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『JOKER』の配置演出
![](https://assets.st-note.com/img/1649662305514-IqWkVkb7eV.jpg?width=1200)
今回は『JOKER』。
名場面たくさんありますけど僕が印象に残ってる一つが、上半身裸でロッカールームの片隅に座っている場面です。
街の不良に暴行されてできたアザよりも、光で浮かび上がる骨肉のほうが目を引き、内側で何かが蠢いているようで、エイリアンみたいなのが飛び出てくるんじゃないかと思った記憶があります。
で、元の脚本ではどう書かれてるんだろうと見てみました。
![](https://assets.st-note.com/img/1649644526289-G1MxIma3Mb.png?width=1200)
https://www.scriptslug.com/script/joker-2019
脚本中のシーン14、注1のところですね(書き込みは自分で書いたものです)。
小さなタレント代理店の窮屈なロッカールーム。
ここがジョーカーが働いているところ。パーティーやイベントにタレントを「貸し出し」ている。ピエロ、マジシャン、男性ストリッパー。
ジョーカーはシャツを脱ぐと、痛みで顔をゆがめる。看板を追いかけた時に受けた暴行でアザが出来ている。
この場面の実際の映像を元に、配置を俯瞰図にしてみました。
脚本中には「窮屈な (cramped) 」と書かれていますが、映画中ではそこそこの広さがあります。crampedの感覚が違うのかな、と画像検索してみましたが、出てくるのは超迫っ苦しいのばかりなので、感覚は違っては無いようですね。
であれば意図的にこの広さのロケーションを選んだのでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1649664821363-GNJtH7zCQu.png?width=1200)
あえて広めの部屋を使うことで、他のタレントとアーサーの間にグループ感が出てしまうことを避けている。うらぶれた様子のタレント代理店の中にさらに「小さな社会」を作り、そこから分離(自ら拒絶)し隅に追いやることで、アーサーが置かれている現状を表現してるように思う。ロッカーに正対する向きではなく、部屋の隅に体が向いていて自分から隅に隠れようとしてる(自己を肯定できない)。ネズミのような印象。窓から外光を入れることで、自分から選んでその片隅を選んでるのと矛盾して、ここにも生きてる人がいるんだよ!と言いたい内心の承認欲求、と同時に自分をここに追いやった色々への怒り(骨肉の陰影)を浮かび上がらせる。丸まった異様な背中は怒りと共に何か(JOKER?)を内包するタマゴのような。
(と、映画見た後だから言えるんですけどもね)
![](https://assets.st-note.com/img/1649679645301-hWbTP4AKBZ.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1649680144822-rfhPwqpA5u.jpg?width=1200)
これを仮に狭い部屋にしてみたり、座る向きを反対にしてみたらどうでしょう? 印象がかなり変わってくるんじゃないでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1649659246115-qviBThvhQt.png)
映画中、カウンセラーとの会話でアーサーがこう言う箇所があります。
"But until a while ago. it was like nobody ever saw me. Even I didn't know if I really existed."
「ちょっと前までーー誰も僕を見てなかった。僕は存在するのかなって」
それを映像で語っているのがこの場面なのかもしれないですね。
ちなみにこの台詞は脚本には存在しませんでした(シーン43)。
撮影中に書き換えられたようです。
ホアキン・フェニックス主演で“狂気の犯罪王子”ジョーカーのオリジン(起源)を描く映画『ジョーカー(邦題未定、原題:Joker)』の撮影は、主人公のジョーカーよろしくトリッキーなスタイルで行われていたようだ。本作でシングルマザー役を演じる、『デッドプール2』(2018)のザジー・ビーツによれば、本作の脚本は撮影中に全編書き直されていったというのだ。
このノート書くためにシーン14を読みつつ、映画を見てみたら全然違ったので、どれぐらい違いがあるんだろうと比べ始めたらシーン14だけでもえらい違うことが分かりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1649467782425-WfvIta2nrj.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1649466872578-vunjqj2pzD.png?width=1200)
注2~5に関してはまたの機会に……
「撮影しながら、みんなで全編を書き直していたんですよ。トッド(・フィリップス監督)のトレーラー(控え室)に行って、夜のうちにシーンを書いて、撮影するんです。」
まじか……
映画全体で、何がどう変わったのか滅茶苦茶興味あるんですが、調べるのにどれだけ時間がかかることやら……
でもホアキン・フェニックスと監督が、アーサーをどのように掘り下げていったのかを知る一端にはなるし『JOKER』はそれをする価値があるように思う。
……どこかに日本語訳の脚本無いですかねぇ。
![](https://assets.st-note.com/img/1652313439712-oqDlQLeHwp.png?width=1200)
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