マガジンのカバー画像

ザッツ・エンタテインメント!

60
MGMミュージカル黄金時代を支えたプロデューサー、アーサー・フリードとその時代についてまとめた原稿です。
運営しているクリエイター

#フレッド・アステア

Yolanda and the Thief『ヨランダと盗賊』(1945年11月20日米公開・MGM・ヴィンセント・ミネリ)

Yolanda and the Thief『ヨランダと盗賊』(1945年11月20日米公開・MGM・ヴィンセント・ミネリ)

ハリウッドのシネ・ミュージカル史縦断研究。5月26日(木)は、アーサー・フリード製作、ヴィンセント・ミネリ監督、フレッド・アステア主演のミュージカル・コメディ”Yolanda and the Thief”『ヨランダと盗賊』(1945年11月20日米公開・MGM)を、アマプラ(ジュネス企画版)でスクリーン投影。

MGMミュージカル黄金時代を築くことになる、フリード、ミネリ、アステアによるテクニカラ

もっとみる
『ブルースカイ』(1946年10月16日米公開・パラマウント・スチュアート・ヘイスラー)

『ブルースカイ』(1946年10月16日米公開・パラマウント・スチュアート・ヘイスラー)

ハリウッドのシネ・ミュージカル史縦断研究。5月22日(日)はビング・クロスビー&フレッド・アステアの”ソング・アンド・ダンスマン”による『ブルースカイ』(1946年10月16日米公開・パラマウント・スチュアート・ヘイスラー)をアマプラの字幕版(ジュネス企画版)でスクリーン投影。

この映画は、アステアの創意工夫の結晶、アーヴィング・バーリンの粋な名曲"Puttin' on the Ritz"「リッ

もっとみる
『ベル・オブ・ニューヨーク』(1952年2月22日米公開・日本未公開・MGM・チャールズ・ウォルターズ)

『ベル・オブ・ニューヨーク』(1952年2月22日米公開・日本未公開・MGM・チャールズ・ウォルターズ)

ハリウッドのシネ・ミュージカル史縦断研究。5月21日(土)は、フレッド・アステア&ヴェラ=エレン、二度目のコンビ作となった”The Belle of New York”『ベル・オブ・ニューヨーク』(1952年2月22日米公開・日本未公開・MGM・チャールズ・ウォルターズ)をアマプラの字幕版(ジュネス企画版)をスクリーン投影。未公開だが、僕たちの世代は『ザッツ・エンタテインメントPART2』(197

もっとみる
『土曜は貴方に』(1950年7月12日米公開・MGM・リチャード・ソープ)

『土曜は貴方に』(1950年7月12日米公開・MGM・リチャード・ソープ)

ハリウッドのシネ・ミュージカル史縦断研究。5月20日(金)は、フレッド・アステア&ヴェラ=エレン、レッド・スケルトン主演”Three Little Words”『土曜は貴方に』(1950年7月12日米公開・MGM・リチャード・ソープ)をアマプラ(ジュネス企画版)をスクリーン投影。日本では昭和29(1954)年6月5日に公開されている。本編とは関係ないのだけど『土曜は貴方に』(貴女表記のパンフもあり

もっとみる
『ロバータ』(1935年3月8日・RKO・ウイリアム・A・サイター)

『ロバータ』(1935年3月8日・RKO・ウイリアム・A・サイター)

ハリウッドのシネ・ミュージカル史縦断研究。フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースコンビの第3作となるエレガントな傑作Roberta『ロバータ』(1935年3月8日・RKO・ウイリアム・A・サイター)をAmazonプライムビデオの字幕版でスクリーン投影。

僕が20代の頃、ようやくRKOのアステア&ロジャース映画がビデオ化され、スクリーンでのリバイバル上映もされた。しかし日米ともに続々とリリース

もっとみる
『コンチネンタル』(1934年10月12日・RKO・マークサンドリッチ)

『コンチネンタル』(1934年10月12日・RKO・マークサンドリッチ)

ハリウッドのシネ・ミュージカル縦断研究。僕は、小学生の時に『ザッツ・エンターテインメント!』(1974年・MGM)を丸の内ピカデリーで70ミリ上映を体験して、シネ・ミュージカルの魅力の虜になった。なかでもフレッド・アステアを紹介するコーナーでは、MGMでの『ダンシング・レディ』(1933年)、『踊るニュウ・ヨーク』(1940年)でのエレノア・パウエルとの「ビギン・ザ・ビギン」、『ジーグフェルド・フ

もっとみる
『空中レヴュー時代』(1933年12月29日・RKO・ソートン・フリーランド)

『空中レヴュー時代』(1933年12月29日・RKO・ソートン・フリーランド)

シネ・ミュージカル史縦断。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース、ハリウッド・ミュージカルのレジェンドが初めてチームを組んだ”Flying Down to Rio”『空中レヴュー時代』(1933年・RKO・ソートン・フリーランド)を久しぶりに、スクリーン投影。アマプラで配信中のジュネス企画版は、マスターがかなり綺麗、ターナーが21世紀に入ってリマスターしたバージョンと遜色ない(ってことにしてお

もっとみる
『ダンシング・レディ』(1933年11月24日・MGM・ロバート・Z・レオナード)

『ダンシング・レディ』(1933年11月24日・MGM・ロバート・Z・レオナード)

ハリウッド・ミュージカル史縦断研究。昭和8(1933)年のハリウッドはエポック・メイキングの年でもあった。RKO映画『キング・コング』が大ヒットして、世界中で連綿と作られていく巨大モンスターが大暴れする特撮スペクタクルの時代が幕開けをした。また同じ、RKOでは最強のダンス・チーム、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビが『空中レヴュー時代』(12月29日)で華々しく登場。ダンス・ミュー

もっとみる
『踊るニュウ・ヨーク』(1940年2月9日・MGM・ノーマン・タウログ)

『踊るニュウ・ヨーク』(1940年2月9日・MGM・ノーマン・タウログ)

シネ・ミュージカル縦断研究。MGM名物「ブロードウェイ・メロディ」シリーズ第4作’’Broadway Melody of 1940"『踊るニュウ・ヨーク』(1940年2月9日・ノーマン・タウログ)を米盤DVDでスクリーン投影。第2作『踊るブロードウェイ』(1935年)で華々しく主演デビューを果たしたエレノア・パウエルもMGMのトップスターとなって5年。第3作『踊る不夜城』(1937年)でMGM入り

もっとみる
カタルシネマで「ミュージカルを語る」

カタルシネマで「ミュージカルを語る」

【カタルシネマ】Vol.06「華麗なるミュージカル映画の世界を語る」
30年来の映画の友人で、代官山蔦屋書店の映像フロアのコンシェルジェ、映画オヤジこと吉川明利さんのトークセッションチャンネル「カタルシネマ」VOL.06「華麗なるミュージカル映画の世界を語る」で、僕の大好きなMGMミュージカル黄金時代の話をしております。

1990年代初め、吉川さんが店長をしていた「ビデオメイツ日比谷」で出会い、

もっとみる
『ザッツ・エンタテインメントPART3』のアウト・テイク解説(パート2)

『ザッツ・エンタテインメントPART3』のアウト・テイク解説(パート2)

”I’m an Indian Too”
『アニーよ銃をとれ』(1949年・未完成)

歌・踊り:ジュディ・ガーランド
作詞・作曲:アーヴィング・バーリン

 ”I’m An Indian Too”は長い間その存在が知られていながら、公式に発表されることがなかったアウトテイクである。MGMはアーヴィング・バーリン作、エセル・マーマン主演のヒットミュージカル「アニーよ銃をとれ」の映画化権を獲得。主演は

もっとみる
ザッツ・エンタテインメント・コレクターズセット

ザッツ・エンタテインメント・コレクターズセット

解説:佐藤利明

 1975年3月22日。東京有楽町の丸の内ピカデリーをはじめ、鳴り物入りで全国ロードショーされた『ザッツ・エンタテインメント』は、単なるMGMミュージカルの集大成ではなく、それまでミュージカル映画というと『ウエスト・サイド物語』(1960年)を頂点とするブロードウェイのブック・ミュージカルの映画化がすべてと思い込んでいた、若きミュージカル映画ファンをノックアウトした。

 ヘンリ

もっとみる
ザッツ・エンタテインメント! MGMミュージカルを支えた人々 アーサー・フリードとその時代 PART5

ザッツ・エンタテインメント! MGMミュージカルを支えた人々 アーサー・フリードとその時代 PART5

佐藤利明(娯楽映画研究家)

*1995年レーザーディスク「ザッツ・エンタテインメント !スペシャル・コレクターズセット」のブックレット解説に加筆修正しました。

『雨に唄えば』誕生

 ブロードウェイからの人材を次々とハリウッドに招聘したアーサー・フリードの“ブロードウェイ−ハリウッド・コネクション”は、ついに『雨に唄えば』(1952年)という傑作を誕生させる。

雨に唄えば(1952)予告

もっとみる
ザッツ・エンタテインメント! MGMミュージカルを支えた人々 アーサー・フリードとその時代 PART4

ザッツ・エンタテインメント! MGMミュージカルを支えた人々 アーサー・フリードとその時代 PART4

佐藤利明(娯楽映画研究家)

*1995年レーザーディスク「ザッツ・エンタテインメント !スペシャル・コレクターズセット」のブックレット解説に加筆修正しました。

MGMミュージカル黄金時代

 戦争が終わると、他のスタジオではシネ・ミュージカルには、食指を動かさなくなっていたが、MGMスタジオだけは活気に溢れていた。アーサー・フリード以外にも数多くのプロデューサーが、それぞれのユニットでミュージ

もっとみる