海外ミステリー映画史 PART2   1930年代〜1940年代

*1998年「カルト映画館 ミステリー&サスペンス」(社会思想社)のために執筆したものを加筆修正。(映像リンクで実際の作品、予告編が観れます)

ギャング映画の台頭

 1930年代初頭のアメリカでは、まだ20年代の禁酒法が施行されており、ギャングやシンジケートの抗争が耐えなかった。そうしたローリング・トゥエンティーズの残滓をハリウッドが見逃すまでもなく、1930年代は暗黒街やギャングを題材にしたダーク・ムービーが数多く作られていた。
 1931年のパラマウント作品『市街』(ルーベン・マムリーアン監督)は、「マルタの鷹」の原作者ダシール・ハメットがハリウッドに招かれての書き下ろし原作で、ビールの密造組織のポップ(ガイ・キビー)の養女ナン(シルビア・シドニー)が、射的屋の青年キッド(ゲイリー・クーパー)と恋に落ちる。ポップはキッドに暗黒街入りをすすめるが・・・
 といった暗黒街ものの常道をゆくストーリーだが、ブロードウエイの演出家出身のマムリーアン監督は、映像と音声を巧みに組合せて、トーキーならではのドラマ・ツルギーを完成させたといわれている。ギャングの活躍をフラッシュバックで見せたり、時間経過を時計を巧みに使って表現したりと、きわめて映画的興奮に満ちている。

市街(1931)本編

  ダシール・ハメットの『マルタの鷹』が初めて映画化されたのは1931年、監督はロイ・デル・ルース。サム・スペードにはリカルド・コルテスが扮し、ヒロインにはビービー・ダニエルズがキャスティングされていた。ジョン・ヒューストンが監督した41年のリメイクに比べて、ハードボイルドというよりメロドラマ要素が色濃い。

マルタの鷹(1931)クリップ 

 当時のギャングスター映画で印象的なのは、エドワード・G・ロビンソンの『犯罪王リコ』(1930年・マーヴィン・ルロイ監督)だろう。W・R・バーネットのベストセラー「リトル・シーザー」を原作に、マーヴィン・ルロイ監督が徹底した取材をもとに映画化。田舎街のチンピラだったシーザ・エンリコ(エドワード・G・ロビンソン)が暗黒街の大親分との野心を抱いて大都会に出る。念願かなってボスになったリコだったが警察の包囲網を受けて絶命する。エドワード・G・ロビンソンは上昇指向の強い犯罪王を好演し、彼の生涯のベスト演技を見せた。ダグラス・フェアバンクス・ジュニアが扮したリコの相棒、ジョー・マッサラのモデルは、実際に暗黒街にいたこともある俳優ジョージ・ラフトだという。マーヴィン・ルロイ監督は当初このマッサラ役に、まだ無名だったクラーク・ゲーブルを推したが、ワーナーの製作担当重役だったダリル・F・ザナックが猛反対したというエピソードもある。

犯罪王リコ(1930)予告 

 ワーナーのギャング映画としては、ジェームズ・キャグニーの『民衆の敵』(1931年・ウイリアム・A・ウエルマン監督)もいまなおクラシックとして親しまれている。シカゴの下町の不良少年トム(ジェームズ・キャグニー)たちは、やがて禁酒法を逆手にとった闇酒商売で男を上げ、親分ネイサン(レスリー・フェントン)の右腕として活躍するが、相棒を殺されてその復讐に向かって、返り討ちに会う。カタギの弟と仲直りをしたトムだったが、病院から敵に拉致されて殺されてしまう。弟は兄の復讐を果たすが、トムはもう帰らぬ人だった。暗黒街の栄光と悲惨な最期は、ギャングを英雄視させないためのハリウッドなりの倫理感の現れだが、ジェームズ・キャグニーは向こう気の強いチンピラ像を好演して、ギャング・スターの仲間入りを果たした。

民衆の敵(1931)予告 

 そして、1930年代のハリウッド製ギャング映画の代表作といえば、やはり巨匠ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』(1932年)だ。プロデューサーのハワード・ヒューズはアル・カポネをモデルにしたギャング映画を着想し、『暗黒街』(1927年)の脚本を手掛けたベン・ヘクトにスクリプトを依頼し、ホークスが共同製作兼監督を担当することになった。
 原題の「スカーフェイス」は、用心棒からビッグ・ボスに伸し上がっていくトニー・カモンテ(ポール・ムニ)の顔にある凄味のある傷のこと。トニーは弟分のリナルド(ジョージ・ラフト)と共に、大親分を虐殺する。しかしトニーは妹チェスカー(アン・ドヴォラーク)とリナルドが同棲している現場を訪れて激昂、リナルドを射殺する。
 悲しみにくれるチェスカーは当局に兄を密告、トニーは警察の包囲網の前に絶命する。主人公の名前はトニーとなっているものの、それぞれのエピソードはシカゴ・ギャングのアル・カポネが起こした事件をモデルにしている。クライマックスの銃撃戦はホークスの演出と、ポール・ムニの渾身の演技が見事に絡み合って、映画史上に残る名場面となった。
 が、ラッシュの段階でアメリカ映画のプロダクション・コードを規制するヘイズ・オフィスからクレームがつき、ラストをトニーが投獄されて絞首台を登るシーンに変更するように勧告された。結局、撮り直しをして、さらにニューヨーク警視総監の「犯罪撲滅メッセージ」がつけられたバージョンが公開された。ギャング映画は『暗黒街の顔役』を境に、ギャングを告発し撲滅する、法の側から描くようになる。

暗黒街の顔役(1932)クリップ 

 アメリカのギャング映画には三つのパターンがあるといわれている。(1)ギャングの世界を扇情的に描くもの。(2)警察やGメンなどギャングを撲滅する捜査側から描くもの。(3)刑務所を舞台にした「ビッグ・ハウス」もの。30年代から現代に至るまでほぼそのパターンに則っている。
そうした「ビッグ・ハウス」もの代表作といえば、マーヴィン・ルロイ監督の社会派作品『仮面の米国』(1932年)だろう。原作はロバート・E・バーンズの体験記で、ワーナーの製作担当重役だったダリル・F・ザナックは映画化権を入手し、二度の脱獄後潜伏していたバーンズの保護を約束して、この作品のコンサルタントとして協力させたという。
 映画はジョージア州に実在した刑務所を舞台に、受刑者に対する非人道的な扱いを告発した内容は、当時全米にセンセーショナルな話題を提供した。軽犯罪で投獄されたジェームズ・アレン(ポール・ムニ)が、十年間の服役を命ぜられ、足首に鉄の足枷をかせられ、重労働をさせられる。生命の危険を感じたアレンは脱獄して、ジョージア州を後にするが、下宿の女将に密告され再び刑務所に逆戻り。
 釈放嘆願の運動も虚しく、アレンは監守たちの虐待を受け、刑期がどんどん延ばされていく。挙げ句アレンは再び脱獄をするが、彼に安住の地はもはやない。ラスト・シーン、職もなく放浪を続けるアレンが恋人に別れを告げて去っていく場面のフェード・アウトは、主人公の悲劇を描いて、後の多くの作品に影響を与えているという。
 映画が公開されてまもなく、原作者バーンズは脱獄者として逮捕されたが、特赦の嘆願書が山のように届いたという。主演のポール・ムニは『暗黒街の顔役』のワイルドなキャラクターから一転して、悲劇的な主人公を好演している。

仮面の米国(1932)本編

 ワーナーで数々のギャング映画をプロデュースしたダリル・F・ザナックは20世紀映画社を設立してFOX映画を買収、20世紀FOXのオーナーとなる。ザナックに去られたワーナーだったが、引き続きギャング映画に活路を見いだすことになる。
 1930年代中盤のアメリカ映画の中で、ワーナーばかり暗黒街ものを量産していたのには理由がある。ワーナー系の劇場はテキサス州を中心に数多くあったため、比較的ブルー・カラーの観客層が中心となり、直接的な刺激を求める観客のニーズがあったからだ。若き日のハンフリー・ボガートが脱獄囚を演じた『化石の森』(1936年・アーチー・メイヨ監督)はそういう意味ではワーナーらしい作品。もともとミュージカル・ダンサーだったジェームズ・キャグニーも『民衆の敵』以来ダーティ・フェイスとして数々の犯罪映画に出演。ハンフリー・ボガートと共演した『汚れた顔の天使』(1938年・マイケル・カーチス監督)は、ワーナーのギャング映画の後期の代表作の一本となった。

化石の森(1936)予告 

汚れた顔の天使(1936)予告 

 ドイツ表現主義の旗手フリッツ・ラングは、ナチス・ドイツを逃れてハリウッドにやってきた。今や犯罪映画のベテランとなっていたラングが、1937年に発表した『暗黒街の弾痕』(1937年)は、『俺たちに明日はない』(1967年・アーサー・ペン監督)で知られるボニー&クライドの逃亡劇の(主人公の名前こそ違うが)最初の映画化作品である。ラストの逃避行のシーンは、ラングの緊迫感あふれる演出とあいまって、深い印象を残す。

暗黒街の弾痕(1937)本編

 ワーナーを中心にギャング映画が作られていた1930年代、名探偵ファイロ・ヴァンス・シリーズで軽妙洒脱な探偵ぶりを見せたウィルアム・ポウエルがMGMで主演したのが『影なき男』(1934年・W・S・ヴァン・ダイク二世監督)にはじまる「影なき男」シリーズだった。原作はハードボイルドのダシール・ハメットだが、脚本が洒落た会話を得意とするアルバート・ハケットとフランセス・グッドリッチのコンビが担当しており、都会派喜劇の味わいもあった。ニック(ウイリアム・パウエル)とノラ(マーナ・ロイ)の夫婦が、名犬アスターとともに事件に巻き込まれる。妻ノラは好奇心から、事件に首をつっこむが・・・。という展開に適度にユーモアが盛り込まれて、大好評。
 『夕陽特急』(1936年・W・S・ヴァン・ダイク二世監督)、『第三の影』(1939年・W・S・ヴァンダイク二世監督)、『影なき男の影』(1941年・W・S・ヴァン・ダイク二世監督)、『風車の秘密』(1944年・リチャード・ソープ監督)と、MGMを代表する人気シリーズとなった。

影なき男(1934)予告

 フランスではジョルジュ・シムノン原作のメグレ警視シリーズを、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が映画化した『モンパルナスの夜』(1932年・仏)が忘れがたい。原作は「男の首」。メグレ警視には名優アリ・ポールが扮し、シャンソン歌手のダミアが娼婦として出演し「哀訴」を歌う。フランス映画らしい哀愁を帯びた作品となり、フランスでは戦後、ジャン・ギャバンが『殺人鬼に罠をかけろ』(1957年・ジャン・ドラノワ監督)などでメグレ警視を演じている。

モンパルナスの夜(1934)本編

♪Complainte 哀訴(ダミア) 

 ハリウッドでギャング映画が全盛だった30年代、イギリスではサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックが映画史に残る三本の傑作を生んでいる。『暗殺者の家』(1934年・英)、『三十九夜』(1935年・英)、『バルカン超特急』(1936年・英)がそれ。『暗殺者の家』は、善良な市民が、国際的な陰謀に巻き込まれ、娘を口封じのために誘拐される。某国要人を暗殺しようとするアボット(ピーター・ローレ)は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのコンサート中に暗殺を実行しようとする。後に、ヒッチコック自身によって『知りすぎていた男』(1956年)としてリメイクされている、スパイ・アクションの古典的作品。
 『三十九夜』は『三十九階段』(1959年)としてリメイクされ、1978年にはジョン・バカンの原作に忠実に映像化した『39階段』(1978年・ドン・シャープ・未公開)、2008年にはテレビ映画『陰謀の報酬』(ジェームズ・ホーズ)が作られている。
 また、『バルカン超特急』は『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』(1979年・アンソニー・ペイジ)としてリメイクされている。いずれも、ハリウッドのスピーディなサスペンスとは異なり、イギリス風のおっとりとした風格のようなものが感じられる。

暗殺者の家(1934)本編 

三十九夜(1935)本編 


バルカン超特急(1938)本編 



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