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日活ニューアクションの魅力!

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日本のアクション映画史上、最大のターニングポイントとなった1960年代末から70年代にかけての「日活ニューアクションの世界」をまとめました。
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#藤竜也

『野良猫ロック セックス・ハンター』(1970年・長谷部安春)

『野良猫ロック セックス・ハンター』(1970年・長谷部安春)

 「野良猫ロック」の最高傑作は何か? 意見が分かれるところであるが、長谷部安春監督による第三作『野良猫ロック セックス・ハンター』(9月1日)が、シリーズの中でも際立っていることは間違いない。梶芽衣子の名台詞「バッキャロー!」は本作で登場。冒頭、中年のオジさんをカツアゲる不良少女グループのリーダー、マコを演じた梶芽衣子のスタイル! つば広の帽子にマキシ、ファッショナブルな梶芽衣子の美しさが輝いてい

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『女番長 野良猫ロック』(1970年・長谷部安春)

『女番長 野良猫ロック』(1970年・長谷部安春)

 日本万国博覧会に沸き立つ1970(昭和45)年は、様々な時代のひずみが噴出しつつあった年でもある。斜陽の映画界では、製作システムが激変。この『女番長 野良猫ロック』も、和田アキ子の所属しているホリプロの系列会社であるホリ企画が製作、日活が配給するというかたちで企画された。

 脚本の永原秀一は、1967年『拳銃は俺のパスポート』(野村孝)で、センセーショナルにデビュー、それまでのヒーローが悪玉を

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『野良猫ロック ワイルドジャンボ』(1970年・藤田敏八)

『野良猫ロック ワイルドジャンボ』(1970年・藤田敏八)

 長谷部安春監督が、新宿という街の混沌のなか、若者たちのエネルギーを爆発させた『女番長 野良猫ロック』(1970年5月2日)に続く第二弾として、藤田敏八監督が抜擢された『野良猫ロック ワイルドジャンボ』が公開されたのは、前作から三ヶ月後の1970(昭和45)年8月1日。シリーズと銘打たれているものの「野良猫ロック」は、毎回、設定や登場人物も異なる。1970年という年に、立続けに五作連作(『野良猫ロ

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『野良猫ロック マシンアニマル』(1970年・長谷部安春)

『野良猫ロック マシンアニマル』(1970年・長谷部安春)

 長谷部安春監督が三たび演出したシリーズ第四作『野良猫ロック マシンアニマル』(11月22日)は、それまでの長谷部作品とはいささかテイストが異なる。舞台は日活アクションの聖地であり、ホームグラウンドでもある港町ヨコハマ。例によって、不良少女グループと、暴走集団が共存しているこの街へ、基地の街、山口県岩国市から三人の男たちがやってくるところから物語が始まる。

 岩国から来たのは、藤竜也演じるノボ、

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『野良猫ロック 暴走集団’71』(1971年・藤田敏八)

『野良猫ロック 暴走集団’71』(1971年・藤田敏八)

 シリーズ最終作『野良猫ロック 暴走集団’71』(1971年1月3日)は、それまでの長谷部安春監督による「野良猫ロック」が女の子たちの物語だったのに対し、主役はドロップアウトしたおじさんヒッピーとなっている。藤田敏八監督としては、『野良猫ロック ワイルドジャンボ』(1970年8月1日)、渡哲也と原田芳雄の『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年10月24日)に続く作品であり、本作の主役は引き続き

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「野良猫ロック」シリーズの魅力!

「野良猫ロック」シリーズの魅力!

 遂に「野良猫ロック」全作がソフトパッケージ化された! 1970(昭和45)年といえば、高度経済成長の総決算というべき大阪万博に沸き立ち、昭和元禄ムードの余韻に、世の中全体が浮かれていた年。同時に、学生運動、ヒッピームーブメントといった若者たちをめぐる状況は混沌としていた。そうしたなか、映画界はどん底に喘いでいた。邦画各社の成績もジリ貧となり、製作体制そのものが激変しつつあった。

 そんな中、ア

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長谷部安春の日活ニューアクション時代

長谷部安春の日活ニューアクション時代

 長谷部安春監督のデビュー作は、小林旭のスパイ活劇『俺にさわると危ないぜ』(1966年2月12日)。助監督時代、鈴木清順に師事しただけあって、ポップな感覚にあふれ、セット中心の展開は人工美の魅力に満ちている。同時に、本寸法の演出は、やはり師匠の野村孝譲りの判りやすさだろう。日活が驚いたというカット数の多さは、長谷部自身の粘りによるもの。しかし、興行的にふるわず、1年4ヶ月ほど干されてしまう。

 

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