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写真について考える。日々思考の繰り返し。

みなさまお久しぶりです。
見事に更新をサボっております。カワムラです。

noteの更新は自分の中では優先順位が低いようで、なかなかの筆不精っぷりを発揮しています。

ひさしぶりの更新なので軽いタイトルにしようかと思いましたが、
最近はもっぱら写真について考えることがいつもよりも多いので、
思考整理もかねてnoteしたいと思います。


写真とはなんなのか。

冒頭からすごい見出し。
しかし内容は見合ってない可能性があるので、そのつもりでお願いします。

写真。その役割はなんなのか。
写真のもともとの役割は「記録」だと思うんです。
日々の記録、記念日の記録、旅の記録など。
その時、その場所で体験したもの、感じたものを写真に残す。記録する。
これがそもそもの始まりだと思っています。

話はちょっと飛びますが、先日「写真家 鈴木心」さん(後:心さん)のワークショップに参加してきました。
その中で心さんは写真の役割についてこう言われていました。
写真の役割は「伝える」こと。だと。

日頃、写真を生業のひとつとしているので、この言葉はすごく理解できたんです。
商業の世界において写真は物事を伝えるために大きな役割をもってるということを実感しているから。
なので、仕事として写真を撮るという分には疑問というか、自分の中でこの言葉を咀嚼するのは苦労はしなかった。

で、問題はLIFE WORKとして写真を撮っている時の話。
僕はLIFE WORKとしてスナップやポートレートを撮っている。
心さんのワークショップを受けてから、普段カメラを向ける時にすごく考えるようになった。

僕は何が伝えたいんだろう。。。

僕の心の声

もちろん、写真を撮る上で心が動いた瞬間にシャッターを切っている。
いや、そのつもりではある。
でも、いざ写真を見て振り返るといつも自信がなくなってくる。

「本当にそうか?心に素直にシャッターを切ったのか?」と。


綺麗な写真と良い写真。

度々話題にあがる、「綺麗な写真」と「良い写真」の違い。
心さんはこれについても「伝わる」ことが大切だと言われていた。

言われていることは理解できる。頭ではわかる。
いや、わかってるつもりかもしれない。

写真を撮ろうとカメラを構えるとどうしても頭が先行しちゃう。
どう綺麗にみせるか。
これが邪魔をする気がする。

ポートレートを撮っているときもついつい被写体さんに体の向きやら顔の角度やら、表情やらお願いしちゃうことが度々ある。
それはもちろん、被写体さんと作品を作っている場合はそれでもいい。
でも、たぶん僕が撮りたい写真、好きな写真はそうじゃない。

その人らしい、自然な表情が映る、その人が「伝わる」写真。
その時の楽しさや、憂いや、情緒が映る写真。

もちろん撮った写真をSNSなどに掲載している以上、公開する責任が伴うから、セレクトする写真は被写体さんにマイナスイメージがつくようなものはセレクトしないけど、撮る段階で「綺麗に撮ろう」と思っている写真と、ふとした瞬間に撮れた「自然な写真」とでは全く写真の質が異なる。

しょーもないプライドかもしれないが、撮らせてもらって公開する以上、その被写体さんが可愛く、綺麗に写っているものを選んでしまうし、撮る時にそこを意識していまう。

でも、そうじゃないんですよ。僕の好きな写真は。
僕の撮りたいものはそうじゃないんです。


誰のための写真なのか。

上でダラダラと思っていることを書き殴ったけど、
答えに辿り着くために必要なことはこれなんじゃないかと最近思っている。

その写真が誰のための写真なのか。

商業写真を撮っているときはクライアントの目的のため。
家族写真を撮っているときは、目の前のご家族のため。

では、LIFE WORKでの撮影は…?
それはたぶん「自分のため」に撮ってるから。
だから思考に乖離が起きるんじゃないかというのが自分なりの答え。
つまり自己主張でしかない。ということ。

もちろん被写体をしてくれる友達を可愛く綺麗に撮るということはもちろんだけど、自分の撮りたいイメージを具現化するために協力してもらっている以上、自分のためじゃないか。

判断基準が自分の「好き」「嫌い」になるため、全部自分次第。
だから逆にその写真に対しての判断基準がよくわからなくなるんじゃないか。そう思えてきた。

SNSを通して写真を見てもらってるけど、それを見てくれる人に何を伝えたいのか。
ここが現状あやふやだし、ないと言っても過言じゃない。
以前話題にあげた、写真の残酷性とかの話にも通じるところがある。
(該当記事は↓)


僕は作家ではない。

僕が肖像写真を撮りたいのは、相手に喜んで欲しいから。
もちろんこれは自分勝手な理由だし、自己満足かもしれない。

先日、いつも被写体をしてくれる女の子からこんな言葉をもらった。

「撮ってもらった写真を離れて暮らすおじいちゃんに送ったら、おじいちゃんがすごく喜んでくれてた。また撮ってもらえたらおじいちゃんに送ります!おじいちゃん楽しみにしてるみたいで。。」と。

これ!これだよ!と。
僕が写真を撮りたい原動力はこれ。これなんです。
誰かが喜んでくれる。思い出として残せる。誰かと誰かを繋いでいる。
そんな言葉が聞きたくて写真を撮ってる。
僕の原動力はこれなんです。

だから、自分のために撮る写真にいつも悩んでしまう。
それは誰かの笑顔につながっているんだろうか。と。

これからも写真に対しての悩みや、思考は絶えないと思う。
でも誰かの笑顔に繋がる日がくると思って、
そう強く願って、今日もシャッターを切り続けたい。

それが僕がカメラが、写真が好きな理由。
そんなお話でした。

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