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#127|自分に正直になる|変化を予想の範疇に留めない

帰宅してブログを書いている27:25。また物凄いインパクトの気づきがあった日。note365日連続投稿チャレンジ127日目。

変化する≒内面をクリアにする

自分の内面がクリアなほど、変化は起こしやすい。これは失敗も含めてまっすぐに育った人が成果を出しやすい理由の1つで、毒親的な環境になかった人にもよく見られる「かろやかさ」だ。

逆に「変化する」ということは「その差分に応じた分量の内面の問題をクリアにする」こととニアリーイコールかもしれない。

変化を拒む理由には、体質や習慣、無知も大きくあると思うが、そうでない時にも変化ができずに引っかかっている場合の原因はやはり、心の傷の痛みや恐れ、そこから生まれる執着などの、自分の中にある未消化なナニカだ。


爆弾みっけ

今日、複数の人と何時間にも渡って深めの話をしていた中、とある話題からの気づきで「首から下がずっと震え続ける」という経験をした。

これは「どんどん変化しよう」としている今の自分にとって、大きな足枷になっている爆弾のようなものを発見したと直感した。「取り組めば人生が360度変わりそう」な。クリティカルな問題だという予感から来た震えだった。

これをどうするかは自由だ。これを解消する取り組みに乗ってもいいし、保留にしてもいいし、見ないようにしてもいい。しかし今わたしは「徹底的にやる月間」ということで6月を過ごしている。このタイミングで来たのなら、「乗る」以外の選択肢はない。


おかしくても自分の人生を生きたい

今日見つけたことに取り組むと、私のスタンスや発信は別物になりそうだ。それくらい、ずっと抑えていた強烈な気持ちが見つかった。

これはなんと傲慢で恥ずかしい欲望なのか、と「ソトヅラ担当のワタシ」は思うが、それを抱えている「傲慢で恥ずかしい自分」は実際にいる。それを認めるか、認めないか。自分に正直に生きるか、自分に嘘をついて生きるか。

自分に嘘をついてしまうと、その濃度に応じて「自分」が見えなくなっていく。すると、今という時間に自分を生きることができなくなっていく。そんな人が日本人の9割だと思うので安心だ(安心してたまるか)

私は人に笑われてもいいが、人を怒らせたり悲しませたりはしたくない。自分が傷ついてでも、人を傷つけることをしたくない、と思っていた。しかし、それは「より深く自分が傷つく」ことを避けるためでもあった。

今回見つけた「自分」を生きれば、人を傷つけるんだろうなと思う。それでも、そんな自分を大切にできたら、もう一段深いレベルで人を大切にできるようになれるハズだ。


変化を予想の範疇に留めない

これだけ大きく変わりそうな予感がある場合、その変化の先は成功なのか失敗なのか、その変化自体がいいことなのか悪いことなのかを、見極めたくなる。

今の自分がイメージしている理想に行き着いてほしいと願い、そこになんとか行き着けるように逆算的に動きたくなる。

そうして、せっかく訪れる大変化を「今の自分の予想の範疇」に収めようとしてしまう。これは防衛本能だろうか。

それを手放すことで「本当の変化」を起こる。日々の努力に応えて、神様から6月の挑戦のラストにふさわしい爆弾がプレゼントされたようなイメージだ。せっかくなら炸裂させてしまおう。

「もう一段深いレベルで人を大切にできるようになれ」なかったとしても、私は変化を選べるか?



✑76分|1500文字



p.s.どんどん変化成長するために持っておきたいたった1つの視点

変化については、以前にこんな記事を書いた。「変化」に対する今日のような考え方は梅原大吾氏から学んだ彼の書籍紹介記事だ。ちなみに、変化すること自体へのモチベーションは赤羽雄二氏から頂いている。

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