイック)の妖艶さに惹かれ、その肉体に溺れる。
 フィリスはウオルターに、夫を殺して保険金を奪う計画を持ち掛ける。フィリスの虜となったウオルターはディトリクスンに倍額保険の署名をさせた上で殺害する。完璧な計画だったが、ウオルターの上司キース(エドワード・G・ロビンスン)は疑いを持ち、保険金が支払われないことにいらだちを覚えたフィリスは、共犯であるウオルターに銃口を向ける。
重傷を負ったウオルターはフィリスを殺害し、保険会社の事務所で深夜、ことの真相をレコーダーに告白する。
 「犯罪は引き合わない」という犯罪者必罰のハリウッド法則を遵守しながら、ワイルダーの演出は、バーバラ・スタンウイックに溺れるフレッド・マクマレイの悲劇と、夫殺しの壮絶なサスペンスを見事に描いている。

深夜の告白(1944)予告

 ジェームズ・M・ケイン原作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、イタリアでルキノ・ヴィスコンティが1942年に初めて映画化して、1981年のジャック・ニコルソンとジェシカ・ラング主演のバージョン(ボブ・ラファエルソン監督)と三回ほど映画化されているが、犯罪映画史上の傑作はやはり、1946年にMGMが製作した二度目の映画化である『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ティ・ガーネット監督)。
 流れ者のフランク(ジョン・ガーフィールド)が、大衆食堂を訪れ主人のニック(セシル・ケラウェイ)に雇われる。フランクが物音を聞いて振り返ると、美しい脚が目の前にある。それをパン・アップすると妖艶という言葉がピッタリの若妻コーラ(ラナ・ターナー)が立っている。当然のごとくコーラに惹かれるフランクは、コーラとともにニック殺しを計画する。
不倫、そして殺人。ハリウッドの倫理規定ギリギリの描写が、観客を圧倒する。もちろん、最期にニックは死刑となる場面がある。が、ラナ・ターナーのお色気は、男を犯罪に走らせるには十分過ぎるほどのものがあった。

郵便配達は二度ベルを鳴らす(1946)本編

 コロムビア映画最大の美女といえばやはり、リタ・ヘイワース。かのオーソン・ウエルズが一目惚れをして、結婚したのもうなずけるほど、リタ・ヘイワースには男を狂わせる妖艶な<何か>があった。
その、セクシーな魅力が全開したのが『上海から来た女』(1947年・オーソン・ウエルズ監督)。ウエルズとしては五本目の監督作で、シャーウッド・キングの原作を自ら脚色している。
 老富豪(エヴェレット・スローン)の若い妻(リタ・ヘイワース)に惹かれた船員(オーソン・ウエルズ)が、富豪に誘われカリブ海からサンフランシスコへ向かう豪華ヨットに乗り込む。ウエルズとリタ・ヘイワースは航海中に深く愛し合う。嫉妬深い富豪はどうやら不能者らしい。
不気味な顧問弁護士(グレン・アンダース)が、ウエルズに「保険金が欲しいから、自分を殺したという自白書にサインを書けば、五千ドルを渡す」と持ち掛ける。死体が出なければ罪にはならない、というのである。
 クライマックス、法廷から逃走したウエルズが遊園地のビックリハウスの鏡の間にまぎれこむシーンがすばらしい。鏡張りの部屋に、老富豪、リタ・ヘイワース、ウエルズの三人がいる。どこに相手がいるのかわからないままの銃撃戦がサスペンスを生む。その映像美にウエルズの美学が冴え渡る。
 後の『燃えよドラゴン』(1973年・ロバート・クローズ監督)の鏡の間の場面は、この作品にインスパイアされたという。リタ・ヘイワースの美しさに主人公が翻弄される作品としては『ギルダ』(1946年・チャールズ・ビドア監督)やその姉妹編ともいうべき『醜聞殺人事件』(1952年・ヴィンセント・シャーマン監督)などがある。

上海から来た女(1947)クリップ

コメデイ、異色のミステリー

 1940年代の犯罪映画にはコメディ・スタイルのバリエーションも多く作られている。巨匠フランク・キャプラの『毒薬と老嬢』(1944年)は、アパートを経営する二人の老婦人が、身寄りのない老人を毒殺して、世の中のためになったと喜んでいる。そこへ殺人狂とフランケンシュタイン博士風の男が死体とともにやってくる。結局11体の死体がアパートに存在することになり、演劇評論家モーティマー(ケイリー・グラント)が新婚の妻とともに、伯母たちを尋ねて事態はいよいよややこしくなる。これまでヒューマンな作品で知られてきたフランク・キャプラ監督がブラック・ユーモアに挑戦した異色作。 
 スクリュー・ボール・コメディの旗手プレストン・スタージェス監督の『殺人幻想曲』(1948年)や、人気コメディ・チーム、バット・アボット&ルウ・コステロの『凸凹探偵の巻』(1942年・アール・C・ケントン監督)や『凸凹殺人ホテル』(1949年・チャールズ・バートン監督)などが作られている。変わったところでは『我が道を往く』(1944年・レオ・マッケリー監督)の主演コンビである、ビング・クロスビーとバリー・フィッツジェラルドが探偵役に挑戦した『歌う捕物帖』(1949年・デヴィッド・ミラー監督)は、アイルランドのある村で宝石が盗まれ、保険調査員のビング・クロスビーが派遣されるという、ユーモラスな探偵映画だった。

毒薬と老嬢(1944)予告

殺人幻想曲(1948)本編

凸凹探偵の巻(1942)予告

凸凹殺人ホテル(1949)予告

 異色の探偵映画としてはコーネル・ウーリッチ原作の『夜は千の眼を持つ』(1947年・ジョン・ファロー監督)がある。超能力を持つ主人公エドワード・G・ロビンソンが、ゲイル・ラッセルの死を予知し、なんとかそれを防ごうとするが、様々な障害に出会う。予知能力を持ってしまった男の悲劇といえば、クリストファー・ウォーケン主演の『デッド・ゾーン』(1983年・デビッド・クローネンバーグ監督)を思い出すが、こちらはそのルーツのような作品だった。このほか40年代のミステリー作品では『私は殺される』(1948年・アナトール・リトヴァク監督)。ケネス・フィアリング原作の『大時計』(1948年・ジョン・ファロー監督)などが印象的だった。

夜は千の眼を持つ(1947)本編

私は殺される(1948)予告

大時計(1948)予告


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。