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アルペンスキーに人生を懸ける男 斉藤博物語 第8章~ 第9章 ノウハウと多数の優勝者

第8章 
垣間見(かいまみ) 8つの指導ノウハウ

1. スキー板は、一切強制せず


斉藤が合宿所を始めた1980年代当時は、どこかのスキーメーカーのバックアップを受けているスキーチームやスクールが多かった。

そうすれば、道具の供給もしてもらえるし、何がしかのお金も援助してもらえるところもあった。

斉藤は選手時代の経緯で、フィッシャーと関わりが深かった。
しかし斉藤は、フィッシャーはもとより、どことも特別な契約もせず、選手の子供達に好きな板を履かせた。


フィッシャー、ロシニョール、アトミック、ヘッド等々、
子供達は思い思いのスキー板を履いていた

どこか特定の一社と結びつくと、一時的には良いが、そのメーカーが撤退したら一蓮托生で自分のところも困る。

それともっと重要なのが、子供達の心理である。
ある子供がAというメーカーのものを履きたいと内心思っているのに、所属したチームの関係からB社の板を履かなければならないとすると、自分が上手になれないのはB社のスキー板のせいだ、と思うことである。

選手強化のためにやっており、それが一番重要なのに、使う道具が心理的ブレーキになっては本末転倒になってしまう。

だからスキー板も靴もワックスも、欲しい人には安く斡旋するが、どこで買おうが、どのメーカーの品を使おうが自由という方針を貫いた。決して強制はしなかった。そしてどのメーカーとも、平等に接した。

2. スポンサーは中学生になってから


1980年代当時、驚くことにスキーメーカーは小学生選手にもスポンサーする時代であった。斉藤は、小学生の間はメーカーのスポンサーは受けないようにと言っていた。

小学生はまだ判断力が十分ではない。そんな時期にスポンサーがつくと子供も親も有頂天になる。

それは裏を返せば、良い結果が出なくなれば、切られるということだ。
そうなれば、子供は惨めな気持ちになる。
斉藤は一時の華のある選手を育てているのではなく、スキーを通じて長い目でその人を育てているからだ。

どうしてもスポンサーを受けたいという親には、「では、チームを辞めてからにしてくれ」と言った。

ただ中学生になると、全国大会にも出るようになる。するとお金もかかるので、スポンサーを受けることを認めていた。これも選手養成のノウハウの一つだろう。

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