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『人生初年兵』(1935年12月11日・P.C.L.・矢倉茂雄)


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 東宝サラリーマン映画は、戦後、小林桂樹主演『坊ちゃん社員』(1954年・山本嘉次郎)「サラリーマン出世太閤記」シリーズ船戸順主演『花のセールスマン背広三四郎』(1960年・岩城英二)など「フレッシュマンもの」が数多く作られている。加山雄三の『フレッシュマン若大将』(1969年・福田純)もそのライン上に企画された。大学生の主人公が、就職試験を突破して、晴れて社会人、サラリーマンとなる。その奮闘ぶりを描いた、東宝サラリーマン映画の系譜は、戦前まで遡る。その嚆矢ともいうべきなのが、P.C.L.発足翌年の1934(昭和9)年1月5日に公開された、藤原釜足主演『只野凡児 人生勉強』(1934年・木村荘十二)である。

 麻生豊の人気漫画「ノンキナトウサン」のスピンオフ漫画が原作で、ノンキナトウサンの息子・只野凡児が、就職難のなか、苦労してサラリーマンとなり社会人の苦渋を味わうというモダンな喜劇。これが大ヒットして、藤原釜足はたちまちP.C.L.の喜劇スターとなった。

テーラーのしょうういんどうには、只野凡児の人形が!
藤原釜足

 さて『人生初年兵』は、ユーモア作家として活躍していた佐々木邦が、1932(昭和7)年から翌年の12月まで、大日本雄弁會講談社の雑誌「講談倶楽部」に連載、1935(昭和10)年7月に講談社から単行本化された。僕も戦後、春陽文庫(春陽堂)バージョンで、十代の頃、楽しく読んだ。戦後の源氏鶏太のサラリーマン小説のプロトタイプのような、エピソードの連続が楽しかった。

 なんとかKO大学を卒業した日野君は、難関を突破して念願の新聞記者となる。同期の玉井君は、帝大出身のエリートで、二人が配属されたのは学芸部。編集長は、頑固者で負けず嫌いの鉄拐居士の異名を持つバンカラ報道人。ライバル社に記事がすっぱ抜かれることを極端に嫌い、激しく怒るが、面倒見のいい親分肌の温情家でもある。入社して半年、日野君と玉井君は、新設された「婦人家庭部」に配属される。婦人家庭部は、木原部長、そして「布哇(ハワイ)の小母さん」があだ名のオールドミス五味さん、牧さん、そして新人二人組でスタートする。やがて婦人家庭部では、女性記者を採用することになり、日野君は伊丹さん、玉井君は小宮さんに恋をして、俄然張り切ることに…。

 戦前のサラリーマンライフが生き生きと描かれて、佐々木邦らしい人物描写で、なんとものんびりと楽しいユーモア小説である。P.C.L.では、単行本が発売されてほどなく映画化を決定。『只野凡児 人生勉強』『続・只野凡児』で、フレッシュマン(当時もこう呼んでいた)のイメージが定着していた藤原釜足を玉井君、この年、日活から移籍『坊ちゃん』(3月14日・山本嘉次郎)からP.C.L.スターの仲間入りをした宇留木浩を主人公・日野君にキャスティングした。

宇留木浩

 宇留木浩は、1903(明治36)年生まれ。もともと本名の横田豊秋の名前で映画監督として活躍、その後俳優に転身した。山本嘉次郎とは助手時代からの親友で、2歳下の妹は新劇からP.C.L.専属となった女優・細川ちか子。山本嘉次郎(当時は、平田延介)が先に監督デビューをして、横田は助手を務めていたが、1925(大正14)年、マキノプロ製作『男児一諾』で、山本嘉次郎の共同監督としてデビュー。この時22歳。その後、日活多摩川で脚本家として活躍後、俳優に転身。PCLに移籍した山本嘉次郎の新作『坊ちゃん』の主役オーディションに合格、その演技が高く評価されてスターとなる。

昭和10年だけで七作品も出演している。
1935.03.14 坊つちゃん  山本嘉次郎
1935.03.21 女優と詩人  成瀬巳喜男 

1935.05.11 すみれ娘         山本嘉次郎

1935.07.12 三色旗ビルディング 木村荘十二

1935.08.11 ラヂオの女王 矢倉茂雄

1935.10.01 サーカス五人組 成瀬巳喜男

1935.12.11 人生初年兵 矢倉茂雄

 そのふっくらとした体躯は、当時の感覚で言うと健康体。飄々とした味わいは、戦後の小林桂樹のような、泰然自若としたイメージである。この時、宇留木浩は32歳。相棒の藤原釜足は、二つ歳下だから30歳。二人ともフレッシュマンの年齢ではないが、トップシーンの学生服が良く似合う。ちなみに『坊ちゃん社員』(1954年)のとき小林桂樹は31歳。『フレッシュマン若大将』(1969年)のとき加山雄三は32歳。つまり、東宝映画のスターがフレッシュマンを演じた時、31〜32歳だったという共通点がある。

 共通点といえば、物語の展開や、作劇は「サラリーマン映画の伝統」を感じさせてくれる。トップシーンの学生時代の就職試験、そして入社。そこで知り合う同僚が友人となり、同僚の女の子と恋をする。つまり東宝サラリーマン映画の基本ラインは、ここで完成していた、ということ。

『人生初年兵』で、得心したのは、日野君(宇留木浩)が、鉄拐編集長(徳川夢声)から、政治家の先生(森野鍛治哉)の談話を取って来いと命ぜられるシークエンス。先生の秘書のガードが固く、屋敷の前で門前払い。何度かトライしても失敗。すると、庭の木の上で剪定をしているおじさんが、木の枝を道端に放り投げている。そんなことをしちゃいけないと、おじさんに説教する日野君。実はそのおじさんこそが、政治家の先生で、たちまち日野君は気に入られて取材は大成功。

 これは『サラリーマン出世太閤記』でも『フレッシュマン若大将』でもリフレインされるパターン。若大将が日東自動車の就職試験に遅刻、面接も受けさせてもらえない。その時にショールームで車を磨いていたおじさん(藤田進)に「理由も聞かないで、面接をしないなんて、おじさんもこんな会社辞めたほうがいい」とアドバイス。実はその藤田進が社長で、若大将は気に入られて無事に就職、という展開は、この映画がルーツだったのだ。

 P.C.L.マークに鐘の音が響き、鳥の囀りが聞こえる。軽快な主題歌のイントロが展開。コロムビアリズムボーイズを率いていた中野忠晴が自ら作曲、脚本の伊馬鵜平が作詞をした「はりきれ青春よ」が高らかに流れる。音楽監督は紙恭輔。中野忠晴のヴォーカルに載せて、スタッフ、キャストがクレジットされる。(役名は佐藤追記)

宇留木浩(昭和新報社・婦人家庭部記者・日野恒夫)
藤原釜足(同・玉井久助)
徳川夢声(編集長・鉄拐居士)
西村楽天(クレームをつける男)
御橋公(ハワイの日本人学校校長・増島)
森野鍛治哉(政治家)
小島洋々(恒夫の父)
生方賢一郎
加賀晃二(将校)
特別出演 コロムビア専属 中野忠晴(留年生・諸岡)
神田千鶴子(昭和新報社・婦人家庭部記者・伊丹よしこ)
水上怜子(同・小宮秀子)
伊藤智子(恒夫の母)
菊川郁子(政治家の娘・長女)
椿澄枝(同・次女)
水越弓子(カフェーの女給)
高橋豊子(面接試験を受ける女史)
清川虹子(昭和新報社・婦人家庭部記者・ハワイ女史・五味)

中野忠晴がオープンカーで「はりきれ青春よ」を歌う
菊川郁子、椿澄枝

 タイトルバックが明け、卒業試験、就職試験にヒヤヒヤの四年生・日野君が校門の前に経っていると、級友で金持ちの御曹司・諸岡(中野忠晴)がスポーツカーに乗って颯爽とやってくる。後部座席にはガールフレンドの姉妹、姉・菊川郁子と妹・椿澄枝が乗っている。運転しながら諸岡が歌っているのは主題歌「はりきれ青春よ」。タイトルバックに続いてなのは、コロムビアレコードとのタイアップもあり、レコードの宣伝戦略でもある。諸岡は、成績が悪く、留年すると決め込んでいる。「若大将シリーズ」の青大将のようなキャラクター。特別出演だが、後半にもまた登場する。

 日野君は無事卒業が決まり、卒業式の帰りに、テイラーの前で玉井君(藤原釜足)と知り合う。そのシーンがおかしい。まず、ショウウインドウに「只野凡児」の人形がディスプレイされて、まじまじと藤原釜足が覗いている。只野凡児といえば藤原釜足のイメージを笑いにしている。二人とも、新聞記者志望だが、日野君は第一志望も第二志望も見事に不合格。背水の陣で、昭和新報の試験を受ける。そこで玉井君と再会。二人はなんとか合格して、晴れて新聞記者へ。

徳川夢声
婦人家庭部に配属

 入社初日、鉄拐編集長に「ワシは人に負けるのは大嫌い。諸君らも何事にも負けてはいけない」と檄を飛ばされる。二人が配属されたのは「婦人家庭部」。上司は39歳でオールドミスの五味さん(清川虹子)。第一印象が「ハワイから帰国したおばさん」というイメージだったので、二人は「ハワイ女史」とあだ名をつける。

 日野君が最初に命ぜられたのが、前述の政治家(森野鍛治哉)への取材。植木屋のおじさんと間違える騒動の後、二人の娘が帰宅。なんと諸岡のスポーツカーに乗っていた姉・菊川郁子と妹・椿澄枝の姉妹だった。そのコネで無事、屋敷に入って取材も大成功。

 一方の玉井君は、赤ちゃんコンクールの取材を命ぜられるが、その鳴き声に圧倒されて、何も取材できないまま帰社して、鉄拐編集長に大目玉。気の弱い玉井君、クビになるのは必至と悲壮な気持ちに。ところが、鉄拐編集長はさっぱりした性格で、その夜は二人を社会科見学として銀座のカフェーに誘う。

 飲むほどに酔うほどに、日野君はマイペースに、玉井君はクビになるのではとビールも喉を通らない。それが思い込みとわかって、安心した玉井君もしこたま飲む。日野君の余興が始まり、政治家先生のモノマネをして、女の子たちに大受け。じゃ、何か歌おうと、日野君と玉井君が歌うのが主題歌のカップリング「歌へサラリーマン」(作詞・伊馬鵜平 作曲・紙恭輔)。歌の後半、酔っ払って気持ちの大きくなった玉井君、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースコンビの第一作『空中レヴュー時代』(1933年・RKO)の主題歌「カリオカ」のメロディに乗せて、腰をふりふり珍妙なダンスを披露する。

大村千吉13歳!

 やがて「婦人家庭部」は多忙となり、女子社員二人を採用することに。応募者110人が廊下にずらり。その対応をする給仕の少年は、なんと若き日の大村千吉! 戦後、東宝特撮映画や円谷プロ作品でもお馴染みとなる息の長いバイプレイヤー、若手俳優として、PCLから戦後東宝で活躍することとなる。1922(大正11)年生まれだから、この時13歳! 中盤、「ストトン節」を歌いながら、掃除しているときに、社員の灰皿から吸い殻を失敬して火を付けるもむせてしまうという笑いもある。

 さて、この面接では、将校の娘・伊丹よしこ(神田千鶴子)、父も兄も新聞社勤務の小宮秀子(水上怜子)が採用されることとなる。二人とも原作に登場するマドンナ的存在。おかしいのは、ハワイ女史ほどではないが、鼻っ柱の強いハイミス(高橋豊子、のちの高橋とよ)。鉄拐居士も手を焼くほどのじゃじゃ馬で、ハワイ女史と火花を散らすシーンは、本作のハイライト。

 高橋とよは、1903(明治36)年生まれだから、この時32歳。新協劇団、築地小劇場を経て、丸山定夫、薄田研二らと新築地劇団を結成。舞台出演の傍ら映画でも活躍。戦後は、松竹の専属となり小津安二郎作品などで、名バイプレイヤーとして映画史を彩った。 

高橋豊子(高橋とよ)
清川虹子

 さて、日野君は、伊丹よしこにご執心で、何かにつけて面倒を見る。よしこも「日野先生」と慕って、ある時「ハワイ女史の目を盗んで」昼休みに銀座でお茶をすることに。日比谷公園に今でも建っている東京市立公会堂の時計塔が、12時13分を示している。二人が仲良く歩くのは外濠川にかかっていた山下橋。左手に数寄屋橋、朝日新聞東京本社、日劇、後ろには泰明小学校が映る。ほんの10数秒のシーンだが、当時の銀座から日比谷にかけての空気が体感できる。

山下橋 後ろに日劇、朝日新聞社、泰明小学校が見える。

 玉井君も、小宮秀子が書いたものの、ハワイ女史に没にされそうになった原稿を、自分の一存で掲載させて、秀子に感謝される。というわけで、人生初年兵の二人、仕事も恋も前途揚々と充実の日々を過ごしている。

 さて、日野君と伊丹よしこが入った喫茶店。PCLスタジオに組んだセットだが、当時のモダンな銀座の喫茶店を再現している。なんと玉井君と秀子もお茶していて、思わぬダブルデートとなり、社に帰ったのは14時半。ハワイ女史はお冠で、男性軍はお局様の前で、かたなし。このあたりも、戦後のサラリーマンものと同じ。

伊丹よしこ(神田千鶴子)    小宮秀子(水上怜子)
西村楽天

ある日、編集部に、小宮秀子が書いた「妾反対論」の人生相談の記事に、クレームをつけてきた男(西村楽天)が居座っている。記事に書かれたとある旦那の使用人である。日野君、玉井君はたまらずに、男になぐりかかって大騒動に。

 というわけで初年兵二人組、名誉挽回のため、編集長が募集した「新企画」のアイデアとして、東京中のデパートガールの美人コンテストを提案。それが採用となり、大忙しの日々。この美人コンテストも森繁久彌の「社長シリーズ」でお馴染み。『はりきり社長』『社長太平記』『社長外遊記』で繰り返されることになる。そのルーツもやはり『人生初年兵』だったとは!

 一方、ハワイ女史は、ひょんなことから日野君の父の友人で、ハワイから一時帰国していた50歳独身の増島(御橋公)に見初められて、縁談が持ち上がる。増島おじさんは、日本人学校の校長で、独身主義を貫いてきた金持ち。ハワイ女史が、ハワイに嫁ぐことに。冗談みたいな展開に、びっくりする初年兵二人組。

 いよいよ「美人コンテスト」の締切が迫り、丸の内や東京駅前の新聞スタンドでは、大々的に喧伝される。丸の内口の雰囲気は87年経ってもあまり変わらない。

東京駅丸の内口
銀座の夜!

 いよいよ、美人コンテストのご褒美旅行と相成り、日野君と玉井君、伊丹さんと小宮さんも、添乗員として随行することになり、終業後、夜の銀座へ買い物に行くことに。これはしめたとダブルデート(という言葉はまだないが)と洒落込む。銀座通りのナイトシーン。珍しいロケーションで、昭和10年のアフター5が描かれる。そこへ、偶然、日野君の学友・諸岡君(中野忠晴)とバッタリ。日野君、玉井君とも顔馴染みのカフェーの女給とご同伴中で、悪友に誘われているうちに、伊丹さんと小宮さん「あたしたちこれで失礼します」と帰ってしまう。

 せっかくのチャンスをふいにしてしまった初年兵の二人組。このリベンジは関西旅行で、とハリキリボーイとなるが、果たして二人の恋は成就するのか?

 東京駅での壮行、見送りのシーンもロケーション。かなりの人数を動員してのナイトシーンである。この頃、大阪までは、昭和5年に運行開始した特急「燕」で8時間50分。それまでは11時間かかっていたので、相当な時間短縮だった。その車中で、日野君は伊丹さんから「大阪での自由時間に、付き合って欲しい」と言われて大ハリキリ。

初代通天閣(1921年〜1943年)

一行を載せたバスが、大阪駅から名所めぐりをするかっとは胸がときめく。1912年、新世界ルナパークとともに建設された、パリのエッフェル塔を模した、初代「通天閣」(1943年焼失)の威容も晴れがましい。

さて、日野君、伊丹さんから「父の友人の将校」に面会したいのでと、連隊までエスコート。おじいさんが現れるかと思ったら、なんとヤングエリート将校(加賀晃二)で、二人はどうやら許嫁らしいことがわかって意気消沈の日野君。茫然と大阪城までやってきたら、そこではなんと玉井君が小宮さんにプロポーズ。しかし「お友達なら」と玉砕。人生初年兵の二人、大失恋の巻、となる。

 適度なユーモアと、キャラクターの描き分けも楽しく、戦後、東宝でサラリーマン映画、フレッシュマン映画が連作されていくことが、よくわかる。すべては、ここから始まったのだ!

玉井君も大失恋!



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