0ゲートからの使者「25」
第4章 スパイラル
エール
「先輩、今度お時間ありますか? ちょっとお話したいことがあって」
朝、更衣室でチカが話しかけてきた。
「ラインしようかと思ったのですけど、長くなるし、直接お話したくて」
「いいよ。今日、帰りにどこか寄っていこうか」
「はい、お願いします」
制服に着替え、歯車の一日がまた始まった。
いったい何の話なのか、と気になり、玲衣は手をとめてふと何度かデスクのチカを見やったが、彼女はいつもと変わらない様子でときおり大きな笑い声を立てていた。
カランカランと音を立てて扉が開く。
瀬田さんが連れて来てくれた喫茶「九十九館」に、今度は玲衣がチカちゃんを連れて入っていった。
「うわ、ここ、マジで昭和ですね! 私、まだ生まれていませんでしたけど~」
チカちゃん声がでかい、と玲衣はヒヤッとしてカウンターの向こうのマスターの様子を伺いながら、あのレトロな絵の前の座席に座った。
チカは例のごとくアイスコーヒーを注文した。
ストローで氷をカラカラいわせながら、近況報告をしだした。
「あの、先輩に報告したいことがあるんです。私、彼と別れました」
「えー、そうなの? じゃあ村上と付き合うの?」
「いえ、村上先輩ともお別れしました」
「ええっ、チカちゃんどうしたの?」
玲衣は飲もうとしていたコーヒーカップを口元で止めたまま、チカをまじまじと見つめた。
「だって玲衣先輩、私に自分を一番にねって言ってくれたじゃないですか」
「うん、まぁ、そうは言ったけれど」
「私ね、あれからずっと考えていたんです、自分のこと。そしたら、私、自分の本当の心なんて見つめたこともなかったことに気がついたんです。いつも誰かから見たらどうか、ってばかり考えていたんです」
「チカちゃん……」
玲衣はびっくりしたままチカを見つめる。
「自分が、何が好きかなんてのもよくわからなくて。どうしたいのかも。いつもいつも誰かがどう思うかばかりだったからですね」
「……そうかぁ」
「それで、私、自分がどうなのかって考えるようにしたんです。そうしたら、彼のことも村上先輩のことも、私を好きと言ってくれたのが嬉しかったけれど、私は二人のどこが好きなのか、やっぱりわからなくて……。いつも彼氏がいないといけないんだと思っていたけど、本当にそうなのかな、とも考えるようになって……。誰かに好きって思われることで自分の価値を確認していたというか……」
チカはゆっくり言葉を選びながら自分の気持ちを表現していた。
「で、こんな気持ちのまま二股かけるようなことしていたらいけないって。二人にももちろん悪いけど、何より自分自身にも悪いっていうか。その、先輩が言ってたように、自分を愛してないんじゃないかと思って」
「そうかぁ。チカちゃん、すごい気づきだね」
「えへっ」
チカは満面の笑みを浮かべ、アイスコーヒーをズズッと飲んだ。
玲衣がコーヒーカップをソーサーに戻すのを待たず、熱を帯びた表情で話し続ける。
「先輩、実は私……」
また誰か好きな人でも?
玲衣は一瞬ドキッとしてチカの次の言葉を待った。
「俳優養成所に通うことにしました」
「えっ、俳優養成所!?」
玲衣は自分の出した声の大きさにびっくりしながら、声を落として聞きなおした。
「俳優養成所って、あの、演劇とかの?」
「そうです。来年から通う手続きしてきました」
「ちょっ、チカちゃん、唐突だなあ。びっくり。本気なの?」
「本気ですよ。いやぁ、先輩のおかげですよ」
「ええっ、ちょっと待ってよ」
チカちゃんが演劇の世界を目指す? 玲衣の頭の中に大好きな漫画『ガラスの仮面』の演劇少女、北島マヤがよぎる。
「会社はどうするの? やめちゃうの?」
「ううん、いろいろ探して、夜間でも通えるところを見つけたんです。あとは土日とか。当面は仕事しながら演劇の勉強していくつもりです」
チカはいつになくしっかりしていた。
「先輩に数秘術のリーディングしてもらって、私、自分が好きなこと、本当はやってみたかったことってなんだろう、ってずっと考えていたんです。そしたら、お芝居好きだったなって。私、ほら、子供のころひとりで遊んでばかりいたでしょう? お人形相手にいろんな空想して、お部屋のベッドが船でカーペットが海、そこに落ちたうさぎを助ける勇者になったり。レースのカーテン巻き付けてお姫様になったり。それがとっても楽しかったなって」
玲衣は生き生きと楽しそうに話すチカを目を細くして見つめた。
「そうだったの。『ガラスの仮面』のマヤちゃんが、文化祭で『女海賊ビアンカ』を体育倉庫でマットやら跳び箱を大道具に見立てて演じきったシーンを思い出すわ」
「なんですかそれ」
「いや、昭和の傑作漫画よ、演劇目指すなら一度読んどいたほうがいいわ」
玲衣はそう言って笑いながらチカの数秘術チャートの記憶を辿った。
チカちゃん、そういえば3も5も9もあったわ
どれもみんな、表現したいドラマチック大好きって思う数字
なるほど、それ、チカちゃんの本質よね
演劇という表現がチカちゃんの道だったか
「私のことだから途中で飽きちゃうかもしれないけど、でも挑戦したくなったんです。このまま誰かに気に入られることばかり考える人生で終わりたくないって、本気で思ったんです」
仄暗い照明の下でチカの目がうるんでいた。
玲衣も熱いものが込み上げてきた。
「そうなんだね、チカちゃん、よかったじゃない。私、応援する」
「ありがとう、玲衣先輩!」
チカの目から大粒の涙がこぼれた。
「あれ、なんだろ、悲しくないのに涙が出ちゃうわ。ふふふっ」
「チカちゃん声でかいから俳優向きだわ。それにここぞって時に涙も出せるじゃん」
「ちょ、やだ、先輩、ひどいわぁ」
「いやぁ、チカちゃんが、あめんぼあかいなあいうえお、とかやっているところ想像しちゃうわ」
「なんですか、それー。また昭和っぽいやつ!」
「ま、いずれ舞台に出たら招待してちょうだい! 楽しみにしてる!」
「ハァイ、待っててくださいね!」
身を崩すと言われてあんなに不安になっていたチカが、自分がやりたいと思うものを探り当て、それに挑戦しようとしている。
まるで別人のように内側からきらきらした何かが溢れ出ている。人がその本質の道を進むときに発せられる輝きだった。
玲衣はなんだか自分のことのように嬉しく、心の中でエールを送りながら、街灯りの中に消えて行くチカの後ろ姿を見送った。
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