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「甘縄神明神社」【鎌倉ぐらし/神社仏閣巡り】

きっかけは 「コロナ断捨離」中に出てきた1冊のノート。
上京前、21歳のときに書いた人生の設計図。

その日は苦笑いしながら「捨てるモノ」箱に放り投げたけれど、ずっと心に引っかかっていた。

“40代で鎌倉ぐらし”

あれから4年。
全然、20代の頃に思い描いた自分ではなかったけれど、ある日、ふと思いついた。
(今じゃないか?)

これまで、どうしても迷ったときは「やらぬ後悔より、やって後悔」で「やる」ことを心がけてきた。
(迷ったときは一歩前へ)

“思いつきと思いきり”

令和6年(2024)7月、諸々の態勢を立て直すべく、東京から鎌倉へ引っ越した。

“鎌倉ぐらし”の記録として、SNSに投稿した【神社仏閣巡り】をnoteに残していく。

鎌倉ぐらし/神社仏閣巡り

「甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)」

「甘縄神明神社」
高徳院(鎌倉大仏)の南東に鎮座する、鎌倉で最も古いとされる神社の1つ。

長谷地区の鎮守で、社殿の裏山は「神輿ヶ嶽」(御輿ヶ嶽、見越ヶ嶽、見越嶽とも)といい、古来、和歌に詠まれてきた。

奈良時代末期の成立とされる『万葉集』巻一四に「鎌倉の み越の崎の 石崩の 君が悔ゆべき 心は持たじ」、平安時代後期、長治2年(1105)頃の成立とされる『堀河百首』には万葉の歌をもとに詠まれたとみられる「かまくらや みこしかたけに 雪消て みなの瀬川に 水まさるなり」があり、鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(1242~1274)の歌集『瓊玉和歌集』にも「都には はや吹ぬらし 鎌倉の 神輿ヶ崎(の?) 秋のはつ風」とあった。

「甘縄神明神社」のご祭神は、天照大御神、伊邪那岐尊(白山)、倉稲魂命(稲荷)、武甕槌命(春日)、菅原道真公(天神)。

略誌には、和銅3年(710)“由比の長者”と呼ばれた豪族・染谷太郎太夫時忠の創建。長元9年(1036年)に相模守となった源頼義が下向したおりに祈願し、第一子・八幡太郎義家が生まれたと伝え、その義家が永保元年(1081)に社殿を再建した、とも。源氏とのゆかりが深く、その後も源頼朝や北条政子、実朝らの崇敬を集めたという。

もとは「甘縄明神」「神明社」「神明宮」などと称し、昭和7年(1932)に改称。昭和24年~29年にかけて『改造文芸』などに発表された、川端康成の小説『山の音』の主人公・信吾宅の裏山にある神社のモデルともいわれている。

令和6年(2024)8月25日のFacebookより

【撮影日】
令和6年(2024)8月24日

以上


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