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#045|AIと壁打ち|変化日記

頭痛と関節痛が治まって久しぶりに布団から出た。咳と鼻詰まりはまだで、喋りにくいためクラハの進行は甘えた。瞑想すると鼻詰まりが治る不思議。しかし会話を始めるとだんだん詰まってくる。いずれにせよ健康のありがたさを感じられるところまで回復してほっとしている。note365日連続投稿チャレンジ45日目。

最近の私の「GPT」事情

今日はGPT-4を壁打ち相手に、今後やっていきたい仕事の1つについて考えを深めた。彼がありがたいのは、どんな話題であっても、いつまででも付き合ってもらえるというところだ。当たり前だけど、これはすごいことだ。

対人だと気になる時間制限がないことはもちろん、不完全で曖昧すぎるアイデアや主張でも気にせずに投げ放題な点が素晴らしい。やってみるともう手放せない新種の「頭の使い方」を感じる。

利点はアイデアや思考が形になる速度が上がること。たとえばゼロ秒思考のメモ書き方法が主に横軸の思考速度を上げてくれるイメージだとして、GPT4との壁打ちは縦軸の思考速度を上げてくれる。※あくまでイメージ

人間相手だとある程度の形にしてからでないと聞いてもらえない(聞かせるのが悪い)考えも、そんな気遣いをすることなく出すことができ、そして応答を重ねることができるためどんどん未整理の思考が新しい情報を取り入れながら形になっていく。

「AIだから気にせず投げられる」からといって、もちろん旧来のチャットボットでは聞いてもらったところで価値のある返しがなかった点をクリアして来たのがチャットGPTのインパクトだ。そしてGPT-4の登場前後を「紀元前」「紀元後」と分けて表現されたりもしているように、4にいたっては「それほど」の性能を持って壁打ちに付き合ってくれる。

今日の壁打ちで、1人で考えていては見えなかった点や整理しきれなかった領域までアイデアが発展した。GPT4の本領はもっと別の使い方で発揮・活用されると思うが、こうした「壁打ち」相手になってもらうだけでも十分に感動できる。


ちなみに以前、3/15にGPT-4のインパクトについて感じた通りに、この界隈では最新情報が1日ごとに驚きのニュースで上書きされていくような状況で、最近だとイタリアではチャットGPTへのアクセスが禁止されたり、「人類が滅ぼされる」と危惧する人々が出てきていたりする。おもしろい。

「核爆弾が使用される前にそれがおそろしい技術なことをわからず開発に勤しんでいたようなものではないか?」などと比較されて話されたりもしていて、やっぱりgpt4の出現は当初に感じた通りの衝撃がある。

もうコントロール不能な領域に入っているのだから、「よい方向」に使おうとするしかない。逆に、コントロール不能だから悪いことになる、というばかりでもない。そもそも、もとから未来は予測不能だったはずだ。これまでは、多くの人がそう気づくほどの変化に出会う機会は少ない時代だったから予測できるような気がしていただけで、加速することによって本来の「存在」に気づく世界に変わっていっている。

だからこそ、存分に今を生きられることが、自分とたいせつな人との命を強く感じられることが、尊く素晴らしく思える。


「私」の今後の変化予報

「気づき」から「身に落とす」までの時間。GPTに比べてこちらは逆に、とてもゆっくりだ。スラダン事件から5日ほど経って、その「気付き」から考え方の整理と価値観の刷新は進んでいるが、それを実際の「振る舞い」にまで落とすには、残念ながらかなり時間がかかるかもしれない。

今日の夕方の打ち合わせでも、おもいっきり旧い考え方に則った反応をしていて、感じ方も発言も行動も、以前と何も変わっていない自分を確認した。新しい考え方であればなんともなかったであろうシーンで非常に気分が悪くなる時間を過ごしたのだけど、それを確認して補正しようとできたので100点をあげたい。

「自分が今後どう変わっていきそうか?」をざっくり残しておくと。①とにかく行動量が増える、②移動できる領域が増える、③人と関わる形の種類が増える、④好き嫌いがハッキリして嫌いなものが減る、⑤不要なものがハッキリして捨てられるようになる(片付け上手)、といった変化があると思う。

そうして、行動「速度」が上がるのはその「ついで」に起こるだろうな、という感じがあり、昨日の記事で書いた「わざわざ『楽しむ』ことを心がける必要がなくなりそう」なのと同じで、「速さ」をわざわざ求めようとする意識も低くなりそうだ。そこまで気にしなくても、どんどん「楽しくなる」し「速くなる」んじゃないかなと。もちろん、そうなっていくための工夫を続けることは変わりない。「赤い彗星」にはやっぱり憧れる。雄二スピリッツ。


✑64分|1900文字

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