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娯楽のデパート 井上梅次監督のカラフルな世界


 井上梅次監督。戦後日本映画を娯楽作で牽引してきた、その功績の大きさに比べ、新聞報道の訃報の小ささに驚いた。まぁ、それが今という時代なのだけど、ここでその偉業を振り返ってみよう。

 井上監督は1952(昭和27年)、新東宝『恋の応援団長』を皮切りに、5社協定の時代に東宝、日活、大映、東映、松竹と、邦画各社を渡り歩いて、数々の娯楽作を勢力的に手がけ、1960年代末には香港映画界に乗り込んだ。その生涯で撮った作品はなんと116本! 新東宝では、雪村いづみのジャズ映画を手がけ、日活では石原裕次郎の黄金時代の礎を築いた、アルチザンである。

 「映画は楽しく」をモットーに、音楽映画、アクション映画、文芸作、ミステリーなどなど、そのジャンルは実に幅広い。娯楽に徹し、ケレンのある演出、判りやすい展開、徹底したスター主義により、日本映画のプログラムピクチャーの牽引的存在となった。裕次郎、勝新太郎、長谷川一夫、鶴田浩二、浅丘ルリ子といった戦後のスターの主演作をほとんど出がけているのも凄い。

 日活の新人・赤塚親弘に赤木圭一郎と名付けたのも井上監督。日活アクションというジャンルも井上がそのレールを敷いた。『勝利者』(57年)ではボクシングとバレエ映画を融合させ、『鷲と鷹』(57年)では海洋アクションと、裕次郎をカッコ良く見せるための、様々なアイデアとケレンに溢れている。

 香港に渡って初めて手がけた『香港ノクターン』(67年)は、松竹で撮ったミュージカル『踊りたい夜』(63年)のセルフリメイクだが、その徹底した“完コピ”ぶりには、感動すら覚える。しかも初作を超えることなどムリというジンクスをものともせず、自作の模倣が、オリジナルを超える傑作になることを証明。

 その作品世界は、一見、気恥ずかしくもあるが、そうした感覚を軽々と超えてしまう“面白さ”が、井上作品の魅力になっている。例えば、初期の『娘十六ジャズ祭』(54年)や、『東京シンデレラ娘』(同年)での「ジャズ」は、決して渋いJAZZではなく、あくまでも大衆が「ジャズ」という名で親しんだ「戦後の洋楽」のことと理解すれば、得心がゆく。

 これらのジャズ映画が、日活で裕次郎売出しのキーマンとなったとき、あの「♪おいらはドラマ〜」の『嵐を呼ぶ男』(57年)に結実する。利き腕を暴漢にメタメタにされて、ドラムを叩く事ができなくなった裕次郎は、スティックをマイクに持ち変えて、とっさに唄い出す! その格好良さで、裕次郎人気は不動のものとなった。それでOKなのである。「ジャズ」というのはあくまでも設定上に必要だっただけ。でも、これらの映画を通して、井上監督自身は「ジャズ映画」を手がけたという自負を持ち、続いて小林旭売り出しの『嵐を呼ぶ友情』(59年)で再びジャズ映画に挑戦。さらに、日活から宝塚映画に移って、『嵐を呼ぶ楽団』(60年)という傑作を撮ってしまう。これが凄い!

 ご本人は、まったくブレることなく、信念を持って井上流の「ジャズ映画」を作り続けた結果、こうした傑作が誕生してしまう。しかも『嵐を呼ぶ男』を、そっくりそのまま香港で『青春鼓王』(67年)リメイクしてしまうのは、自作への確信の現れ。しかも、台詞やショット、セットのデザインまでも“完全なリメイク”なので、初作を観ている人には、広東語が判らなくても、判ってしまう!

 この「ジャズ」という感覚は、例えば『踊りたい夜』の「ショウ」にも通じる。ミュージカルという観点では、そんなに立派なナンバーやダンスがあるわけではないのに、(少し恥ずかしめの歌詞やダンスも含めて)不思議な感動を呼んでしまうのだ。

 テレビの時代では、いち早く「土曜ワイド劇場」の目玉となった、天知茂の「名探偵明智小五郎」シリーズを演出。放送開始50分後に、ベッドシーンや裸体を入れて視聴者を惹き付けるといった、サービス精神は映画時代のまま。江戸川乱歩の「化人幻戯」をドラマ化するときも、タイトルに「エマニエルの美女」(80年)とつけて、思春期の少年を誘導。イヤらしい=エマニエルという感覚は“なんでもジャズ”に通じるサービス精神でもある。井上作品に“気恥ずかしい”“大衆的過ぎる”とレッテルを貼る前に、ぜひ、そのケレンと徹底したサービス精神溢れる、滅法面白い展開を楽しんで欲しい。

 監督が残した116本の映画には、戦後ニッポンのあらゆる娯楽の要素が、これでもか、と詰まっているのだから。


井上梅次の音楽映画

 ニッポン・ミュージカルの歴史を振り返ると、いつもそこに、井上流“ジャズ”映画がある。空前のジャズ・コンサート・ブームのさなか、天才少女歌手・雪村いづみをフィーチャーして作った新東宝の『娘十六ジャズ祭』(54年)は、高島忠夫、フランキー堺と後の『君も出世ができる』(64年東宝・須川栄三)の主演者の“売り出し”映画でもある。ここでいづみが歌う「ガイ・イズ・ア・ガイ」「遥かなる山の呼び声」などは、戦後ジャズブームの記録としても貴重。フランキー堺の「ジャパニーズ・ルンバ」もイカしてる。しかも、戦前のニッポン・ミュージカルのパイオニア、古川緑波を迎えての“お涙頂戴”も忘れていない。“ジャズを大衆のものに”という井上の信念は、続く雪村いづみの『東京シンデレラ娘』(54年新東宝)の成功を導き、東宝での江利チエミ、雪村いづみ、寿美花代の『ジャズ娘乾杯』(55年)と、次々と音楽映画を手がけている。

 これらの作品は、いずれも元芸人と貧しいけど唄が上手い女の子が、ショウを成功させる。という戦前のハリウッド・ミュージカルのパターンを踏襲。当時の人気者を総出演で、次々とナンバーを繰り出すという、和製音楽映画というジャンルをなしていく。

 日活に移籍しても、江利チエミの『裏町のお転婆娘』(56年)、売り出し中の石原裕次郎も顔を見せたコニカラーの大作『お転婆三人姉妹 踊る太陽』(57年)とコンスタントに発表。いずれも「ジャズ・オン・パレード」とサブタイトルが付いていた。井上流“ジャズ”映画の成功作が、ご存知の『嵐を呼ぶ男』(57年)となる。その成功を受けて、裕次郎の「ジャズ・オン・パレード」として作った『素晴しき男性』(58年)は、オリジナルのミュージカル映画に挑戦した意欲作だが、今の眼で観ると、いささか気恥ずかしい。でも、この映画にも「大衆を楽しませよう」という監督の信念が通底している。

 こうした井上流ミュージカルの頂点は、東宝傍系の宝塚映画で手がけた、宝田明、高島忠夫、雪村いづみの芸人映画『嵐を呼ぶ楽団』(60年)だろう。それまでの作品で描いて来たエッセンスを適度に配分、エゴイストのミュージシャン宝田明と、鼻持ちならないミュージカル・スター雪村いづみの恋と、高島忠夫、神戸一郎、水原弘、柳沢真一、江原達怡ら楽団ブルースターの集合、離散、そして再結成を感動的に描いた傑作となった。プロダクションナンバーのスケールも、音楽も充実しており、『素晴しき男性』の気恥ずかしさの微塵もない、バランスの良い娯楽映画となった。


井上梅次のミステリ世界

 井上監督宅にお邪魔したときに、ハヤカワのポケミスが番号順にズラリと並んでいたのに驚いたことがある。よく考えたら、井上監督のミステリ好きは、日活時代の『死の十字路』(56年)を思えば、当たり前なのだが。この映画、江戸川乱歩の「十字路」を、三國連太郎と新珠三千代で、独自の解釈も含めて映画化。全く関係のない登場人物が、交差点でニアミスして、物語が錯綜していく鮮やかな演出は、江戸川乱歩から褒められたとは、監督に伺った話。

 ミステリ好きが功を奏したのが、『嵐を呼ぶ男』大ヒットのさなか、裕次郎の正月映画第二作を、急遽撮らなければならなくなった『夜の牙』(58年)だろう。これは完全オリジナル脚本で、町医者の裕次郎が、戸籍謄本をとりに行ったら、自分は既に死んでいることになっていた、という謎からドラマが始まる。「自分探し」は日活アクションのモチーフだが、次第に浮き彫りになっていく事件の真相。意外や意外の真犯人まで、“急遽”とは思えない面白さに溢れている。

 そして、ミュージカルとミステリの幸福な融合が、京マチ子の『黒蜥蜴』(62年)だろう。男装した黒蜥蜴こと緑川夫人が、獲物を仕留め、踊る様にステップを踏む。その姿には惚れ惚れする。黛敏郎作曲、三島由紀夫作詞の主題歌もイカしている。大木実の明智小五郎は、石井輝男監督の『恐怖奇形人間』(69年)よりこちらが先。

 東映での『暗黒街最後の日』(62年)『暗黒街最大の決闘』(63年)『暗黒街大通り』(64年)は、石井輝男作品とはベクトルの異なる、(よく見ると)暴力否定映画。活劇で比較すると面白いのが、裕次郎のやくざ映画『明日は明日の風が吹く』(58年)と鈴木清順によるリメイク『俺たちの血が許さない』(65年)。井上は非暴力で問題が解決し、清順は日活史上(おそらく)最大の銃撃戦となる。

 ケレンといえば、スパイ防止法制定映画として作られた『暗号名黒猫を追え!』(87年)に尽きる。北の共和国による拉致、スパイの暗躍を、柴俊夫、本郷功次郎、真夏竜らが演じる公安が暴く、というミステリだが、正義の側に「特撮ヒーロー」出身俳優を配したのは、監督によると“確信犯”とのこと。

香港の井上梅次

 井上監督は1967(昭和42)年から71(昭和46)年にかけて、ショウ・ブラザースで17本もの香港映画を勢力的に演出。まるで日活や松竹のように香港のスタジオで、井上流娯楽映画を連作しているのも凄い。そのきっかけは、60年代初めに香港に移った新東宝の西本定正キャメラマンの声がけだったという。

 1965(昭和40)年、邵逸夫(ランラン・ショウ)が来日、監督契約を結んだ井上は香港に渡り、芸人三姉妹のミュージカル大作『香江花月夜/香港ノクターン』(67年)を演出。言葉もわからない、コミュニケーションも不自由な状況で、井上は自作『踊りたい夜』(62年)の完全リメイクを成功。倍賞千恵子が演じた次女の役を、胡金銓(キン・フー)の傑作武侠映画『大酔侠』(66年)のヒロイン、鄭佩佩(チャン・ペイペイ)をフィーチャー。音楽には服部良一を迎え、最強の布陣で映画化。

 同作で、佐田啓二の役を演じた凌雲は、眼力のするどい、いかにも往年の二枚目タイプ。その凌雲をフィーチャーして、裕次郎の出世作『嵐を呼ぶ男』(57年・日活)を、そのまま香港に置き換えた『青春鼓王』(67年)は、ファーストシーンからラストまで、ほぼ全カット、オリジナルに準じるという、判りやすいリメイク。肝心の「唄ドラマー」のシーンは、曲がイマイチなので興趣がわかないが、香港製日活映画として楽しめる。気恥ずかしさも国境を越えることを証明。この映画でも、井上流“ジャズ”は健在。

 こうして自作、とくに手応えのあった作品を次々とリメイク。『花月良宵』(68年)は、新東宝の『東京シンデレラ娘』(54年)で、雪村いづみの役をそのまま李菁に置き換え、新東宝の“ジャズ”映画を再現。音楽は服部良一なので、オリジナルよりゴージャズな印象を受ける。とはいえ服部メロディも焼き直しが多く、なぜかエノケンとシミキンの『幸運の仲間』(46年)の主題歌が出て来たり、それはそれで楽しい。

 この時期、中平康、松尾昭典ら監督がショウ・ブラザースに招聘されているが、彼らのマネージメントも井上の個人事務所が担当。舛田利雄監督にも「香港で撮らないか」と持ちかけたという。多忙を極めた井上が日本を離れられない時には、香港からキャストを呼んで、松竹大船撮影所を貸しスタジオとして『青春戀』(70年)など、日本製香港映画も撮っている。斜陽の映画界にあって、井上監督はさすが海軍の主計課出身だけあって、ビジネスマンとしてもかなりのやり手でもあったことが伺える。

ショウ・ブラザース作品
1967年
『香江花月夜』『諜網嬌娃』『青春鼓王』
1968年
『花月良宵』『諜海花』
1969年
『釣金亀』『青春萬歳』
1970年
『女校春色』『遺産伍億圓』『青春戀』『女子公寓』『鑚石艶盗』
1971年
『五枝紅杏』『齊人樂』『我愛金龜婿』『夕陽戀人』
1972年
『玉女嬉春』


井上梅次ベスト5

<アクション映画NO.1>
『鷲と鷹』(1957年・日活)
 日活の海洋アクションは、本作から始まる。新東宝時代に鶴田浩二をイメージして書き上げた脚本を、井上組チーフの舛田利雄が脚色。プロローグで裕次郎の父が何者かに殺される描写を入れて、その謎を探るべく裕次郎が船員としてタンカーに乗り込む。その登場シーンの格好良さ。裕次郎の好敵手的存在に三國連太郎。そこに浅丘ルリ子の清純ヒロイン、月丘夢路のヴァンプを配置し、犯人探しのミステリーとクライマックスの嵐のスペクタクルを巧みに絡めて、最後まで飽きさせない。しかも、裕次郎に初めて主題歌「海の男は行く」を歌わせ、裕次郎映画に歌はつきもの、の黄金律を作った。

<ジャズ映画 NO.1>
『嵐を呼ぶ楽団』(1960年・宝塚)

 裕次郎の『嵐を呼ぶ男』(57年)、小林旭の『嵐を呼ぶ友情』(59年)と、ジャズミュージシャンの世界を描いて来た「嵐を呼ぶ」三部作の最高傑作。野心家のジャズピアニスト、宝田明が「自分のサウンド」を求めて、楽団ブルースターを結成。その集合と離散が、実に手際良く、適度にウエットなエピソードを交えて描かれる。数ある井上音楽映画のなかでも、さまざまな要素が絶妙な案配で、ラストの不思議な感動に向けてドラマが突き進んで行く。ハリウッド映画にインスパイアされた邦画数あれど、これはイイです。柳家金語楼や森川信のベテラン喜劇人の味も楽しい。

<ミステリー映画 NO.1>
『黒蜥蜴』(1962年・大映)

 これはミュージカルか? ミステリーか? 不思議な魅力にあふれた快作。江戸川乱歩の「黒蜥蜴」を新藤兼人が脚色。三島由紀夫の戯曲にあった「名探偵vs女賊」対決の図式を、徹底したエンタテインメントとして映画化。 SKDのトップスター出身の京マチ子がタイトルロールを演じ、その色香と歌劇スターらしい見事な動きを最大限に生かした演出。大木実の明智小五郎と黒蜥蜴の対決の通俗的な感じは、後の「土曜ワイド劇場 明智小五郎シリーズ」の発想の原点。陰美的でもなく退廃的でもなく、娯楽的なのが井上流。三島由紀夫作詞の主題歌の扱いが、ミュージカル的で、これまた結構。

<ミュージカル映画 NO.1>
『踊りたい夜』(1963年・松竹)
 
 一度もソフト化されていない、ミュージカルの傑作。昔ながらの芸人奇術師・有島一郎と、長女・水谷良重、次女・倍賞千恵子、三女・鰐淵晴子の三姉妹が織りなす、ケレン味タップリの人生模様。有島は若い愛人に娘のギャラをすべてつぎ込み、長女は出奔。次女と三女が流れ流れのどさ回り。あわやストリップというところで、次女には吉田輝男の作曲家、三女は根上淳のバレエの鬼教師のもとへ走る。といったウエットなドラマに、これでもかとナンバーを投入。セットの安っぽさや、字余りの歌詞の気恥ずかしさは、いつしか吹き飛んで、涙ナミダのラストへ驀進する。これぞ梅次マジック!

<香港映画 NO.1>
『香港ノクターン』(1967年・ショウ・ブラザース)

 リメイクがオリジナルを超えることを自ら証明した『香江花月夜』は、松竹の『踊りたい夜』のセルフリメイク。しかし、音楽にあの服部良一を迎えたことで、オリジナルにあったチープさは吹き飛び、それゆえ、登場人物の運命を弄ぶ娯楽映画の職人の手際の良さ、井上映画の面白さが際立つことになった。長女・何莉莉、次女・鄭佩佩、三女・秦萍の美女ぶり! 特にヒロインの鄭佩佩の可愛さ! 2002年の東京国際映画祭で上映された際にお嬢さんと来日、井上監督、ティーチインの際に佐藤利明が進行をつとめさせていただいたが、変わらぬ美しさに卒倒しそうになりました。ぜひ、オリジナルとともに観て欲しい逸品。

*映画秘宝2010年5月号より

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