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【英国判例紹介】Balfour v Balfour ー夫婦の約束は契約なのか?ー

こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。

今回ご紹介するのは、Balfour v Balfour事件(*1)です。

いつも紹介している判例には、二つのパターンがあります。一つは最新の英国法の動向を追ったもの、もう一つは古典的なの重要判例です。今回の判例は、後者に当たります。

テーマは、夫婦間の合意(domestic agreement)の契約としての有効性です。日本法にはない特殊な概念が使用されており、興味深かったので、今回ご紹介します。

なお、このエントリーは、法律事務所のニューズレターなどとは異なり、分かりやすさを重視したため、正確性を犠牲しているところがあります。ご了承ください。


事案の概要

本件は、妻(原告)の、夫(被告)に対する、金銭債務の支払請求訴訟です。

二人は、1900年8月に結婚しました。夫は、セイロン(現スリランカ)政府の職を得ており、結婚後、二人はセイロンで暮らしていました。

1915年11月、夫の休暇を利用して二人は英国にやってきました。1916年8月に夫の休暇が終わり、帰国することになります。しかし、妻は、リウマチの治療を受けており、医師の勧めもあってイギリスに残ることにします。

1916年8月8日、夫がセイロンに戻る際に、二人は、次のような約束(以下「本件合意」)を交わします。

夫は、妻に対して、扶養のために、毎月30ポンドを送金する。

本件合意の当時、夫婦関係は良好でした。しかし、その後、(詳しい事情は資料からは明らかではありませんが)夫婦の関係が悪化します。

そこで、妻は、夫に対して、本件合意に基づき、月30ポンドの支払を求めて訴えを提起します。原審は妻の訴えを認められたため、夫が控訴します。

争点:夫婦間の約束は契約としての拘束力を持つのか?

もし、契約としての拘束力を持つならば、夫が本件合意に違反した場合、妻は裁判手続を経て、月30ポンドの受け取りを強制的に実現できるはずです。

夫婦間の問題を裁判所に持ち込むべきなのか

どう思われますか?

ここで迷わずNOと言える方、又は、YESかNOか悩まれる方は、本事件の争点がなぜ争点たり得るのか、説明しなくとも腹落ちすると思います。

迷わずYESと言える方もちょっと想像してみてください。

妻:お風呂の排水溝を掃除してくれない?もし、掃除してくれたら、明日のお昼ご飯のお小遣い100円アップするから。
夫:わかった。

申込と承諾はありますよね。もし、夫が排水溝を掃除したにも関わらず、妻がランチ代を100円UPしなかった場合、夫が妻に対して100円の支払いを求めて裁判所に訴えることを認めるべきでしょうか。

さすがにそれは行き過ぎだと言うならば、その境界線はどのように引かれるべきでしょうか。更に言えば、赤の他人とは異なり、夫婦間では、このような些細な約束は日常的に行われるはずです。その全てについて、裁判所が関与するのでしょうか。

つまり、本事件では、裁判所がどこまで家庭内の問題に関与すべきか、そしてその裁判所の態度をどのように理屈付けすべきかが問題となったのです。

裁判所の判断

裁判所は、原審を破棄して、妻の訴えを棄却しました。
つまり、本件合意は、法的拘束力を有しないと判断されました。

考察

3人の裁判官は、全員一致で、本件合意は契約には至らないと述べています。もっとも、各裁判官でその理由付けは少しずつ違います。ここでは二人の裁判官の意見を紹介します。

Duke裁判官の意見

Duke裁判官は、次のように述べました。

実質的な問題は、夫が妻に対して、妻が夫のもとを離れて生活している間、夫が妻に定期的な手当てを支給すると約束した場合、その約束を拘束力のある契約に変えるに十分な約因が妻側に存るかどうかである。私の意見では、存在しない。

約因(consideration)の話は、こちらのエントリーでも書きました。

約因のことをかいつまんで話すと、英国法では、対価を得ない義務の負担の約束は、契約としての拘束力が無いと考えています。本件合意は、妻が夫から月30ポンドを貰うことの対価を夫に何ら与えていないため、契約として成立しないとDuke裁判官は結論付けました。

Atkin裁判官の意見

他方で、Atkin裁判官は、次のように述べて、本件合意は契約たり得ないと判断しました。

(夫婦間の約束は)他の当事者間では合意の約因があるようなものであっても、契約には至らない。(中略)それは、夫婦が法的結果を伴うことを意図していなかったために契約ではないのである。

つまり、夫婦間の約束には約因があろうがなかろうが、お互いがその約束に法的拘束力を付与することを意図していないため、契約とはならないと、Atkin裁判官は述べたのです。

Intention to create legal relations

もしかしたら、著名な英米法の教科書などできちんとした和訳があるかもしれないので、ここでは英語のまま「Intention to create legal relations」の原則と書きます。

本事件におけるAtkin裁判官の意見は、次の推定を生み出したものと評価されています。

合意が家庭内の文脈で行われた場合、反対の明確な証拠がない限り、当事者は法的な関係を創出する意図がなかったものと推定される。

言うならば、申込みと承諾、約因の存在などに加えて、契約成立のためには、intention to create legal relationsがある必要があるということですね。

夫婦間の約束であっても契約となるケース

本件の裁判官の意見からも分かるように、夫婦間の約束の全てが契約として認められないというものではありません。

例えば、当事者の一方が合意内容を履行しており、相手方にその履行を求める場合、法的関係を創出する意図がなかったという推定が覆される可能性が高いと言われます。また、その約束が商業的な文脈であればあるほど、推定が反証される可能性が高くなるとも言われています。

別のシチュエーションとしては、夫婦間であっても、既に関係が破綻している場合にも、両者の約束に上記の推定は働かない(ないしは容易に覆される)ということも言えそうですね。

親子間の約束に契約の拘束力は認められるか?

これには、判例があります(*2)。

母親と娘の間で、「もし娘がアメリカでの仕事を辞めてイギリスで法廷弁護士の試験勉強に専念するならば、母親は娘に家を提供する」という約束を行いました。その後、母親は娘のために家を購入して譲り渡し、娘はロンドンで試験勉強に専念します。

しかし、娘は試験に受からず、母娘の関係は悪化してしまいました。母親は、娘に対して家の引き渡しを求めて訴訟を提起しました。

、、、嫌な事件ですね(笑)

事件は、母親の勝訴で幕を閉じます。Balfour v Balfourが引用されて、法的関係創設の意図が無かったために契約は成立していないと判断されました。

おわりに

いかがだったでしょうか。
日本では、夫婦間の合意であっても特別の要件は付加されないため、少し不思議な感じがされるかもしれません。

Atkin裁判官が定立した原則は、現代では批判も多いですが、それでも、裁判所に持ち込まれる紛争を合理的に制限するという政策的観点から、今でも破棄されるには至らず、有効な判例と考えられています。

実務で触れる機会は無いと思いますが、比較法の観点から興味を持っていただけたなら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!


【注釈】
*1 Balfour v Balfour [1919] 2 KB 571
*2 Jones v Padavatton [1969] 2 All ER 616


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