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第二作の舞台裏 『続・男はつらいよ』(1969年11月15日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年4月8日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第二作『続・男はつらいよ』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

 第一作『男はつらいよ』が公開されたのが昭和四十四(一九六九)年八月二十七日。「テレビの映画化なんて」という社内の反対の声もありましたが、山田洋次監督はテレビで車寅次郎を愛してくれたファンの人たちの気持ちに応えるべく、映画化にこぎ着けました。第一作のクランクインが五月ですから、公開までに三ヶ月かかったことになります。これは当時としては異例のこと、斜陽とはいえ、二週間に一度新作が封切られていた当時の映画界のことを考えると、おそらくは会社サイドはテレビドラマの映画化である『男はつらいよ』に、さほどの期待していなかったことが伺えます。

 公開初日、山田監督は自宅で不安な時間を過ごしていました。すると新宿松竹にいるプロデューサーから「とにかく劇場に来て欲しい」と電話があり、山田監督が駆けつけると、大勢の観客が押し寄せ、寅さんの一挙手一投足に、声を上げて笑っていたそうです。同時上映は、渡邉裕介監督の『喜劇 深夜族』。いわゆる風俗喜劇です。当時は、深夜興業で東映のやくざ映画が、学生やサラリーマン層に大人気。『男はつらいよ』も、当時の感覚でいえばズッコケ渡世人の喜劇ですから、松竹としては、やくざ映画ファンの男性観客、深夜興業を中心に、というもくろみもあったと思います。それが同時上映の『喜劇 深夜族』との組み合わせに窺えます。

 ともあれ『男はつらいよ』は、興行的にもスマッシュヒットとなります。この年、松竹では「喜劇映画」に力を入れていました。昭和四十三年末公開のフランキー堺さん主演の『喜劇 大安旅行』(瀬川昌治監督)『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』(野村芳太郎監督)の二本立てが大ヒット。特に、東映で渥美清さん主演の『喜劇 急行列車』『喜劇 団体列車』『喜劇 初詣列車』を手掛けていた瀬川昌治監督が、企画ごと、松竹に引っ越して来た『喜劇 大安旅行』は好評で、城戸四郎社長が、昭和四十四年の年頭に「今年は喜劇に力を入れる」と訓示したことが、きっかけでした。

 こうした背景もあって、山田洋次監督の『男はつらいよ』の映画化時には、フランキー堺さんの「喜劇・旅行シリーズ」、野村芳太郎監督の「コント55号映画」などの喜劇映画が連作され、いずれもヒットしていました。そこに『男はつらいよ』が好評となればシリーズ化は必然です。東盛作というペンネームで、テレビ版「男はつらいよ」の脚本も手掛けていた、山田洋次監督作品の脚本のパートナーの森崎東監督は、第一作のシナリオを共作したところで、監督デビューが決定。渥美清さん主演の『喜劇 女は度胸』を撮ることになりました。

 そこで、会社は山田洋次監督に「すぐに第二作を」と要請。渥美さんの『女は度胸』のクランクアップ後、アフリカ旅行から戻ってきてからクランクイン。公開は十一月の半ばということが決定されました。時間のないなか、第二作『続・男はつらいよ』の準備がスタートしました。

 山田監督は第二作を手掛けるにあたり、テレビ版の主要人物の一人、寅さんの葛飾商業の恩師・坪内散歩先生を再登場させました。演じたのは俳優座のベテラン・東野英治郎さん。テレビの第一話で、 旅に出ようとした寅さんは、懐かしい散歩先生のお宅に挨拶に来ます。そこで、美しい女性に成長していた、散歩先生の娘・坪内冬子(佐藤オリエ)と再会、寅さんは一目惚れをして、結局は柴又に逗留することになります。

 映画『男はつらいよ』第一作で、光本幸子さんが演じたマドンナの名前も坪内冬子ですから、ややこしいですが、佐藤オリエさん扮する冬子が、テレビのマドンナの役割を果たします。

 テレビ版の最終回で寅さんがハブに咬まれて死んでしまう衝撃のラストを描いたことで、多くのファンからの抗議を目の当たりにした山田監督は、スクリーンで寅さんを復活させ、続いて第二作で、坪内散歩先生とその娘を改めて登場させたのです。窮余の策かもしれませんが、映画『続・男はつらいよ』がシリーズ屈指の傑作なのは、作品が証明してくれています。

 また『続・男はつらいよ』は、幻のテレビ版「男はつらいよ」のエッセンスが凝縮された作品です。散歩先生との再会。その娘・夏子(佐藤オリエ)への一目惚れ。京都での瞼の母・お菊との再会、夏子との楽しい日々。そして散歩先生の死…寅さんが生涯で唯一、恩師と慕う散歩先生との交流は、何度観ても素晴らしいです。

  夏子が散歩先生と京都旅行をしていると、偶然、寅さんと再会します。寅さんは、なぜか源ちゃんをサクラにバイをしているのです。鴨川べりの料理屋で、一緒に食事をしているときに寅さんは、京都に生き別れになった母親がいるけど、尋ねようかどうか逡巡していることを散歩先生に告げた後、先生はこう言います。

「老病死別といってな、人間には四つの悲しみがある。その中で最も悲しいのは死だ。おまえのおふくろもいつかは死ぬ。その時になってからじゃ遅いんだぞ。その時になって、ああ、一度でもいい、産みのお袋の顔を見ておけばよかった、と後悔しても、取り返しがつかないんだぞ」

 散歩先生は寅さんを真剣に怒ります。その言葉に頭を垂れ聴き入る寅さん。出来の悪い生徒にも、懸命に愛情を注ぎ、その悲しみをともに分かち合い、何をなすべきかを教えようとする。この師弟愛が『続・男はつらいよ』の大きな魅力となっています。

 山田監督はテレビ版の第十一話でこのエピソードを描いています。寅さんは散歩先生の後押しで、冬子(佐藤オリエ)と、連れ込み旅館を経営しているという瞼の母・お染(武智豊子)を訪ねます。しかし、お染は想像していた瞼の母とは大違い。

 この展開は、映画版とほぼ同じ。そこで寅さんは、佐藤蛾次郎さん扮する、異父弟・川島雄二郎と初めて会い、雄二郎は散歩先生たちを京都見物に案内することになります。

 映画では、お染がお菊という名前になり、『吹けば飛ぶよな男だが』(一九六八年)で主人公サブ(なべおさみ)の瞼の母かもしれないと思わせる女性。神戸は福原のソープランド(当時はトルコ風呂)の女将を演じたミヤコ蝶々さんが、お菊を演じています。このお菊と寅さんの最悪の再会は、後のシリーズからは想像がつかないほど激しい言葉の応酬です。それも含めて『続・男はつらいよ』は、車寅次郎という人の内面を理解する上でも、重要な作品となっています。

 後半は、寅さんの「お菊との再会」ショックで柴又に帰郷。その悲しみを売りにしてみんなの同情を誘うのが笑いになったりと、賑やかに展開していきます。ラスト近く、「老病死別」を説いた散歩先生との悲しい別れがやってきます。病を得た散歩先生が「江戸川のナチュラルな鰻が食べたい」と寅さんにリクエスト。寅さんは、先生のために江戸川で鰻を釣り上げることになるのですが、この悲喜こもごもこそ「男はつらいよ」の味わいです。

 山田監督は、この散歩先生と寅さんの師弟愛を、テレビで描き、映画でセルフリメイクをしました。テレビ版最終回には、映画では描かれていない、寅さんが散歩先生の墓参をして、心情を吐露するシーンがあります。

「いつか先生がうめえこと言ったね、人生は一人旅だって。この俺なんざ本当の一人旅だよ。さんざぱら親不孝した挙げ句の果てだから仕方ねえって言えばそんだけだがね。そいでも時々夜中になると溜息が出るんだよ。男はつらいよね、先生、本当につらいよ」

 散歩先生の墓前で寅さんが語りかけるこのシーン、最終回の冒頭に出て来るのですが、映画『続・男はつらいよ』を見終わった後に、改めて聞くと、実に味わい深いのです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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