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#042|再定義連打|生きてるだけで丸儲け

映画スラダンを観たことがきっかけで子供の頃の記憶を思い出し、その記憶が自分の「生きづらさ」の原因になっていたことに気づいて、感覚や考え方が劇的に変わっていっている人生3日目。

今日もこの話にならざるをえない。今私にとって世界でもっともホットな話題だ。チャットGPT及びAI界隈が爆速で変化していっているが、私も勢いでは負けてない。note365日連続投稿チャレンジ42日目。

これまでの経緯
参考①:#040|忘れていた自分を見つけた日
参考②:#041|「復活した」感がすごいんだけど

行動の理由が「全て」わかった

スラダンをきっかけに思い出した子供の頃の記憶群は、今でも自分の根幹に影響を与えている価値観にも関わらず、まったく忘れていて認識できていなかった。記憶喪失レベルだったものが次々に蘇ってきて、おかげで「これまでの人生で自分が"そう"してきた行動の理由」が全て明らかになった。「全て」というのがポイントだ。

私の場合、①親からの影響、②育った環境からの影響、③学んだ知識からの影響、④そして自分自身からの影響、の4つが複合して自分の行動を決めていたのだけど、この「自分自身」について重大な部分を忘れていた(というか見たくなくて封印してたんじゃね説)(封印というとかっこいいが超現実逃避してただけ)ために、自分が「乗り越えたい」と思う色々なことも、「出したい」と思う成果も、苦しさのわりに結果がよくなかったのだった。

親や環境からの影響はよくわかっていたつもりで、それを癒やすアプローチも取ってきた。自分が甘えていることもよくわかるので、できる限りの努力もしているつもりだった。なのに、なぜか、自分がずーっと「生き辛い」。「なんで?」という疑問もずーっとあったが、これが解決したかもしれないのだから、それは自分史上最大級のインパクトと言ってもいい。

ただ、戸惑いもかなりある。「本当にクリアしちゃったの?」というようなものだ。たとえば宝くじが当たった人は、「宝くじ当たれ」と思いながらもたぶん本当に当たるとは思ってない。それでも当たるから「夢みたいだ」と感じる部分もあると思うが、私も「自分の傷とか全部乗り越えたい」と思ってはいたが、まさか本当に乗り越えられるとは、しかもこんな流れで起こるとは、予想もできないし、心の準備が追いついてない感じがある。

それにしてもこんなこと、もっと劇的な試練を死にそうになって越えた先に起こる出来事だと思っていたのに、火曜の朝に映画観てクリアできるなんて、夢がないというか、ねえ。でもまさにこれが「現実」って感じだ。


あらゆる面の「再定義」連打中

そして今回の出来事で、生きる上での「考え方の前提」が変わったため、これまで作ってきた信念や価値観や目標を全部再定義するというフェーズが訪れている。

しばらくはこの作業が続きそうで、その間も生活はつづくので「旧世界」と「新世界」を行き来するような感じだ。これまでの思考OSのクセがいきなり消えるわけではないため、同じような「反射」的な行動は当面つづくと思うが、「反応」は変わっていくだろう。

自分が人よりもがんばれた出来事の理由、人よりもまったくがんばれなかった出来事の理由、もとからあった生来の才能は何か、生きる上でがんばって獲得した才能はどれか、自分に起こっていた問題の原因、取り組んできたことに取り組めた理由、取り組むべきことに取り組めなかった理由、全てクリアになり、自分の中に整理されていっている。意外なほど単純な原理で自分は動いていたようだ。

これまで、いくら自分史を書いても、自己分析しても、星を占ったって、いっこうに「自分」がわからなかった。そういう人は、もしかすると何かのトラウマなどにより「人生上の記憶の一部を忘れている」可能性があると、体験からわかった。とはいえそれを言われてもどうしようもないが…(どうやってそれを思い出せばいいのかは思い出すまでわからないのだから)


たしかに、「生きてるだけで丸儲け」

「人の期待に応えられない自分は無価値ではないか」といった切迫感や恐怖感がなくなるというのは、それだけで自由を感じられるし幸せだ。

「生きてるだけで丸儲け」など、以前はけして思えなかった。「生きてるだけでずっとつらい」という感覚の方が強かったからだ。

それがクリアになってみると、「今ここにいる」だけで、なんかちょっと、じんわり嬉しい。 ただ自分のままで、もう完全無欠なのだ。これはたしかに、丸儲けだ。

こんなことに、「死ぬ前に見る走馬灯で気づく」とかではなくて本当に幸運だった。もうだいぶ消費はしたけれど、まだ人生は残っている。


✑50分|1900文字

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