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『喜劇駅前音頭』(1964年・東京映画・佐伯幸三)

 昭和39(1964)年8月11日公開のシリーズ第9作。小田急線・向ヶ丘駅前商店街のB O N洋装店の孫作(伴淳三郎)と藤子(淡路恵子)と、森田呉服店の徳之助(森繁久彌)と圭子(淡島千景)夫妻。お互いライバル同士で、何かにつけて張り合っている。駅前シリーズは「商店の喜劇」として作られてきたが、今回は「商店街の喜劇」の色合いが濃い。

 この商店街での宣伝、パブリシティを一手に担っているのが、広島弁で「ほてからに」「へてからに」「ワシの分はのう」を連発する坂井次郎(フランキー堺)。この広島弁のキャラは、前年のハワイロケ作品『社長外遊記』(1963年・松林宗恵)でフランキーが演じたハワイの日系三世の延長にある。今回は、シリーズ初の海外ロケ作品、夢のハワイが舞台なので、フランキーのワルノリぶりが際立っている。

 駅前の笑いは、小手先のものが多いが、今回もゆるゆるといろんなネタがちりばめられている。まあそれは「アチャラカ喜劇の味」なのでくだらないなぁと楽しめばいい。伴淳、フランキーが妙なヅラをかぶっていたり、変なくすぐりのオンパレード。ここが好き嫌いの分かれ道だけど(笑)浴衣を売り出したい淡島千景と、アロハシャツを流行らせたい淡路恵子のライバルが角突き合わせるシーンで、B G Mが「真昼の決闘」風となり、商店街の放送で駅前映画劇場上映作品『女の決闘』のアナウンスが流れたり。

 この年、森繁はTBSでドラマ「七人の孫」が1月にスタート。たちまち人気ドラマとなっていた。ドラマで孫を演じていた松山英太郎が森田呉服店の店員・定吉、いしだあゆみがBON洋装店のゆかり役で、駅前初登場。テレビの人気が映画にフィードバックされ、画面はより賑やかに。テレビ人気に映画が頼りつつあったが、同時にテレビで生まれた森繁ファミリーの若手へ、チャンスを与えたともとれる。

 で、ハワイから次郎の同県人、日系二世のノリー・三井(三木のり平)がやってくる。カタコトの英語混じりの広島弁で、フランキーと怪しげな密談をするのり平さん。「メリー高山にネコ(コネ)つけて」「ひとつ骨折(骨折って)して」と、日本語が怪しくなる感じは、のり平さんのアドリブだろう。

 『駅前音頭』だけに、商店街の盆踊りに、ボス宮崎とコニーアイランダースをフィーチャーして、ハワイからのフラダンスチーム、ナウイ・フラ・オ・ハワイが登場。盆踊り大会をプロデュースしているフランキー「行かないと」、のり平さん「WCか?」、フランキー「いやMC」と言って、ステージに立ってMCを始める。この呼吸。くだらないけど面白い。そこで、紹介されるのは、急遽、沖縄民謡を歌うことになった由美(大空真弓)。

 続いてスリーファンキーズ登場!主題歌「駅前音頭」を歌う。長沢純さん、手塚しげおさん、早瀬雅男さんの第二次スリーファンキーズ(第一次の高橋元太郎さんは2年前の『喜劇駅前飯店』に出演)は、当時人気絶頂。「パッと行こうよ、パッとね」のフレーズで、のり平が両手を反射的にパッと開くショットがあるが、「社長シリーズ」ののり平の「パーッと行きましょう」がいかに流行していたかがわかる。パッと開いた後、ショボンとうつくむタイミングが絶妙。

 後半、沖縄民謡が評価され由美はハワイへ。孫作も戦死した双子の兄が叙勲されることになりハワイへ。面白くないのは徳之助だが、由美が持って行った浴衣が好評で大量発注を受けて、孫作夫妻、徳之助夫婦、由美の姉・染子(池内淳子)と次郎、三組のカップルがハワイへ行くこととなる。

 この御都合主義! ハワイに行くだけで物語が成立する時代だったのである。「トリスを飲んでハワイへ行こう」キャンペーンがスタートしたのは昭和36年、日本人の海外自由渡航が可能となったのは、昭和39年4月だから。この晴れがましさこそ、この時代の空気なのである。渡航が決まった孫作夫妻、徳之助夫妻、食卓で洋食を食べ、英語の練習を始める。なんとも微笑ましい。

 ハワイについてからは、孫作の父でパイナップル王・久作(山茶花究)、三平、由美が出迎えてとにかく観光名所が次々と紹介される。まさに「夢のハワイ」で「駅前シリーズ」である。伴淳的には、この10年前、新東宝初のカラー大作『ハワイ珍道中』(1954年・斎藤寅次郎)以来のハワイでのアチャラカ芝居。10年間、何にも変わらない芸風(笑)まさにアジャパー天国である。


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